映画「エブエブ(2022)」を“観て損はない”理由と考察、その感想

③観て損はない☆3

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス 英題:Everything Everywhere All at Once

監督-ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート 2022年 140分

脚本-ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート

出演-ミシェル・ヨー、キー・ホイ・クァン、ステファニー・スー、ジェームズ・ホン、ジェイミー・リー・カーティス、他

映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」のあらすじ

中国系アメリカ人のエブリンは、何かと手を焼く頑固な父や思春期の娘、心優しいが頼りない夫と共に、小さなコインランドリーを経営している。

父の介護、古い機械の整備や常連客の対応など、日々雑多な業務に追われている。

ある日エブリンは、監査のために膨大な領収証を持って税務局に行くが、一緒に来た夫の人格が突如として豹変し、宇宙を守るために協力してほしいと頼まれる。

夫と同じ外見のその男は、アルファバースという他の宇宙から来た、アルファ・ウェイモンドと名乗る。

その宇宙では、ジョブ・トゥパキという強大な悪が、全宇宙に混沌をもたらそうとしていて、エブリンこそがそれを倒せる唯一の存在だという。

訳も分からぬまま、次々と襲い来るジョブからの刺客にアルファ・ウェイモンドと一緒に闘うエブリン。

やがて、エブリンの前にジョブ・トゥパキが姿を表すが、その姿は娘のジョイと瓜二つだった。

観る前の勝手な予想

通称エブエブと呼ばれる、アカデミー賞を取ったこの作品。

詳細な話は分からないが、宇宙とつなががったぶっ飛んだ話らしく、変わらない日常が非日常になるような話で面白そうだと思った。

めちゃくちゃ面白いかどうかはわからないが、きっと人におススメ出来るくらいの面白さはあるんじゃないかと思った。

”観て損はない☆3”理由と考察、その感想

序盤からガッツリのSF、これはただの比喩か?

自分の予想に反して、序盤から思っていた以上にガッツリのSFアクションで、最終的にはまた普通のドラマに戻った。

始まって1時間を超えて、ようやくそのSFの仕組が理解でき始めたが、その仕組みが分かってもなお全体の話が訳が分からず、1時間半過ぎるまではほとんど面白くなかった。

マルチバースという複雑な宇宙の概念を持ち出し、全体のストーリーもよく分からないのに、時にコメディがかった演出で見せていく最初の一時間は特に地獄だった。

物理オタクとか、カンフーオタクが作った、頭でっかちな作品なのかな、と白い目で見ていて、きっとこのままいけば、めちゃくちゃつまらないだろうな、と思わされたが、終盤でかなりまくられた。

マルチバースがどうとか言っているが、要するに、アメリカで暮らす中国人家族が、自分の心と向き合い、家族同士お互いを理解して受け入れるという話し。

家族内の不和、思春期の娘や頑固な父と折り合いが合わない、旦那の良さが分からない、それをどう克服していくか、という普通のドラマを、壮大なSFを交えることによって、全く普通ではなく観せている。

一見SFで、実は壮大な比喩を使ったごくごく普通のヒューマンドラマである、と思いきや、やっぱりSFであった、と思う。

エブリンが最終的に旦那の良さを再発見し、娘との向き合い方を見つけられたのは、やはり普通の生活をしていたら無理で、そんな俯瞰的な視点を得られたのは、他の宇宙を体験したからこそだろう。

だから、この作品はSFである。

難しい設定の世界観、マルチバース、バースジャンプ

この作品では、マルチバース(多元宇宙論)という宇宙物理学の仮説が使われていて、普通に暮らすエブリン以外に、他の宇宙に暮らすエブリンがたくさん出てくる。

マルチバースとは、我々が暮らす900億光年の広さのある宇宙以外にも、無数の(何百、何千、何億あるかも分からない)宇宙がこの世には存在しているという仮説で、現代の科学では証明するのが不可能な仮説である。

ところが、この作品の世界では、他の宇宙の自分の意識にリンクすることができて、他の自分の人生を体験でき、感情も感じられて、その人の特技も使うことが出来る。

それは、アルファバースという宇宙に住むエブリンが開発したもので、特殊な器具を耳につけて行う、バースジャンプと呼ばれる方法である。

バースジャンプは、指示された変な行動をきちんと行うことで条件が整い、耳の器具のボタンが緑になったら、それを押すことで転送が可能となっている。

エブリンはこれを使って転送を繰り返し、カンフーの達人の自分や料理が得意な自分の特技を借りて、ジョブの刺客と戦っていく。

要するに、パラレルワールドの自分の特技を使えるということだ。

ただ、宇宙の数がいくつあるのかわからないが、もし無限に近い数があるとすれば、全員このバースジャンプを使えばジョブのように最強になることが出来てしまうので、戦闘能力に個体差がそこまで出るのか?と思う。

アルファ・ウェイモンドいわく、エブリンは、人一倍色んなことに挑戦しては挫折しているので、その分誰よりも枝分かれした自分がたくさんいて、そういう可能性がたくさんある人ほど、より多くの自分を持つから有利らしい。

じゃあ元々たくさん宇宙があるのではなく、自分の行動の分岐によって新たな宇宙がたくさん生まれるのか?じゃあ人の意志によって宇宙が生まれるのか?人が宇宙を生むことなど可能なのか?とか考えると、もう訳がわからなくなってきた。

それに、特技を借りるといっても、看板をくるくる回す特技を借りたところで、それがなぜ相手と闘うことに結構役立つのか分からない。

料理人の能力だってなんだって、カンフーの達人であるというベースがなければ、その狭い能力だけで相手を圧倒し続けるのは無理だと思う。

一瞬借りる、とかじゃなくて、数分借りて敵への攻撃が成功してしまっているので、それはもう料理人じゃなくて全部カンフーじゃないか、と思ってしまう。

じゃあ一回使ったカンフーの特技は体で覚えてるのか?、カンフーと料理と同時に能力を組み合わせられるのか?と疑問がわくが、きっとそこまでは設定されていない。

これ以上考えても、この作品が伝えたいことからは外れる気がするので、もうやめよう。

とにかく、エブリンは、パラレルワールドの自分になれて、その能力を使えて、無数の自分を経験することによって自分の浅はかさや夫の本当の気持ち、ジョイに対する思いに気づくことができた。

急に生活感あふれる泥臭い日常から、助走なしでいきなり他の宇宙とつながるという発想は非常に面白い。

この宇宙だって実は不思議の塊なんだから、こんなことが起こるのはおかしいとは誰も言えない。

ただ、上でも述べたように、この難しい設定と、不明な全体のストーリー、独特のユーモアセンスが絡まって、最初の1時間はすごくきつかった。

というか、1時間でもうあきらめた、ああ、きっとこれは感覚映画なんだ、と。

「鉄男」みたいな映像を長々見せられている様な気分になった。

しかし、1時間半を過ぎてようやく面白くなってくるので、きっとそれまでに脱落する人は多いかもしれないが、せっかく見たなら最後まで見た方がいい。

その後を見ないのはもったいない。

なんでもありのジョブ・トゥパキ

ジョブ・トゥパキがエブリンの前に初めてちゃんと姿を現した時、手に卑猥なものをもってポーズしている所なんか、確かに、堂々としているから格好良く見えなくもないし、ユーモラスだが、安易な気がするのでいらないと思う。

家族で見ていたら気まずいこの上ない。

指がソーセージになっている宇宙の世界もあり、その世界では、はるか昔に指が普通の猿が、指がソーセージの猿にやっつけられて進化の仕方が人間と変わったということのようで、それが2001年宇宙の旅のパロディとして描かれている感じなど、軽い効果音も相まって、コメディ感が強い。

ジョブ・トゥパキが一瞬で色んな人間に変身したり、ベーグルが世界を飲み込むとか、そういったふざけた感じが序盤では特に鼻に付く。

設定が難しい世界観の訳の分からなさと、そういうふざけている感じのダブルパンチで、観ていて萎えて来る。

序盤が訳わからない理由は、終盤で重要になってくる現実世界(この宇宙)でのエブリンと家族の関係が、序盤ではさらっとしか描かれていないからである。

エブリンは雑務に日々追われているありがちな一般市民だが、娘、父、旦那に対してそれぞれ、あるあるではあるが根深い、簡単に解決できない人間関係の問題を抱えている。

それは、自分に対してすら、自分のことをよく分かっていないということも含め。

そういった家族間の問題が本当はこの映画の主題であるが、それは序盤であえてさらっと描くことで、ジョブ・トゥパキの目的を不明にし、展開を予測させないようにしたんだと思う。

最初で、ジョイがタトゥーを入れ、都合の良い時にしか家に帰ってこず、太っていて、父には言えない恋人関係をジョイが持っていることに対してエブリンがよく思っていない、という描写をたくさん入れたら、ジョブ・トゥパキの目的も予想できそうだ。

後で分かるが、ジョブ・トゥパキはジョイそのものだった。

ジョブ・トゥパキがエブリンの前に姿を現した時、ウェイランドが、「逃げろ、理屈は通じない!」とエブリンに叫んでいたが、これはまさに思春期のジョイには理屈は通じないということだろう。

自分も若い頃に、常識だから、というトーンで父や母に何か言われても、モノによっては全く聞き入れなかった。

正しいからなんだ、それを分かった上でやってる、むしろ守ってればいいという考えはつまらない、嫌いだ、というか、その偉そうな言い方が嫌なんだ、という、本当は従わない理由はあるが、向こうからしたら理屈は通じないように見えただろう。

というか、偉そうに言われたら大人だって従いたくないだろうが。

ジョイに対して、いつも説教のようなトーンで話をしてしまうエブリンは、ジョイにとったら、自分の理解者とは程遠いと思うだろう。

ジョブ・トゥパキは、「まだ同性愛を認めないの?」というようなこともエブリンに言っていたし、ジョイそのものであり、エブリンに理解されないイライラが爆発して自暴自棄になって、全てを吸収するベーグルという訳の分からない爆弾のようなものを生み出した。

思春期の頃の心なんて、周りはもちろん、本人だって訳分からないから、この変なベーグルの表現は悪くない。

ただ、現実のジョイは別にそこまで問題児に見えないので、より終盤までジョブ・トゥパキ=ジョイだった、ということが分からない。

そんな、一見そうでもないが実は大荒れな心を持つジョイに、ついにエブリンが本当の気持ちをぶつけた終盤のシーンは涙腺が緩んだ。

エブリンは、こうしなさい、ああしなさいとかじゃなく、あなたのこの行動が嫌いだ、とはっきりと言ったうえで、それでも一緒にいたい、と、普段思ってはいても言葉になっていない本当の想いをはっきりとジョイにぶつけた。

「何か偉大な大きな力が(存在が?)あるなら、私たちが出会ったのは意味がある」という様な言葉を添えて。

ジョイもそれに対して逃げずにきちんと受け止め、エブリンの思いを理解し、2人は分かりあった。

この時のジョイの演技もナチュラルで非常に良い。

エブリンは、ジョイを理解出来たというよりも、ジョイに対しての自分の思いを、自分の今までの振る舞いを客観的に理解出来た、ということだろう。

いかに今まで型にはめようとしてきたか、体系やタトゥーの事を腐したり、目の前でジョイの恋人やジェンダーを否定するようなことを言ったり、悪気なく傷つけることをたくさんジョイにしてきた。

悪気なくというのがやっかいで、直すのは中々難しく、むしろはっきりと嫌い、と意識している方がまだいい。

偉大な~とエブリンが言っていたのも、エブリンが様々な宇宙を旅したから出てきた言葉で、現実の雑多な日常からはいきなりこんな言葉は出てこないと思う。

だから、これはSFで、宇宙の視点で考えたらどんな家族問題も解決する、と言わんばかりである。

ウェイモンドの本当の気持ち

自分が一番心動かされたシーンが、別の宇宙で成功者になっているダンディなウェイモンドから、エブリンへ本当の気持ちを伝えたシーンだ。

「君は自分のことを戦士だと思ってるよね、僕も戦士だ、僕も僕なりに戦っている、君とランドリーと税金をしたかった」とウェイモンドがエブリンに言うのだが、普通の宇宙のウェイモンドの気持ちを代弁していてとても良かった。

普通の宇宙では、ウェイモンドは国税庁の監査官と話をして、エブリンが暴れたことを許してもらっているところだ。

楽観的に見える人だって、実はただ陽気なだけじゃない、という深さを感じさせられた。

その後の、エブリンがウェイモンドと過ごした時のたくさんの映像が流れるのも相まって、涙腺を刺激された。

エブリンはその別の宇宙ではカンフーの達人で映画などに出演し、成功してセレブになり、同じくその世界で成功者になったウェイモンドと出会って、そのウェイモンドに好意を寄せるが、その世界のウェイモンドはあまり興味を示さず、取り合ってくれない。

エブリンからしたら、普通の世界の二人よりもレベルが高い、キラキラした二人の方が良い、お似合いだ、と感じていたのだろうが、ウェイモンドは逆だった。

むしろ、泥臭い日常、税金の処理に追われながらも小さなランドリーを経営する生活がしたかった、というのはなんとも格好良い。

普通の世界のウェイモンドは一見頼りないが、愛想を振りまき、敵を作らないように家族を守ってきた。

離婚届をエブリンに渡そうとしていたのだって、離婚を話し合えばより仲が深まると聞いたからで、だれよりも家族のことを考えているとも言える。

監査官を説得したように、エブリンの知らない所で、ウェイモンドはいくつも問題を解決してくれていたかもしれない。

この体験がなければ、ウェイモンドが実は私をずっと支えてくれていたんだ、とエブリンが気付くのは、ウェイモンドが死んでからかもしれない。

だけどエブリンは、幸運にも他の宇宙を体験できたから理解することが出来た。

実は身近にいた空気みたいな人が一番支えてくれていた、というのはありきたりなメッセージだが、別の宇宙の存在(ダンディなウェイモンド)から語られる、というのが新鮮で、あるあるだな、とは思わなかった。

ウェイモンドの人柄も良いのが伝わってくる。

キー・ホイ・クァンが普通のウェイモンドもダンディウェイモンドもどちらも演じられるのはとても良い。

どちらかというと、ダンディウェイモンドの方がキーの素に近くナチュラルで、普通のウェイモンドの方が少し演じているように見える気がするが、引っかかる訳ではない。

エブリンの本当の自分らしさとは何か?

エブリンがなぜ監査官のディアドラがコインランドリーに押し掛けた時に、バットで暴れたのか最初はよく分からなかった。

そもそもビジネスをやってるのに、ちゃんと税金の申告をしないのはダメだろう。

いくら煩雑で訳が分からなくても、アインシュタインがこの世で一番難しいのは税金だ、と名言を残すくらいややこしくても、やらなくてはいけないものだろう。

ウェイモンドが監査官のディアドラに耳打ちしたのは、実はエブリンがADHD(注意欠陥他動性障害)である、ということを伝えたらしい。

だからって、やらなければならないものは変わらないし、自分らしくなるのが現実を放棄する、というのはずいぶんと浅い。

と思っていたけど、きっと、それが人間だ、ということなんだろう。

自分の中だけの狭い世界で、これが自分だ、と決めつけたものなんて、所詮浅いものが多いかもしれない。

他の宇宙で、エブリンが思い描く理想のエブリン、セレブのエブリンも間違いだった訳で、あっさりとダンディウェイモンドにふられている。

これが自分だ、見つけた、と思った自分ですら間違っていて、そんな浅い自分をウェイモンドが包み込んでくれて、自分の浅はかさ、ウェイモンドの良さに気付けた、ということなんだ、と思った。

そう考えると、エブリンがバットで暴れたのも必要であった、と思える。

結局自分の存在なんて他者との対話があるから確認できるだけで、他者との対話を無視した単独の自分なんて存在しないも同然、あってないようなものだ、とでもいわんばかりである。

自分を戦士で、頼りのないウェイモンドを、言うことを聞かない娘を自分が支えているのだと、独りよがりに思っていたエブリンは、家族との対話を無視して来た。

それは本当の自分らしさではないし、かといって全てを投げ出したところでそれも違う。

独りよがりだったエブリンは、他の宇宙を体験することによって、どうすべきかが理解でした。

もしそうであれば、一見めちゃくちゃだが、これは必要な描写だし、実に深いメッセージだと思う。

非暴力で敵をなぎ倒すエブリン

終盤で、エブリンがウェイモンド流の闘い方で、階段にいる敵をつぎつぎと平和的なやり方で倒していく所は、悪くはない、言いたいことは分かる気もするけど、よく分からなかった。

なぜ、敵が他の宇宙で抱えている心の傷や現実的な問題を解決すると、今のこの宇宙の敵の心が満たされるのか、戦う気を無くしたのか分からない。

次々と暴力でない方法で敵をなぎ倒していく様は確かに格好良い、感動しかけた。

だけど、感動できそうでなんじゃこりゃ、と思ってしまった。

エブリンが、メガネの真面目そうな男性のお尻を叩く所なんて特に。

しかし、もしかしたらこのシーンは、ウェイモンドが少し前に言っていた、「みんな混乱しているから争うんだ」ということに尽きるのかもしれないと思った。

自分の心のどこかに、自分でも知らない強い引っ掛かりがあり、それを取り除かれたら誰も暴力など振るう気にならない、というメッセージかもしれない。

それならまだ分かる。

格闘技などのスポーツを除いて、他人を殴ったり、物理的に傷つけてまで達成しなければいけないことなどこの世にはほぼ存在しない。

通り魔を始めとする他人への理不尽な暴力は、ほぼ全て自分の人生がうまくいっていないからだと思う。

SNSの、言葉による中身のない誹謗中傷もそうだ。

自分の本当の心の中の引っ掛かりに気付けず、イライラの元に気付けず、他人のせいにして暴力を振るう。

プーチンだって劣等感を隠して、欧米に支配されてしまうと怖がって、ウクライナに戦争をしかけた。

本当に自分に自信があれば、そんなことはしない。

何に怖がっているのかも自分ではっきり分かっていない。

だから、そんな連中はみんなエブリンに、その引っ掛かりを片っ端から取ってもらえばいい。

もしそういうメッセージだとしたら悪くないが、少しメッセージとして単純すぎる気もするので、はっきりはしない。

最終的に別の宇宙のゴンゴンが協力してくれた理由もよく分からない。

敵であったのに助けてくれる、という展開は素敵だが。

現実の宇宙でゴンゴンに自分の言いたいことを言ったから、連動しているのか?

それはエブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス=全てがどの場所でも同時に起こっている、からか?

わからない、私の頭ではここまでだ。

しかさ、きっとはっきり分かることが、この作品が言いたいことの趣旨ではない。

その後の、ジョブ・トゥパキ=ジョイとの他の宇宙も通した長い対話はまだ分かったし、良かった。

ジョイが崖から落ちていくのをただ見ていたエブリンが、一緒になって自分も落ちていく所は涙腺を刺激された。

ここらへんの終盤の怒涛の畳みかけは、意味が分からない所も多くカオス状態だが、分からぬままに涙腺を刺激される。

なんとなく言いたいことは分かる、この映画が善のエネルギーを持っていることは分かるからだ。

細かく考えだしたらよく分からなくても、この映画は何か良いことをしようとしているのは分かる。

悪いやつじゃない。

なので、この作品のメインは間違いなく終盤で、なんども言うように、前半はキツイ。

オススメだよ、と軽く誰かに勧めたら、前半部で不審感を抱かれるか、途中で見るのをやめてしまうかもしれない。

だから、「前半はキツイけど、我慢して。終盤は見る価値あるから」と勧めるほうが良いかもしれない。

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