映画「マーサ、あるいはマーシー・メイ(2011)」を“見て損はない”理由と考察、その感想 

③観て損はない☆3

英題:Martha Marcy May Marlene

監督-ショーン・ダーキン 2011年 105分

脚本-ショーン・ダーキン

出演-エリザベス・オルセン、ジョン・ホークス、サラ・ポールソン、他

“見て損はない”理由と考察、その感想

一旦入り込むと根が深い闇の世界

見ていてあまり良い気分の映画ではない。

もちろん見ている側が良い気分になるためだけに映画は作られていないので、こういう作品もありだ。

カルトな組織の生活や、そこで生活したことの悪影響などがリアルな描写で描かれている。

こんな世界が実際に存在しているのかと思うと怖くなる。

カンヌ映画祭である視点部門を受賞したということだが、まさにある視点だと思う。

仮に言動行動がおかしい人に直面した時、まさかこの人は洗脳されていたなんて夢にも思わないだろう。

そういう意味で、こういう作品は人に対する考えに幅を持たせてくれる。

マーサの姉夫婦が、マーサにどう接して良いのか分からないのも無理はない。

一回こういう組織で洗脳されてしまった人間をどう更生させるのか、というのは難しい問題だろう。

ただ、マーサがなぜこの組織に入ることになったのか、組織を信じるに至った経緯や、組織内の人間がどういう気持ちで過ごしているのか、という内部ももう少し見たいと思った。

多少描かれてはいるが、非日常なので、普通に育った人間の価値観を壊さないと組織は成り立たないわけで、普通の人間がいかにそんな場所に魅力を感じていくのか、というのを知りたかった。

もしくはマーサのように親がいない人達が多いのか?

それはまた別な映画になってしまうのかもしれないが、自分達とは関わりのないおかしな世界なので、少しぼんやりしてしまう。

恐怖で縛ることはもちろんだが、きっとそれだけじゃないだろう。

組織のリーダーは雰囲気はあるが、慕われるような所がなければついていかない訳で、そこは描かれていない。

肉体的な描写もあるが、むしろそういった部分ではなく、言葉や会話で精神的にどう支配されていったのか。

もやもやさせられる

姉夫婦はマーサに優しく接するが、その優しさはマーサを包み込む、マーサの心を溶かすまでにはいかない。

普通の夫婦はきっとこういう感じの人達もいるだろうから、リアルといえばリアルなんだろうが、どこに視点を置いて見ていいのか分からない。

姉がもっと深い懐で、強くまともな人間だったら、マーサが日常に戻る大変さが描けたかもしれない。

マーサがおかしな行動をしても包み込むほど器が大きければ、マーサも心動いて何とか治そうと努力するかもしれないし、それがドラマチックにもなる。

逆にマーサの行動を徹底的におかしいと糾弾する、一般人だけれども冷たい人達だったら、あの組織の方がマシだったと葛藤したり、おかしな構図になるから、それはそれで面白い。

しかし、マーサがおかしいということはすぐに分かるのに、接し方が中途半端な分、盛り上がりに欠ける。

姉夫婦も普通の人ではあるがヒステリックで、マーサも別に姉夫婦に恩義を感じている訳でもなくしらっとしていて、まともな人間が出てきていないから、もやもやする。

一見姉夫婦が、見ている一般視聴者の代弁者のような感じもするが、実はそうではないという所が、なんかこの話分かりそうで分からない、分かる気がする止まりになってしまう。

義理の兄を階段から蹴落とした場面も、義兄が布団を掛けてあげようとした、もしくはそんな所で寝るなと起こそうとしたのは良いとしても、怖がって逃げるマーサを追い掛けた理由が全く分からない。

マーサが錯乱して怖がってるのは分かるんだから、暗い中あんなスピードで追い掛けたら余計怖がるのは分かるだろう。

誰でも怖いんじゃないか?

男女なんだから、襲いに来たと取れなくもなく、それで蹴落とされたからマーサは酷いというのは、ちょっと無理やりに感じた。

静かな語り口でドキュメントのようなリアルさもあるが、すこし退屈になってしまう。

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