日本人は演技が下手!
日本人と外国人には演技に違いがあります。
日本人と言ってもひとくくりに出来ませんが、ドラマや映画など見ていても明らかに違う。
これは一体何からくるものでしょう?
特に最近の邦画は正直見るに堪えません。
日本人は、他の国の俳優と比べても明らかに演技が下手です。
面白い映画は、この俳優は演技をしているんだ、ということをすっかり忘れさせてくれます。
演技なんだか本当にやっているんだか見分けがつかない、というところまで見ている側を引っ張っていってくれます。
一方邦画や日本人の演技は、明らかに演じようとしているというか、演技のための演技をしてるにすぎません。
これはアメリカの俳優学校アクターズスタジオで言われている、いわゆる「スタンプ」というものです。
本当に自分が役になりきっているわけではなく、この役だから多分こうするだろう、という根拠のない真似事。
これは見ていてもすぐに分かるもので、どんなに良いストーリーでも決して感動するということにはなりません。
いくら俳優は虚業と言っても、その中に真実を見せてくれるからこそ、普段日常では体験できない世界がさもあるかのように感じられ、感動するんだと思います。
昔はともかく、現在の日本人俳優の演技は本当に虚しか感じられないものがあまりにも多すぎると思います。
外国人が上手いというよりも、日本人が下手だという気がしてなりません。
なぜそうなってしまったのでしょうか?
同じ日本人として恥ずかしいやら悲しいやら・・・腹立たしい思いすらあります。
考えうる理由を上げてみたいと思います。
そもそも規模が違う
そもそも作り込む規模が違うので、気合の入り方が違います。
日本のトップ俳優がドラマ1話のギャラが200万円だとすると、アメリカのトップ俳優のギャラは5000万円から1億円くらいです。
1話でこの金額ですから、気合いの入り方は尋常じゃないかもしれません。
特に英語圏でヒットしたものは世界でもヒットする可能性もあるので、これだけのお金をギャラにかけても採算はとれるのかもしれません。
いくら日本でヒットしたからと言って、言葉の違いもありそのまま海外に持って行けるわけではないので、即世界がマーケットになるという訳ではありませんから。
しかし、日本人が莫大な金額をもらえるからと言って、急に演技ができるようになるとは思えませんが・・・。
文化・性格が違う
海外の国の人たちは感情を表に出すのが普通ですが、日本人はあまり表に出さないのが美徳です。
日本は察する文化と言われ、あまり感情を表ざたにせずに相手とコミュニケーションを取ります。
それはもちろん、サービスなどでは世界一優れていたり、良い面もあるのですが、感情を出すというやり方を文化として育んでこなかったのかもしれません。
日本人特有の恥ずかしいという感情というか・・・。
恥ずかしさ自体はとても奥ゆかしくて良いもんなんですけどね。
外国人は感情を出しながら会話していくので、特に俳優をやっている訳ではない普通の人でも感情を豊かに出せたりします。
感情を出せるからこそ、それを逆に抑えたりしたときに味があるわけで、そもそも最初から抑えることを頭に入れている日本人は、抑え過ぎているうちに出し方が分からなくなってしまうんじゃないでしょうか?
感情がないのに抑えている風にすると、それはただの嘘になってしまいますから。
そういった文化がきちんと受け継がれていないから、演技の基礎である感情をコントロールするということが不得手なのかもしれません。
しかし、過去には感情豊かでリアルな演技をする日本人俳優もたくさんいる訳で、理由にはなりえない気もします。
土壌が違う
海外では国立の俳優学校や、アメリカではアクターズスタジオのような老舗の名門学校もあります。
大学に学部もあり、国で俳優を育てるという風潮がありますが、日本ではそういう学校があるというのはほとんど聞きませんね。
あったとしても専門学校ばかりで、演技の学部がある大学もあるにはあるみたいですが、本格的に演技を教えるという学校は少ないんじゃないかと思います。
要するに、きちんと演技を教えることが出来る人がいないということじゃないでしょうか?
それもしょうがないことなのかもしれません。
日本は演技に近いことと言えば、古くは能や歌舞伎、猿楽や田楽がそれに当たると思いますが、いわゆる新劇とは一線を画したものです。
リアルに人を演じる新劇と言うものが出てきたのが日本では明治時代なのに比べ、フランスでは15世紀から演劇を行っていたようですから、400年ほどの差があります。
それらのヨーロッパ移民がアメリカにわたり、アメリカでも俳優の文化が育まれていった訳ですから、当然文化として隔たりがあるのはやむを得ないことかもしれません。
名監督がいない!
過去日本にも名監督はたくさんいました。
それこそ黒澤明だったり、小津安二郎や野村芳太郎だったり・・・。
数々の名作を世に送り出している日本人監督もいます。
いくら文化の土壌が違うと言っても、世界に誇れる作品や役者が日本にもいたことは間違いありません。
今現在はそういった、映画に命を捧げている、というような熱い日本人監督はいないんじゃないかと思います。
役者自体の使い方も下手なんだと思います。
いわゆる大根役者もいつの時代もいるもので、洋画でももちろんいます。
しかし、そんな大根役者を名監督はうまく使っていたんじゃないかと思います。
無理させずに出来る役を与えたり、セリフを変えたり、わき役に徹させたりと・・・。
大根役者を大根に見せないのが名監督だと思うのですが、大根ばかりが目につくのは、監督自体が演技を分かっていないか、もともと大して撮りたいわけではないんじゃないかと思います。
監督が演技を分かっていないとしても、役者が「これは違う!」と反論すればいいのですが、役者も演技に関してよくわからないし、「監督が言ってるのだから・・・」と情熱もない。
それを取り巻くプロデューサーやスポンサーなどの関係者もまるで何が良くて何が悪いのか分からないから何も指摘できない。
そして、最終的にはハリウッドの真似事のような、大根だらけの大作が出来上がってしまう。
これでは良いものが出来る訳がないですよね。
日本人俳優に求めること
ちゃんと演技を教えることが出来る土壌がないというのが日本人が演技が下手な原因かも知れません。
しかし、かつて高度経済成長期に日本人は世界に誇れる作品を数々世に出してきました。
それは名監督や名俳優がその時代にいたというのも事実かもしれませんが、もっと良くなるんだ!という熱いハングリー精神がその時代にあったからだと思います。
日本人は感情を表に出さないとよく言われますが、恥ずかしさや照れが出てしまうといったものを、当時は軽く跳ね飛ばしてしまうくらいのエネルギーに満ち満ちていたんだと思います。
普段から感情を抑えていたり、恥ずかしがっている人がキレたらこんなに怖いものはありません。
日本人がまたかつての様に感情を出せるようになったら、世界は度肝を抜くことになるかもしれません。
追い詰められたら強い民族です。
今は実にハングリーになりづらい時代かもしれませんが、芸能関係者はぜひ俳優の育成環境を整備し、世界に通用する俳優を育ててもらいたいものです。
日本人俳優も、日本人独特の気遣いや奥ゆかしさを残しつつ、感情豊かな表現力を身につけてもらいたいと願うばかりです。
コメント
感情の部分ですが私は逆に日本人俳優は感情を出しすぎだと思いますね。
欧米などの俳優はリアルに自然に演じてると思います。
日本の演技は過度に声を大きく、目を見開き舞台演技というかアニメ演技が多すぎる印象ですね。
セリフもそうですね。
日本圏以外の国(特に英語圏)の人が日本のドラマ・映画を見るとやはり演技が過剰でオーバーすぎる声がもっともあがり違和感があるみたいです。
やはり現実と乖離しすぎてるので日本の演技に違和感を感じ下駄に見えるのかと。
おっしゃる通り、日本人の演技は必要以上にオーバーだったりすることが多すぎますね。
感情を出そうとしすぎて逆に嘘の演技になってしまっています。
嘘の演技は空の感情であり、感情が入っているとは言えません。
それは感情が入っている見せかけであり、アクターズスタジオで言われている所の「スタンプ」、紋切り型であり、一番やってはいけないこととして何度も生徒に言い聞かせる教えです。
例えば、狂った人間を演じろと言われて、目をむき出しにして口を大きく開け、手を上げるジェスチャーと共に大きな声を出す、というようなことです。
自分の内部を無視した、こんなものだろう程度の外側のモノマネに過ぎません。
そうではなく、まず内部の感情や気持ちがちゃんとある状態からセリフを言ったり、動きをつけたりするべきなのでしょう。
今のほとんどの日本人俳優の演技は基本的にその「スタンプ」をやっているだけなので、ナチュラルな演技とはほど遠い所にあります。
「スタンプ」が演技だと勘違いしていて、「スタンプ」が日本人俳優の演技のベースになっています。
感情や気持ちが1しかないのに10の演技をすれば当然あざとくて見ていられません。
一方欧米や外国の俳優は、気持ちが1だったら1の演技を、5なら5、10なら10と、そのまま表現できるのでリアルにナチュラルに見えるのではないでしょうか。
逆に、気持ちが10ある状態で1の演技をすると、少ないしぐさに奥深さが出たりと、感情のふり幅があればそれだけ演技のふり幅も広がります。
そのままダイレクトに出すことも出来れば、抑えた演技も出来る。
大元の感情の振り幅が日本人俳優は狭いので、演技と釣り合わずにあざとかったり、逆に物足りなかったりするんだと思います。