映画「エレファントソング(2014)」が“物足りない”理由と考察、その感想

④物足りない☆2

エレファントソング 英題:Elephant Song

監督-シャルル・ビナメ 2014年 100分

脚本-ニコラス・ビヨン

出演-グザヴィエ・ドラン、ブルース・グリーンウッド、キャリー=アン・モス、キャサリン・キーナー、コルム・フィオール、他

映画「エレファントソング」のあらすじ

ある精神病院の医師が突如として失踪したが、その手掛かりは、その医師が担当していた患者のマイケルだけが知っていた。

マイケルは14歳の時に目の前で母親が自殺し、それ以来病院に入院しているが、病院内では手を焼く患者として医師や看護師を困らせていた。

院長のグリーンウッドは、マイケルから真相を聞き出そうと対話に臨むが、嘘か本当か分からないことを言うマイケルに翻弄されてしまうのだった。

“物足りない☆2”理由と考察、その感想

マイケルを好きになれない

精神科医と精神科に入院する患者の会話劇。

面白そうな設定で会話劇と聞いて期待したが、いまいちだった。

中盤までは、マイケルの目的は何なのか、IQの高い異常者なのか、と期待させられた。

失踪した医師と性的な関係を匂わすマイケルとそれを表沙汰にしたくないグリーン院長との会話劇は確かに闘いがあって悪くなかったが、それ以降マイケルの生い立ちが語られたりしてからのラストまではなんだかなあとなった。

終盤でようやくマイケルが本当のことを語り始めた、という感じに見せようとしていたが、マイケルの感じが軽いし嘘くさいので、本当のこと言っているとも信用できないし、大変な生い立ちだったんだ、と感情移入も出来ない。

本当の目的は自殺するためにナッツ入りのチョコを食べる事だった、ということにははっとさせられたが、生きていることに希望が見いだせないと勝手に判断して自殺を選んだとしても、自殺するときに涙を流しているのは邪魔な演出だと思った。

自分が抱えている心の闇など吐露せず、微塵も弱いところを見せないで、いっそのこと最後まで異常者のまま死んで欲しかった。

死ぬ直前に、「だまされたな、先生、ちょろいもんだな」くらいの捨て台詞を履いて、ニヤリと笑って死んでいった方が己の美学を貫いた感じでそれなりに格好良いし、後でどんな生い立ちか後追いで分かるくらいで良かったとも思う。

自己陶酔的なナルシストな死に方が邪魔だし、それに対して院長と看護師長も心を痛めるというのが、サスペンスから一気にくさいヒューマンドラマになってしまった感がある。

こんなに頭が良いんだから、死のうと思えば一人で死ぬことだって出来たはずだし、ローレンス医師が自分に愛情を注いでくれたことも知っている訳だから、それを糧にして生きることも出来る訳で、死ぬと潔く決めたならまだしも、涙ながらに人前で死んでみせるというのは、なんとも未練たらたらでかなりのかまってちゃんというか、止めて欲しいからやっているんだと思ってしまう。

そんな悲劇のヒロインぶるような人間に、すぐに涙を流してしまう院長もまた薄い人間なんだろうと思ってしまう。

それに、マイケルは一体何の精神病なのか分からない。

ずっと軽めの普通の人間にしか見えない。

PTSDはあったとしても、それ以外は嘘をつくのが、病気ということか?

本当に真剣に嘘をついている、という場面がないので、ただ遊ぶためにふざけて嘘をついているようにしか見えないので、それは病気でも何でもない。

もし、このマイケルの軽い感じではなく、もっと落ちたトーンでナチュラルに嘘をついていて、何が本当かウソか判別できない、という演じ方であれば良かった。

院長が無能すぎないか?

マイケルに騙される院長が色々と穴だらけなので、この院長は一体何なんだろうと思う。

5年も入院している患者のカルテも読んだこともないし、死に直結するアレルギーも知らないって、そんなことがあり得るか?

マイケルの話は嘘くさいのに、それにすぐ振り回されてしまう。

まだ転属されて赴任したばっかりで、看護師長はマイケルのことをよく知っているけど、院長はほぼ何も知らない、という設定であればまだ成立したようにも思うが。

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