バード 英題:Bird
監督-クリント・イーストウッド 1988年 160分
脚本-ジョエル・オリアンスキー
出演-フォレスト・ウィテカー、ダイアン・ヴェノーラ、キース・デイヴィッド、サミュエル・E・ライト、マイケル・ゼルニカー、他
映画「バード」のあらすじ
ニューヨークのジャズクラブを、トランペットの天才的な即興演奏で熱狂させるバードことチャーリー・パーカーは、長年アルコールと薬物中毒に悩まされていた。
ダンサーの女性チャンと結婚し、子供に恵まれるが、依存症は治らず悪化していく。
チャンの協力もあり、52番街に自分の名前を冠したジャズクラブが出来るほど、チャーリーの評判は次第に上がっていった。
しかし、バンドメンバーの薬物による逮捕、自身の健康状態の悪化、娘の病死などが重なり、チャーリーの精神状態はさらに不安定になっていくのだった。
“オススメ☆4”の理由と考察、その感想
チャーリー・パーカーの格好良い音楽がたくさん聞ける
伝説のサックスプレーヤー、チャーリー・パーカーの半生を描いた作品。
自分はサックスといえばチャーリー・パーカーというのは知っていたが、さほどどんな人か知らず、クリント・イーストウッドが監督している、という事で借りてみた。
少し退屈に感じてしまう所はあったが、重厚な人間ドラマや、そのサックス演奏の格好良さなどから、途中から惹きこまれた。
自分はジャズに関して大して何も知らず、ジャズの良さ、というものをはっきりと感じたことはなかったが、フォレスト・ウィテカー演じるチャーリーが演奏し始めると、なんだこれは、と惹きつけられた。
これは、格好良い。
この世に、これ以上格好良い楽器はあるのか、というくらい格好良いと思った。
どうも演奏がリアルで本格的だな、と思っていたら、サックスの演奏は、本物のチャーリー・パーカーが演奏した音を使っていたらしい。
これがチャーリー・パーカーか、なるほど、これがジャズであるなら、自分はジャズは好きだと思った。
アドリブ満載で、同じ曲でも毎回違う演奏で、その時の演奏はその時にしか聞けない、それで聞いている人を魅了し、お金をもらって生きる、という、これ以上格好良い職業はあるのか、とも思う。
もちろん、ジャズプレーヤーといってもたくさんいるだろうから、少なくともチャーリー・パーカーは、ジャズプレーヤーという職業の株を大幅に上げた人間なんだろうと思う。
そういった本格的な演奏が、映画の中で随所に聞ける所も貴重だし、それが描かれている人間ドラマに良いスパイスを与え、作品全体としてなんとも格好良い仕上がりになっている。
チャーリーがトランペットのレッド・ロドニーと二人で話している時、何千回も同じ曲を練習させられたことで、コードの変え方が分かり、同じ曲でも同じ曲にはならない、ことを発見し、それを、チェロキーの橋を渡ったんだ、クリスマスプレゼントだった、と自分が飛躍した秘訣を明かしていた所は、粋で格好良いな、と思った。
最後のシーンでチャーリーの葬式の会場の外の路上をバックに、ジャズと共にエンドロールが流れる所も格好良い。
ジャズこそロックである
ジャズとロックが対立するようなシーンもあるが、ジャズこそ、ロックであり、チャーリー・パーカーの生き様はロックそのものである。
というか、もしかしたら、ジャズという要素の中には、最初からロック要素が含まれていて、ジャズはさらにそのロック魂を昇華させて落ち着いた、ロックよりも深いものなのかも、などと勝手に思った。
しかし、ジャンルがロックであれ、ジャズであれ、その演奏する人によって大分変る、その人が深いかどうか、となってくるので、一概にジャンルの問題ではないとも思う。
ただ、この作品を見ることで、ジャズのその即興性を含めた奥深さに触れる良い機会であったことが、ありがたく思う。
それにしても、チャーリー・パーカーという人間が、これほどまでにお酒や薬物中毒に悩まされた人であったとは知らなった。
女性関係も、妻と子供もいるのに、気に入った女性のお客さんに手を出しまくりで、一緒に演奏していたディジー・ガレスピーに呆れられるなど、まさにクリント・イーストウッドが好きそうな生き様だと思った。
クリント・イーストウッドは、つくづく多趣味というか、こういった黒人文化もよく理解して描けたり、硫黄島のように当時の日本兵の気持ちをよく分かっていたり、グラントリノの様に口の悪い粋な白人を演じられたり、色んな方面で世界を深く理解して、しかもエンターテインメントを絡めて描けてしまう、スーパー監督だと思う。
こんな監督、人間は他にはいない。
チャーリーの生き様は格好良いのか?
長くて冗長に感じられる所もあるが、観る価値は大いにあるし、観て欲しい。
自分は、チャーリーの演奏の音楽自体が良いと思えたから観れたが、そう思えない人には、退屈この上ないかもしれない。
フォレスト・ウィテカーも特にルックスが格好良いわけでもなく、分かりやすい感動話しがあるわけでもなく、チャーリーの破滅的だが格好良い生き様を描くことに集中した作品と言える。
自分は色んな意味で彼のようにはなれないのでおこがましいが、彼になりたいとは思えない。
ものすごい演奏が出来たからって、34歳で死ぬなんて、と思ってしまう。
ものすごい演奏が出来たから死んだわけではないだろうし、チャーリーから依存症を取ったら演奏が下手になる、とも限らないが。
長生きしていたら、若い時よりもすごい演奏が出来るようになったかもしれないし、その逆で、若い時をピークに腕前はどんどん下がっていったかもしれない。
若くして死んだ、というその切り取り方が、彼の生き様を伝説的で濃いものにしている大きな一つの要因である。
しかし、その人生を駆け抜ける様な濃い生き方には非常に憧れる。
それまで健康だったけど、交通事故で死んだ、のではなく、ある意味自分で破滅に追い込んだ、というのも格好良さを感じてしまう。
そんなことしちゃダメだが、後先考えてない、行き当たりばったりの感じが破天荒で豪快さを感じる。
ただ依存症という病気だった、と言ってしまえばそれまでだが。
しかし、育った環境が薬物に染まりやすい酷い環境だった訳で、元々は彼のせいではないし、黒人差別も酷い時代だから、嫌な気分にさせられることも多かっただろう。
ただの中毒というより、飲まずにやってられるか、という気持ちもあったかもしれない。
なので、やめればいいだけ、バカなんじゃないか、自業自得、などと簡単な言葉では処理できない。
今ほど依存症の治療も進んでいなかっただろうし、今より薬物はまん延していただろう。
なので、ある程度まで癖になったら、もうそこから抜け出すのは至難の業だったのかもしれない。
チャーリーは仕事はすっぽかしたり、腕前が下がったりしたけど、暴力を振るって暴れたりしないだけ、まだマシなんだろうと思う。
周りもどうやめさせればいいのか分からないだろう。
しかし、本当の理想は、そんな抜け出せない負のスパイラルから抜け出し、より音楽家として、人間としての高みにいくということだ。
それは娘の死なのか、仲間に叱咤されたのか分からないが、とにかく何かをきっかけにして抜け出し、より演奏を追求して、とんでもないサックスプレーヤーになることだ。
若くして伝説的に死ぬより、深くて良いストーリーだ。
残念ながら、チャーリーにその道は残されていなかった。
娘の死でも止められないんだから、もう誰がどうすることも出来なかったかもしれない。
チャーリーの演奏は薬物で得たものではない
このチャーリー・パーカーの事件以降、薬物に手を出す音楽家が急増したらしい。
しかし、映画ではチェロキーの橋を渡った、何千回も同じ練習をさせられた、と言っているように、チャーリーは常軌を逸した練習魔であったとされている。
24時間練習していた、という仲間の証言もあり、その膨大な練習量に裏打ちされた芸であり、決して薬や酒の力を借りて良い演奏が出来た訳ではない。
誰もそこまで練習したことがないくらい練習していた訳だから。
もしかしたら、晩年は演奏のモチベーションは酒や薬を得るため、良い演奏をしたらそれにありつけると思って楽しくなり、それが演奏に出ていた、といこともあるかもしれない。
そうなると、酒や薬は少なからず演奏に関係してはいる。
演奏技術自体は彼の努力によるものだろうが、晩年精神はもう境目がないくらいそれらとズブズブになっていたのかもしれない。
ともあれ、ものすごい量練習していたということを偉そうに言う訳でもなく、そもそもあまり言わず、そう感じさせない立ち振る舞いは格好良い。
彼が語り継がれるゆえんは、早熟で死んでいったからだけではない。
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