映画「アメリカン・サイコ(2000)」が“オススメ”の理由と考察、その感想

②オススメ☆4

アメリカン・サイコ 英題:American Psycho

監督-メアリー・ハロン 2000年 102分

脚本-メアリー・ハロン、グィネヴィア・ターナー

出演-クリスチャン・ベール、ウィレム・デフォー、クロエ・セヴィニー、サマンサ・マシス、ジャレッド・レト、ジョシュ・ルーカス、マット・ロス、他

映画「アメリカン・サイコ」のあらすじ

80年代バブル期のニューヨーク、景色の良いマンションに住み、ブランドスーツに身を包んで、友人たちと名刺の出来栄えを競い、毎日有名なレストランに予約を入れる・・・そんな日々を当たり前のように過ごすウォール街の住人たち。

ハーバード大学を卒業し、父親が経営する投資会社の副社長としてウォール街で働くパトリック・ベイトマンは、表面上は華やかな暮らしぶりを取り繕っているが、心の中は満たされず、人を傷つけたいという狂気にとらわれてしまっている。

そんな中パトリックの前に、ルックスも、学歴も、名刺の出来栄えも自分より上回っているポール・アレンという人物が現れる。

ショックを受けたパトリックは、強烈な劣等感と怒りに苛まれ、ある衝動を抑えきれなった。

“オススメ☆4”の理由と考察、その感想

クリスチャン・ベイルの一番のはまり役

主人公のパトリックは自分のことしか考えてないクズであり、女性を下に見ているサイコパスだが、クリスチャン・ベイルは演じているように見えず、パトリックそのもので、とても良い。

キレイに鍛え上げられたマッチョの体で、パックをしたり、スキンケアローションを使い分けたりする最初のシーンは、パトリックがどんな奴か分かってから思い出すとより気持ち悪い。

こんなに気持ち悪いシャワーシーンて中々ないと思う。

これが主人公なんだから。

秘書に対するうわべの態度、店員に対する高圧的な態度、ニコッと笑う作り笑顔、身に付けるものに過度に注意を払い、コースターを置かないのが許せない神経質さなど、どれをとっても天下一品のクズさだ。

クリスチャン・ベイルは本当にそういうやつに見える。

よくこんな役を引き受けたなと思う。

トム・クルーズとかも出来そうだが、引き受け無さそうだ。

パトリックが女性二人に向かって自分の好きな曲の話を延々としていて、女性たちはほとんど聞いていないが、それでも関係なくしゃべり続ける所なんか、本当に変な空気感が流れている。

女性たちの演技も自然で、変なやつだなと思われている空気感が良い。

パトリックは人の心がないから、そんなことには気づけない感じがよく出ている。

これは、一見見た目も格好良いし、お金も持っていて、色んな部分でハイスペックだけど、色んな人から嫌われるだろうな、という感じ。

ここまで極端な例ではなくても、こういう要素を持った人間は必ず身の回りに一人はいる。

大手の一流商社の営業マンなんて、探せばプチアメリカン・サイコがいっぱいいるんじゃないかなと思う。

こういう人間は、本当の意味で絶対に誰かと深い関係になんてならないし、指摘したところで全く理解出ず、自分では普通なのになんで?という壁をよっぽど何かがなければ一生気付けない。

そんな役を見事にクリスチャン・ベイルが演じている。

というか、パトリック的な内面を本当にクリスチャン自体が持っている、誰しも少なからずあるだろうが、クリスチャンは特に強く持っているから、この役が様になっている、というのもあると思う。

クリスチャンは怒って母と姉への暴行容疑で逮捕されたり、ターミネーター4の撮影中に監督がセット内にいたことに腹を立て、監督を4分間にわたって汚い言葉で罵り続けたり、その振る舞いはアメリカン・サイコっぽい。

だから、彼以外に敵役はいないんじゃないかとも思う。

日本でいったらこの役は、少し昔の伊藤英明なんかピッタシなんじゃないかと思う。

クリスチャンはこの作品以降も色々な役にチャレンジして評価されているが、この役以上にはまっている作品はないと思う。

予想を裏切る奇妙なラスト

だんだんとパトリックの異常性が際立つ描写が増え、ついには楽しんでいるかのようにチェーンソーを持って女性を追いかけ、殺してしまう。

それ以降は、ATMの近くにいた女性、駆け付けた警官、ビルの警備員など次々に殺し、ついにパトリックは会社の弁護士のハロルドに自分の罪を電話で全て告白するにいたる。

普通の作品であれば次の日には逮捕され、「猟奇的連続殺人犯はウォール街の長者だった」というような見出しの新聞が出て、同僚がそれに反応して、などというような終わり方だろうが、ばっさりと予想を裏切られて良かった。

というか、最初はよく分からなかった。

ハロルドの反応を受けて、パトリックが自分で語るラストシーンは哲学的で難しく、だからどういうこと?と思ってしまった。

そのラストの意味が、誰もパトリックがしたことなど気にしていない、殺人事件にすら全員興味がない、というか、知覚すらしておらず意識に上がってきていない、という意味だと分かって、面白いと思った。

ウォール街やバブル時代、そこで働く人たちに対する強烈な皮肉で、おかしいのはパトリックだけじゃなかった、というのが良い。

クリスチャンのはまり役のサイコパスという見どころだけでなく、最後も普通に終わらず、良い方にひねった全体をひっくり返す様な終わり方で、作品全体の印象を良い意味で不思議な印象に、このラストシーンで変えてしまった。

思い返してみれば、あの探偵も怪しかった。

明らかにパトリックは尋問に動揺して挙動不審なのに、それ以上全然追求しようとしなかった。

笑いながらパトリックを油断させておいて、どんどん吐かせていく古畑スタイルの調べ方かなと思ったがどうやらそうではなく、最終的に一緒にパトリックとランチした時に、「きっとポール・アレンは自分からいなくなったんでしょう」と結論付けてしまった。

この人も他のウォール街の住人と同じで、内心どうでもいい、調べる気がない、他人に関心がないのだろう。

その時のランチで、パトリックはバレたくないという気持ちよりも、どちらかというとキンボールにもっと追及されて捕まえて欲しい気持ちが強かった。

しかし、キンボールがこれ以上追及してこないのが分かると、パトリックの狂気性が再び燃え上がり、また女性を殺してしまった。

最後のシーンでパトリックがいつものように仲間たちと話していて、ティモシーがレーガンの演説を指さして「一見頑固で無害そうに見えて中身は、、、、」と言うと、クレイグが「中身が何だって言うんだ」と言い、パトリックは「中身は関係ない」と心の中でつぶやいた。

このシーンがこの映画の全てを象徴していて、ここに出てきているウォール街の住人達は、誰も他人の本来重要な中身を気にしておらず、外側しか見ていない。

だからパトリックの表の顔しか興味がなく、裏の顔には興味がない。

殺人鬼でも着飾っていればそれでいい、無意識に本質を見ないようにして済めばそれでいい、ということだろう。

ウォール街と関係のない人達、クリーニング店の店員、娼婦たち、秘書のジーン(ウォール街で働いているが染まってはいない)など、が普通の人達である。

こんな皮肉なラストは中々面白い。

スッキリはしないラスト

正直、スカッとするラストではない。

残虐に殺されてきた女性たちに報いるかのような、明確に大きなバツがパトリックに与えられるわけではない。

逮捕される、殺されるなどではなく、罰を与えられない、という罰だ。

捕まってスッキリしたかったパトリックは、この世界では永遠に処罰されず、それに気づいてしまった彼は罰せられるよりもきつい罰を受けたということになる。

しかし、本当にきついのかな?と思う。

最後のシーンで同僚と話している時、パトリックはテンションが上がって、「お前も楽しめよ!」と楽しそうにティモシーに言っていた。

このシーンはいらなかったんじゃないか?

やっぱり、自分の悪事がばれないことが嬉しいということだから。

パトリックはその後、自分で自分の置かれた状況を分析し、虚無感を感じるかのような告白で幕を閉じるが、その告白もそのシーンによって薄れてしまっている気がする。

それに、ただ告白しただけで、落ち込んでいる訳でもない無感情な感じなので、反省したかどうかなど分からない。

むしろ、みんな関心がないのを良いことに、その後も同じように人殺しは続けそうな気もする。

ハッとして気付いて青ざめていく感じだったら、ざまあみろとも思えたけど、そんな感じでもない。

なので、ラストのクリスチャンの普通にしている演技は物足りない。

結局最後の最後までずっとパトリックはサイコパスだった、成長もなければ、罰を受けた感じもあまりない。

サイコパスに成長など望めないのかもしれないが。

最後のパトリックの顔は、自殺する寸前だったのか?それならまだいい、そう思いたい。

なので、この曖昧なラストがよりこの作品を、他の作品と一線を画するものにしている。

ただえさえ皮肉な例外の終わり方なのに、よりスッキリさせない、殺人鬼よりの終わり方に感じる。

それも含めて皮肉である、とも言うことは出来る。

ただ、最初から実はパトリックは殺人を犯していた訳で、そんな人間を主人公にして、よくこんなに観れるものにしたな、と思う。

シーツの血とか、女性の髪の毛の束を職場で触っていたり、何かを匂わす描写はあっても、はっきりとは分からなかった。

見せ過ぎたらミステリアスさがなくなるので、非常にうまい具合の見せ具合だと思う。

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