洋画吹き替えやアニメの声はプロの声優に任すべき理由と考察

こぼれ話

声優とそれ以外の人の声は段違いの差がある

少し前から思っていたことですが、最近洋画の吹き替えやアニメの主人公の声に、いわゆる専門の声優ではなく、若い俳優や女優が担当することをよく見かけます。

自分が借りる洋画は全て字幕で見ているのですが、テレビで放映されている洋画はすでに日本語に吹きかえられています。

タダで見れるものに文句を言うのもなんですが、それをなんとなく見ていて内容に惹きつけられていくうちに、この声優は下手だなと感じることが最近多々あり、吹き替えの声優を見てみると、プロの声優でない役者が演じていたりします。

アメリカで作られたアニメが日本で公開される時、もしくは洋画人気作が地上波初登場の時、プロモーションのため最初から声優ではなく、役者や芸人、アイドルやタレントが主要人物の声を担当するという宣伝もよく見ることがあります。

これは、本当に辞めて欲しい。

声優だろうが役者だろうが、違和感なくすっと見れて、良いものになればそれでいいと思うのですが、プロの声優以外の職業の人の吹き替えは、ほとんどが下手です。

純粋に聞いていて何だこの声は、と気づいてしまうくらいのレベルですから、なぜこういったことが横行しているのか、自分には理解が出来ません。

日本の声優というのは世界でも突出した独自のガラパゴス文化なのに、それをないがしろにして、その良さを理解していない、もしくは衰退しかねないことを放送する側がやり続ける、というのはいかがなものでしょう。

もったいないし、がっかりしてしまいます。

アメリカの間違った真似をしている

なぜこんなことが起きるのか?

単純に、日本人自身が日本の声優の良さというものを理解していないということに尽きるとは思いますが、一つはアメリカの真似をしているということじゃないでしょうか?

元々日本からたくさんのアニメ文化が広がっていきましたが、今やアメリカでもディズニーのピクサーやILMなどがたくさん名作アニメを世に送り出しています。

アメリカでは基本的に日本のような声優というジャンルはなく、役者が兼任していて、有名なハリウッド俳優が外国映画の吹き替えや、新しいアニメの声をやっているということも多々あります。

もちろん有名な役者がやるというのは、ある程度プロモーションもあるかもしれませんが、アメリカでは声優がいなんですから、役者が声優をやるのは不自然なことではありません。

むしろ選択肢がそれしかないからということでしょう。

これをなぜか日本は真似しだしました。

良いものはなんでも取り入れるというのは日本の良さでもありますが、これに関してはかなり盲目的に取り入れたと言わざるを得ません。

吹き替えや声優を、役者、タレント、声優、関係なくオーディションして、たまたま役者やタレントさんが勝ち取ったならしょうがないですが、そうではないでしょう。

声優じゃない方が良くなる、という確固とした理由があればいいですが、なんとなくアメリカもやっているから、自分たちもプロモーションでコンビの芸人を使ったり、話題の役者やアイドルを使ったりと、理由なく真似して流れてしまうテレビ業界に強い危惧を覚えます。

声優じゃない職業の人達も、よく易々と引き受けるもんだなと思います。

恥をかくのは自分たちだと思うんですがね。

むしろ、卓越した吹き替えや声優陣に任せた方が、より作品も面白く感じられ、それが最高のプロモーションになると思うのですが。

日本の役者でもプロの声優に負けないくらいうまい人もいる

アニメの声優で、役者が声をやっているけど、実にうまいという人も中には少ないですが存在します。

例えば、「もののけ姫」で乙事主の声をやった森繁久弥、「ファインディングニモ」のドリーの声の室井滋、「千と千尋の神隠し」の釜爺の声の菅原文太、「アナと雪の女王」でアナの声の神田沙也加など、見事に味があり、はまっている人もいるにはいます。

ジブリ作品に関しては、監督が声優か役者か関係なくオーディションしていますから、これは公平ということでしょう。

ベテランの役者で声優も出来てしまう人は、何も問題ありませんが、役者の中でも本当に数少ない人達だと思います。

ディズニーに関しては、「アナと雪の女王」では神田沙也加だけじゃなくエルサの松たか子も良かったですが、他の作品でなんでこの人が?ということが多々あるので、あまり信用は出来ません。

毎作品ごとに、役者、声優ごちゃまぜでオーディションをやって欲しいものです。

最近の地上波初登場の実写吹き替えは酷い

アニメはまだマシな方かもしれませんが、最近の実写吹き替えは実に引っかかることが多いです。

特に地上波初登場系の、比較的新しい話題作では、声優と比べたらほとんど棒読みに近いくらいの人達がたくさん出ています。

ディズニーは少しですが、変にならない様に向こうから見てくれてる感じはまだあるのですが、その他たくさんの洋画は製作者の目が行き届かない、もしくはある程度自由にやって良いということで起こることなのでしょうか?

もし自由にやって良いという事だとしても、良し悪しも分からずキャスティングするのはいかがなものかと思います。

特にうまいわけでもなく、最近結婚したりしてただ話題になっただけの役者が主人公の声優をやっていたり、声優の絶妙な声の表現を昔に知ってしまっているだけに、実に苦痛です。

タダで放送されているので、無理に見る必要はないんですよね?

もちろん自分で借りて見てもいいのでしょうが、昔のような洋画が始まるわくわく感というのは、もう感じられないのかと思うと寂しさも感じます。

逆に言うと、いかに日本の吹き替えや声優の人達が、作品の面白さにプラスアルファで楽しさを提供してくれていたのか、ということがよく分かります。

ルパンの山田康雄は亡くなってしまいましたが、ジャッキーの声の石丸博也や、スタローンのささきいさおや玄田哲章も若くはありません。

大塚明夫や山寺宏一はまだ50代ですが、味のある吹き替え声優陣は高齢の方が多いのは確かです。

声優は普通の役者に比べて高齢でも若い役を演じることが出来るので、まだまだ活躍できることだとは思いますが、もしこういった方々がいなくなってしまい、棒読みに近い役者だらけの吹き替えになってしまうと思うと、寂しすぎる。

上記のレジェンド達だけをキャスティングしろと言っている訳ではなく、感情表現豊かではまっていればそれでいいんです。

ただ彼らがやってきたことが重厚過ぎて、比べものにならないと肌で感じてしまうというだけです。

夜の映画娯楽文化の危機

声優は普通の役者よりも演じられる年齢の幅や役数が多く、選手生命がかなり長いがゆえに、代わりとなる若い人が必要とされないという特殊な実情もあり、後進が出てきづらいというのもあるのかもしれません。

これはもしかしたら、国が文化保存の為に動かないといけないくらいのことなのじゃないでしょうか?

しかしそれはそれとして、吹き替えやアニメの声優をプロに任せる、もしくはオーディションで選ぶという事はやるべきです。

今はネットが普及して、ネットでも簡単に映画を見られる時代になっているがゆえに、テレビで映画を楽しみにするという時代ではなくなってきているのは確かかもしれません。

それでも、小さい頃に見た感情豊かな洋画の吹き替えや、味のあるアニメ声優のセリフなど、強烈な印象で、今でも心に残っているものがたくさんあります。

せっかくテレビがあり、映画やアニメを放送できるのですから、そういった体験を若い世代が出来なくなってきているというのはなんとも残念です。

というか、自分もまだまだ体験したいです。

警鐘を鳴らし続けたい。

テレビ関係者は一体何を考えているんでしょう?

追記:昨今の声優ブーム・起用法に思う事(2023/04/11)

アニメのヒットで声優が一躍表舞台に、だけどまだまだ足りない

最近、鬼滅の刃や呪術廻船などアニメの爆発的なヒットにより、テレビで声優の人達の活躍が以前よりも飛躍的に増えたと感じます。

CMやナレーション、バラエティー番組に声優の人達が頻繁に露出するようになり、声優というジャンルの人達が、いわゆる俳優と同じか、それ以上の扱いになりそうなくらいの勢いを感じています。

昔から日本の声優の良さを訴えてきた自分としては、ようやく良さが分かってきたのか、と非常に嬉しく感じる反面、まだまだモノづくりをする人たちは彼らの良さを分かっていないという寂しさや怖さを感じます。

なぜなら、未だにテレビで放送する吹き替えの洋画などで、声優がうまくない俳優の声が使われているのをよく目にするからです。

新しいアニメや洋画の吹き替えでも、普通の俳優が使われていることにガッカリ感を感じ得ません。

ああ、吹き替えのキャスティングをする人、アニメの監督ですら、分かっていないんだなあ、と思ってしまいます。

例えば、洋画の吹き替えは、「プーと大人になった僕」の堺雅人や、「ジュラシックワールド」シリーズの玉木宏などは、すごいですよね。

「プーと大人になった僕」は、昨今のアニメブームの前にもう収録していた作品というのもありますが、まあ酷い。

「半沢直樹」の堺雅人は大好きですが、声優としてはめちゃくちゃ下手です。

感情が入ってないし、声が口と合っていない、と見て聞いてすぐに思ってしまうのですが、これを見て本人は全く気付かないのか、かつて見た洋画の吹き替えとかと頭の中で比べられないのか、なぜ仕事を受けてしまったんだろうこの人は、と思うとぞっとします。

これでも、きっと結構なギャラをもらっているんでしょう、怖いですね。

仮に昔に吹き替えした作品であっても、これは酷いと思ったらオーディションして差し替えれば良い。

それをしないということは、そもそもそれに関して疑問を持っていないということ、良し悪しすら判断できていないということなので、八方ふさがりですね。

ジュラシックワールドの玉木宏は、なぜかずっと起用され続けているという怖さ。

洋画吹き替えの声優って、結構視聴率全然変わってくるくらいの大事なキャスティングだと思うので、本当に稼ぐ意味でも声優を使った方が良いと思いますが、もう分かんないんでしょうね。

オーディションしたら、声優が勝つに決まってる、もし負けたら、それは選ぶ側が良いものが分からないということでしょう。

そうやって、いつまでもいつまでも質を上げる作業をしないまま、日本の映像作品を作る人達は、波風立てず、こだわる必要のないしがらみを大事にしてなあなあにお金を稼いできて、きっとこれからもそれは続くでしょう。

キャスティングされる普通の俳優たちも、自分にはとてもではないが出来ないから断る、という目がなければいけませんが、それがない人達が多すぎる。

それは、逆もしかりで、声優が普通の俳優の仕事をオファーされた時、それが出来るかどうか考える必要があるとは思います。

この仕事をしないと明日のご飯が買えない、という訳ではない裕福な俳優達が、それよりも明らかに仕事が出来る、有名俳優ほどは稼いでいないであろう声優の人達の仕事を平気で受けている、と思うと、頭が爆発しそうです。

きっと、鈍感だから出来るんでしょうね。

もし、気付いたら恥ずかしくて街歩けなくなるくらいのことをしていると思いますが、彼らはそうではないんでしょう。

演技も芸術で、芸術に正解はない、という人はいますが、彼らは良し悪しが分かっていないだけでしょう。

ピカソの様に、本当は重厚な演技が出来るに、あえて下手な演技をしている訳では決してありません。

見る目のない人達を心から信用せず、声優がやるべきこと

昨今のアニメブームで自分が思い知らされたマイナス面のもう一つは、人気があるから受け入れられたんじゃないか、ということ。

裏を返せば、人気があるものは盲目的に受け入れる人達である、ということです。

それは制作側も視聴者側も両方とも。

制作側は、ブームだから、人気だから、テレビ局だとか制作会社やスポンサー、広告代理店も、なんとなく使っているだけで、きっと本当の所は分かっていなんだろうなと思っています。

だって、声優は昔からずっといる訳で、実際、吹き替えや新しいアニメにも素人の俳優がまだまだいっぱい使われているので。

もちろん、最近の声優はアイドルの様なルックスの人達もたくさん出てきて、昔とはずいぶん変わってきているのは確かですが。

根本的には、あまり分かっていない人達だろうから、昨今のブームに後押しされて、もう安泰だ、と思うのはまだまだ早いんだろうと思います。

それは、見る側も、流行っているから好き、というだけで、本当に「良い」と分かっている人達がどれだけいるのか、と思ってしまいます。

日本人って有名な人とか、流行っている人、テレビに出てる人はちゃんとした人だ、と思いがちな人達ですもんね。本当の質はすっ飛ばして。

制作側にも、仮に人気がなくても無名でも、良いから使うだけだ、文句あるのか、という見る目のある良い独裁者がいない。

だから、きっとそのうち下火になる、と思っておいた方が無難です。

そうなった時に、腹が立たずに済みます。

だって、映画界だって、黒澤明がいたのにこのざまですから。

じゃあ、声優の人達は手をこまねいているだけか、というと、決してそうではなく、呪術廻船や鬼滅の刃のような、爆発的にヒットするようなアニメを世に送り出し続ける、ということが必須だと思います。

普通の俳優とこんなにも質が違うのか、というのを示し続けるしかないと思います。

これでもか、これでもか、と示し続ける、それはきっと数年で解決するものではない、終わりのない闘いだと思いますが。

今は、声優の人が直接アニメを作っている訳ではないですが、声優の人達も制作に関わって行く世界が必要なんじゃないかと思います。

それこそ、俳優が監督になって映画を作る様に、声優の人達がアニメやテレビ制作に関わる、それは技術的にも、運営的にも。

キャスティングする側に声優の人がいれば、さすがに声優より劣る俳優をアニメや吹き替えには使わないでしょう。

もしくは、元声優の人達に制作側の偉い地位に行ってもらうとか。

いくら、俳優よりも声優の方が声のスペシャリストだ、って声高に言ったって、分からない人には何もぴんと来ない。

だから平気で俳優が声優もどきをやってしまいます。

なので、声優の人達も自分たちの力を示し続けるためにコミュニティーを強固にして、もっとみんなで怒っていって欲しいです。

良いものが評価されないというのは、芸術に対する冒とくです。

それは声優のみならず、俳優やお笑いや、その他芸術全般に言えることですが、今の日本の俳優やお笑いの世界は酷くなってしまったので、せめて声優だけは頑張ってほしいです。

俳優を全て排除しろと言っている訳ではない

以前にも書きましたが、俳優でもしっくりくる声優の人はとても好きです。

なので、俳優を全部声優に変えろ、と言っているのでは全くありません。

魅了される声であれば、それが俳優だろうと声優だろうとどうでもいいです。

ただ、魅了される声が声優の方が圧倒的にパーセンテージが高い、ということです。

乙事主の森繁久彌とか、ドリー役の室井滋とかは、めちゃくちゃ良いです。

ミニオンズのグルー役の鶴瓶は、悪くないですが、正直微妙です。

明らかに棒読みで、それを独特の味でカバーしていますが、カバーしきれていないと思うので、これはもう声優の人にやってもらった方が良いと思います。

質で言ったら、鶴瓶さん、ぜひ次もお願いします!というほどではないでしょう。

声優の人に、鶴瓶さんみたいにやって欲しい、とお願いして訓練してもらったら、鶴瓶風の棒読みでない完成度の高い声でやってくれるでしょう。

だけど、棒読みでもキャンペーンとかで鶴瓶を映画のプロモーションで使いたい、棒読みはなくなく目をつぶって・・・とか考えたらもうブレブレです。

最高の作品を作ることが最高のプロモーションだと思うんですけど、そこは目先ばかり優先して、下手な有名俳優(鶴瓶はまだマシな方)ばかりを新作映画の吹き替えに使っちゃうんでしょう。

でも多分ほとんどが、きっとそこまで考えてない、下手だとも分かってないと思いますが。

ちなみに、アルフの所ジョージは棒読みが絶妙にアルフに合ってました。

なので、自分が言いたいことは、良い声が聞きたい、ということだけです。

そのためには、やっぱり声優の人達に頑張ってもらわなきゃ、ということです。

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