映画「野イチゴ(Wild Strawberries)」(1957年)のあらすじと感想

④物足りない

監督-イングマール・ベルイマン

脚本-イングマール・ベルイマン

出演-ヴィクトル・シェストレム、イングリッド・チューリン、ビビ・アンデショーン、マックス・フォン・シドー他

あらすじ

妻を亡くし、家政婦と暮らす医学博士であるイサクは、その功績が称えられ、名誉博士号を送られることになる。

年老いたイサクは、自分にも迫りくる死への恐怖を日々感じていた。

義理の娘と共に授与式に車で向かう道中、三人の若者のヒッチハイカーを拾い、共に短い旅をすることになる。

若者や娘と過ごすその旅の中で、イサクは、家庭がうまくいかなかったこと、昔の婚約者や妻への思いなど、自分の人生を振り返っていく。

「野イチゴ」の感想

美しい白黒、映画らしい映画、だが共感できない

老紳士が、自分の義理の娘、道すがら出会った若者たちと共に車で旅をしながら、自分の人生を振り返る作品。

白黒の映像が非常に美しい。

最初の夢の映像など、美しく無機質な映像が、夢っぽい映像であり、怖さもあり、とても惹きつけられた。

しかし、全体を通して見ると、退屈に感じてしまった。

老人になって、あの時こうしていれば、ああしていれば、ということはもしかしたらあるのだろう。

しかし、だから何だと思う。

特に昔の色恋沙汰を思い出しているのが情けない。

こうしていれば、ああしていれば、と、どうにもならないことを思い出している自分にハッとして笑ってしまったりするのなら微笑ましいが、そうでなく、本当に今も深く後悔している様を見せられても、なんだかなあと思う。

自分が老人になった時、こんな風にはなりたくない。

前向きな後悔などないかもしれないが、ただただ過去を振り返っているだけで止まってしまっているような気がしてしょうがない。

自分の思うように生きないと後悔するぞ、というメッセージか?

せめて、その後悔の妄想の中に、こうすれば良かった、もし同じ時を繰り返すならこうする、という新たな行動が入っていれば、非常に好感が持てた。

高齢の年寄りになって初めて、この車の小旅行の時初めて、あの時こうしていれば良かった、という取るべき行動が今分かった、ということをたくさん入れて欲しかった。

もしくは、自分はなぜあれが出来なかったのか、そうか、あの時の自分はここが足りなくてこう未熟だったからだ、じゃあ、あの時はしょうがない、自分がどういう人間か分かった、と思いついて楽しくなってくるような、そんな後悔の描写なら良かった。

どうにもならないことを自分の意思とあまり関係なく何度も頭に浮かんできてしまう、ということは誰しもあるし、分かるが、それは、今同じことが起きても自分はどうすることも出来ないままだから、繰り返し人は悩むんだと思う。

もし、同じことが次起きた時、こう動いて、こう言って、こうするんだ、という具体的なイメージが出来ていれば、この老人の様に悶々と悩むことはない。

今までそれをずっとその年まで放ったらかしにしてきただけだろう。

あれはしょうがないとも思えず、どうしたら良かったのかも分からないのであれば、そりゃ悩むだろう。

老人は、むしろそこら辺を消化しているから味がある訳で、そうでない老人を主人公にして、目から鱗の成長を遂げるわけでもなく、昔の後悔を悶々と振り返るって何とも後ろ向きで、見ていて気持ち良くない。

この作品が良いと言っている人は、かなり疲れている人

最終的には、息子にお金を返さなくても良いと言いかけたり、メイドに対する態度が変わったり、少しだけ、旅行をする前より成長してはいる。

こんなちょっとだけ成長したからなんだ?

大して何も起きていないこの旅行で、劇的に変わってもそれは不自然なので、これくらい少しの成長が、自然な成長の仕方であることは分かるが、かなり物足りない。

この映画は、老人が人生を振り返る作品として、教科書的な模範的な作品なんだろうと思う。

確かに白黒のきれいな映像で、90分にしては決して薄くはないが、何か特別に惹きつけられるわけではない。

悪く言ってしまえば、ただそつなく映画を撮りました、というような感じ。

初めて作った映画がこれだったら、初めてにしては映画っぽくなっているな、という感じ。

ここからいかに肉付けしていくか、というベースそのままを見せられた感じ。

まるで、学校が推薦するような、授業で見せられる退屈な映画、という感じ。

この作品を人に勧める人は、これが評価の高い、芸術的な映画なんだ、どうだ高尚だろう?とでも言いたんだろう。

確かに、白黒も含め、映像自体が非常にきれいで、出てくる人物もそれぞれあざとくなく個性的に描かれていて、自然であり、そういう意味では、芸術度は高く、映画らしい映画かもしれない。

カメラマンや、絵や映像の演出を勉強している人には、悪くない教材なのかもしれない。

しかし、それは技術の話であって、作品自体の良し悪しとは別の話だ。

この作品がしみる、泣いた、心揺さぶられた、という人は、相当疲れている人なんだろうと思う。

疲れている人ばかりなのかもしれないが。

疲れているというか、過去に浸ったまま前に進もうとしていない人、というか。

肝心な描くべき前向きな描写が少なく、そんな作品ではない。

最後に家族が川辺に出てくる夢も、その映像自体は素敵であるが、ざっくりとハッピーエンドになった感じ、でむずがゆい。

あなたも私も大丈夫だ、最後には家族が迎えてくれるから、ということか?

それは、考えを重ねて自分の悩みを解決し、強く成長した後に訪れるものではないのか?

そういった描写もなく、深く問題を掘り下げないまま、なんとなくOKと言われている感じがする。

きっと、この監督はこの作品を作った時に、よほど自分に自信が持てない状態で作ったんじゃないかと思う。

だれかに慰めて欲しい状態というか。

実際、自分の家庭問題を監督が抱えていた、という話だから、監督も疲れていたんだろう。

主人公はかなりのリア充、ハッピーエンドでなければ良かった

正直、この主人公はかなり幸せな人である。

言ってしまえば、リア充であり、大きな屋敷に住み、メイドがいて、息子・義理の娘もいて、学者として成功していて、今度は何か賞を授与されるんだろう?

それでいて、過去の色恋沙汰や死の恐怖にもんもんとしていて、これ以上まだ何か欲しているのか?

貪欲すぎる、全て完璧でなければ気が済まないのか?

満たされているから、過去のことなど全く気にならない、という姿勢はそれはそれでどうかと思うが、自分の置かれている状況がかなり恵まれていることにすら気付けていないんだろう。

当たり前の様に、こういう人間に共感などできない。

悪い人間では決してないが、客観的に見れていない人間だと思う。

最後にちょっと成長した感じになったけど、どうせ今だけ機嫌が良くなっているだけで、数日したら元に戻るんじゃないか?などと思ってしまう。

むしろ、こういう上流階級の人間への皮肉として、自分では成長したと思いこんでいるが、実は全然成長なんかしていない、というアンチテーゼ的な終わり方だったら、非常に面白かった。

この作品はきっとそうなんだろうと思いたいが、そうでもないみたいなので、なんとも残念である。

もし、この主人公がエゴイストとしてではなく、人格者であり、誰からも信頼されていて、表には出さないが、実は内面に強い悩みを抱えていたり、主人公がお金持ちではなく一般庶民で、過去の後悔がよぎるが、それはただの思い過ごしで、自分は恵まれている、と再認識する話しなどだったら、良かった。

上流階級のお坊ちゃんが、大したことないことで悩んだが、やっぱり大丈夫だった、というような話で、これを見て泣いてしまう人って、その人もきっと上流階級の人なのかもと思う。

家のメイドと主人公との、まるで長年連れ添ったような熟年夫婦のような会話は非常に良かった。

主人は奥さんよりも、むしろあのメイドとのああいう関係の方が、実際の奥さんよりも奥さんらしい人間関係だったのかもしれないと思った。

あの年になって、ああいう言いたいことを言い合う関係が身近にあるのは、もうそれだけで幸せだとも言える。

最終的に一応気付けたから、良かったのかな、という感じだ。

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