ライフ・オブ・デビッド・ゲイル 英題:The Life of David Gale
監督-アラン・パーカー 131分 2003年
脚本-チャールズ・ランドルフ
出演-ケヴィン・スペイシー、ケイト・ウィンスレット、ローラ・リニー、他
映画「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」の簡単なあらすじ
雑誌の記者ビッツィー(ケイト・ウィンスレット)は、暴行・殺人容疑で死刑を待つ元大学教授のデビッド・ゲイル(ケビン・スペイシー)に、自分のインタビューを取ってほしいと依頼され、刑務所に呼び出される。
冤罪を主張しているデビッドは、死刑反対論者として活動を行っていた大学教授で、同じく死刑反対論者として一緒に活動していた同僚の大学教授、コンスタンス(ローラ・リニー)を殺した容疑がかかっている。
独占してインタビューする代わりに50万ドル支払い、そのインタビューは死刑の三日前から行われる。
その依頼に気乗りしないながらも、ビッツィーはデビッドの話を聞いていくことになる。
死刑反対論者が死刑宣告を受けるという皮肉な成り行きにも、デビッドは落ち着いた様子で、自分のすべてをつづってほしいと語りだし、話はデビッドが大学教授をしていたころまでさかのぼる・・・。
デビッドは本当に冤罪なのか?真相究明に奔走するビッツィー、果たしてデビッドの運命は?
“今すぐ見るべき!☆5”理由と考察、その感想
考えさせられるラスト
最後のどんでん返しとラストで、考えさせられる映画だ。
途中でわかった人もいるみたいだが、自分は最後まで分からず、予想を裏切られた。
考えさせられるし、見終わってざわつく。
死刑制度はダメな制度なのか?・・・と。
考えさせられるが、腑に落ちないところもある。
デビッドが命を懸けて行った行為が、死刑制度への反対の意思を示した、というメッセージだと思うのだが、それはそこまで精巧に練りこんでやればそりゃあ・・・と思ってしまう。
デビッドも自分の口から真相は言ってないわけで。
現実ではそこまでやる目的がなく、結構なレアケースなんじゃないかと思う。
あとは、これはたくさん言われていることだが、冤罪と死刑をごっちゃにしてしまっている。
もし死刑が廃止されたとしても、冤罪はある。
そして、死刑がないから死にはしなくても、罪は受けるのだから冤罪で捕まった人にとっては人生が台無しになりかねない。
警察が冤罪の事件をきちんと捜査出来ていないということが問題で、死刑がなくなっただけで根本は解決しない。
それに、こんなに緻密にだます目的で練り込まれている事件なので、捜査能力がない、警察はずさんだ!とも言いづらい。
そこらへんが、なんかもやもやした原因だと思う。
しかし、考えているとちょっと分からなくなってくる。
デビッド・ゲイルがケビン・スペイシーなので、あの感じの深みに揺さぶられて、自分には分からない考えがあるんじゃないか?なんて思ってしまう。
腑に落ちない、とも言い切れなくなって、やっぱり正しいのかな?なんてゆすられてしまう。
深みのある立ち振る舞いの姿を見ると、仮に言っていることの意味がなくても、意味がないとは言い切れず、なんかあるんじゃないか?と見てるこっちが勝手に右往左往してしまう。
そういう意味でも、この役がケビン・スペイシーで良かったと思う。
下手すると、頭でっかちの主人公になってしまうかもしれないが、ケビンがギリギリそうならないよう引き留めているような感じがする。
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