英題:Amadeus
監督-ミロス・フォアマン 1984年 158分 180分(ディレクターズカット)
脚本-ピーター・シェーファー
出演-F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス、エリザベス・ベリッジ、他
映画「アマデウス」のあらすじ
かつて宮廷につかえた老作曲家サリエリが自殺を図り、精神病院に運ばれる。
神父が何か懺悔することはないかとサリエリに尋ねると、自分はモーツァルトを殺したと言い始める。
どういうことか神父が尋ねると、サリエリは、モーツァルトはずば抜けた才能に関わらず下品な人間であったこと、その才能に強烈にサリエリが嫉妬していたことなど、モーツァルトと自分の過去を語り始めるのだった・・・。
“オススメ”の理由と考察、その感想
鼻につく天才と常識的な秀才の闘い
中世系の歴史ものっぽかったので、退屈なのかもしれないと思ったが、意外に見やすかった。
ずば抜けた才能を持つ下品な若者作曲家と、それに嫉妬する真面目で常識的だがそこそこの曲しか作れないおじさん作曲家の対比が分かりやすい。
モーツァルトというのがどんな人物か、音楽こそ耳にしたことはあるが大して興味を持っていなかったが、こういう風に描かれると中々面白い。
本当にこんな下品な人間だったかどうかは置いておいて、品のなさが良く表れている演じ方で良い。
笑い方に品のなさが良く表れている気がする。
何が良くて何が悪いかナチュラルに判断できてしまって、お世辞なんか言えず、本当の事しか言えないという体質。
普通は悪くても悪いとは言わずに隠すが、良い悪いの判断が強烈に白黒付きすぎているから、隠すという意味が分からないんだろう。
空の色は現に青いのに、違う色を言う意味が分からないというようなレベルというか。
自分には当たり前すぎるから、それが他人とどう違うのか、若さもあって考えもしない。
サリエリの嫉妬交じりの小ささもよく伝わってくる。
モーツァルトの曲のすごさは誰よりもサリエリが理解できるのに、サリエリ自体はモーツァルトを超すような曲は作れないという苦悩。
サリエリはモーツァルトをライバル視しているが、モーツァルトはサリエリのことを馬鹿にしていて、全く眼中にない。
サリエリは嫉妬している時点でモーツァルトには絶対に敵わなかったんだと思う。
きっと、もしモーツァルトが自分を超えるような音楽を目の当たりにした時、モーツァルトは嫉妬どころか、目を輝かせて、これはすごいと言えるような人間だったんだと思う。
サリエリは良い音楽を作りたいというよりは、良い音楽だと称賛されて名声を得ることに喜びを感じる人間で、根本がモーツァルトと全く違う。
モーツァルトを殺そうと計画して、結局失敗に終わるが、それでも自分がモーツァルトを間接的に殺したと言い張っている。
確かにモーツァルトを追い込んだのに違いないが、サリエリが追い込まなくてもモーツァルトは破滅に向かっていたかもしれない。
仮にサリエリがモーツァルトに協力していた所で、モーツァルトは受け入れられなかった可能性もある。
サリエリは、自分が殺したと思いたいのかもしれないが、自分が何かモーツァルトに関わったという証を作りたいだけで、モーツァルトにしてみたら何にもサリエリに対して思っていないんじゃないかとも思う。
ただ自分が曲を作っている途中で死んだくらいにしか思っていないんじゃないか。
最後に老いたサリエリが病人に向かって罪を許すと言ってまわり、そこでモーツァルトの高笑いが聞こえるが、それはサリエリの懺悔も含めた上で馬鹿にしてるんだと思う。
自分を評価してくれたのは嬉しいが、どうでもいいという様な。
死んでもなおモーツァルトとの差は何も縮まらなかった。
サリエリは本当に償う気持ちがあるのなら、モーツァルトを超えるような曲を作ることに没頭する以外になかったはずなのに。
最後まで曲を作って死んでいったモーツァルトよりも、すっと不幸な人生をサリエリは自分で背負ってしまった。
サリエリは自分でも言っていたが、老いた晩年もまだ凡庸そのものだ。
クラシック音楽がふんだんに流れるので、クラシック音楽が好きな人には好みの作品かもしれない。
人間ドラマは面白く、中々考えさせられるが、長いとは感じてしまった。
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