映画「レ・ミゼラブル(2012)」が“物足りない”理由と考察、その感想

④物足りない☆2

レ・ミゼラブル 原題:Les Misérables

監督-トム・フーパー 2012年 158分

脚本-ウィリアム・ニコルソン、アラン・ブーブリル、他

出演-ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、他

“物足りない☆2”理由と考察、その感想

独特なミュージカルという世界

フランス革命後の王政時代を舞台に物語が展開していくミュージカル映画。

ミュージカルという形態をとってはいるが、リアルに作り込まれた映画仕立てになっている。

ミュージカルとして良い部分もあれば、そうでない部分もあると感じた。

唐突に歌を歌い出すのがミュージカルの見所であり、大きな特徴ではあるが、不自然に感じる部分も多い。

全編通してセットなどではなく、現実世界に近いリアルな映像なので、現実世界に近ければ近いほどその部分の不自然さが際立ってしまう。

一人でいるときに歌う、もしくは大勢で一緒のテーマを歌っているときに歌うのはまだいいが、一対一の会話中に歌を歌い出すのは少し滑稽に見えてしまう。

他人は分からない自分の心の声を歌にするのはまだ分かる。

それは普通の世界や映画では表立って表現されない気持ちの部分や行間のような部分だから、それをわざわざ歌にして見えるようにしているというのは、ミュージカルならではの手法だとは思う。

しかし、普通の会話部分まで歌になっている所は、見ていて邪魔臭く感じ、すっと入ってこない。

相手と白熱した会話中にビブラートを聞かしながら歌い出すというのは、まさにリアルとはかけ離れた動作だ。

会話部分に関して歌を歌うときとそうでないときは、どういう住分けがされているのだろうか?

ここまでリアルに重厚に作り込んでいるのに、ミュージカルにする必要性は何なのかが知りたい。

みんな歌がそこそこ上手いというのも非常に気になるところだ。
音痴で下手な人がいてもそれはそれでロックでいいと思うが、そうすると別物になってしまうのか。

お金を払って舞台を見に来た人は上手い歌を聴きに来ているわけで、それがミュージカルにとっての常識なのだからしょうがないのかもしれない。

ミュージカルというもの自体、人に見られることを意識しまくった見せ方の演目であるがゆえに、リアリティーの追求が必要とされ得る映画というジャンルとうまく融合するのは難しいとも思う。

うまく融合したものがあれば、それはぜひ見てみたい。

思ったより分かりやすい人間ドラマ

レミゼラブルというのものを見たのは初めてだが、ストーリー的にもっと難しい作品かと思っていたが、こんなにもハートフルで分かりやすいハッピーエンドだとは思わなかった。

ハートフルなハッピーエンドが悪いわけではなく、登場人物達の掘り下げが足りない部分が多く、爽快でもなければ素直に祝福出来る訳でもなかった。

意外とあっさり終わった印象で、もっと時間を長くしてもいいから重厚なドラマに仕上げるべきだと思う。

若者の一目惚れがそのまま上手くいくというのはなんとも難しいテーマだ。

マリウスとコゼットは互いの外見に惹かれたんだろう?

もし二人が美男美女でなければ成立はしていないわけで、そう考えると、選ばれた人種のシンデレラストーリーとも言える。

最初に外見で惹かれたとしても、お互いに内面を知りあい、時間をかけて困難を乗り越えて結ばれた訳ではなく、トントン拍子であまりに早すぎる。

献身的につくしたエポニーヌの方がむしろ真の愛なのではないか?
コゼットは確かに子供の頃は酷い境遇だったかもしれないが、大人になったコゼットにその片鱗はなく、なに不自由なく育ったお嬢様のように見える。

影をもって暗く臆病な女性であって欲しいというわけではなく、もしジャンから十分に愛情をもらい、酷い境遇から強くなったのであれば、それは考え方や立ち振舞いに表れるはずだ。

そこらへんは全く描かれておらず、コゼットはまるでお姫様のようだったのが残念だ。

良かったのは理不尽に扱われ続けたジャンが神父の愛に触れ改心するシーンや、ジャンとジャベールの関係だ。

ジャベールはジャンを敵対視しているが、ジャンにしてみたらどうでも良く、むしろジャベールを平気で助けたりする。

ジャベールは自分が持ち続けた信念に疑問を持ち、最後は自分で命を立つ。

立ち振舞いといい、性格的にもラッセル・クロウにぴったりの悪役だったと思う。

死ぬ必要があったのかは分からないが、そこらへんは分かりやすい勧善懲悪だ。

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