映画「ガタカ(1997)」を“見て損はない”理由と考察、その感想

③観て損はない☆3

ガタカ  英題:Gattaca

監督-アンドリュー・ニコル 1997年 106分

脚本-アンドリュー・ニコル

出演-イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウ他

映画「ガタカ」のあらすじ

舞台は近未来。

そこでは、遺伝子操作の技術が進み、生まれながらにして能力や寿命までが判明し、優秀な人間とそうでない人間に分けられてしまう。

人々は自分の子供を、遺伝子操作で優秀な能力に変えて、人工的に出産していく。

主人公のヴィンセントは自然出産で生まれ、寿命も30年と診断され、不適正者とされて生きてきた。

不適正者はまともな職には就けず、日陰の人生が運命づけられている。

しかし、ヴィンセントは宇宙飛行士になるという夢を捨てきれず、必死に勉強し、元水泳選手ジェロームの優秀なIDを買い取って身分を偽装することに成功する。

ガタカと呼ばれる宇宙局に入局できたヴィンセントは、そこでメキメキと頭角を現し、宇宙飛行士候補生として優秀な成績を残していた。

ガタカでは毎日身体検査が行われ、毛髪や血液からも適正者かそうでないかが分かってしまう。

ヴィンセントはジェロームからもらった頭髪や血液をうまく使い、ジェロームになりきり、不適正者とばれずに済んでいた。

そんな中、ガタカで殺人事件が起こり、現場から不適正者ヴィンセントのまつ毛が見つかってしまう。

不適正者が容疑者とされ、局内で捜査が始まる。

今までうまくやりすごしてきたが、パッと見は元の顔とは違うものの顔は整形しておらず、厳しくなる捜査に次第に窮地に立たされていくヴィンセント。

殺人事件の犯人は本当にヴィンセントなのか?身分がばれてしまい、宇宙にはいけなくなってしまうのか?

ID提供者のジェロームとの契約、ヴィンセントの正体を知らない恋人アイリーンとの関係、適正者として生まれた弟との確執。

それぞれの思いが交錯する中、ヴィンセントは立ちはだかる障害を乗り越え、自分の願いを叶えることは出来るのか?

“見て損はない☆3”理由と考察、その感想

宇宙に行きたい理由が抜けている

設定や世界観こそ近未来というSF感が漂っているが、ヴィンセントを中心に、どんどん人間のドラマが展開していく。

適正者・不適正者という設定も、決して邪魔にならず、現代にも通じる理不尽さというものを描いている。

イーサン・ホークの演技、音楽、映像と合わせて全体的に重厚感が漂っている。

イーサン・ホークは顔はどこにでもいそうな感じだが、演技がとても良い。

素のヴィンセントのひ弱さがチラつく感じも良い。

話は、現代でも何か置き換えて出来そうな感じもする。

不正をしてまで自分のやりたいことを達成するのはいいのか?ともよぎるが、それはヴィンセントが住んでいる世界の方がおかしいので、いいんだろう、たぶん。

しかし、宇宙に行きたいという動機を叶えるためには、ちょっと重くなっていく感じがする。

ヴィンセントにIDや血液などを提供する元水泳選手のジェロームは、自殺未遂をしたことから車いす生活をしていて、自分の不遇な思いを全てヴィンセントに託す。

銀メダルしか取れなくて挫折したジェロームの思いを背負って、自分に協力してくれた人たちの思いを全て背負って、ヴィンセントは向かっていく。

しかし、そんなこんなで宇宙に行ったところで、この理不尽な世界や自分の運命は何も変わらない。

それでも、もうヴィンセントは行くしかない、ここまで来てしまったのだから、例えどんな結果が待っていても、という悲壮感をまとっている。

ヴィンセントから、宇宙に行きたい!宇宙が好き!という感じがそこまで伝わってこないのがもったいないと思った。

それがないと、なんか無理やり反対してでも宇宙に行く、ということに焦点が置かれてしまう。

ラストで、ヴィンセントが心から喜んでいる映像、子供のようなうれしい顔を最後に入れちゃっても良かったんじゃないかと思う。

ヴィンセントを送り出した人たちはきっと、ヴィンセントを宇宙に行かすことが目的ではなくて、ヴィンセントが宇宙に行って楽しそうに笑っているのが目的なんじゃないかな?なんて思う。

オリンピックに出るのが目的ではなくて、オリンピックで楽しそうに生き生きとしているのを見たい、というような。

いかにして宇宙に行くかということに着目しすぎていて、なぜ行きたいか?というところが決定的に抜けている気がする。

柔道が好きだから練習しているのではなくて、オリンピックに出るために練習しているというような。

出るための手法や、自分のやりたいことを達成するための哲学なども悪くないが、そこがもっと描かれていればさらに良かったんじゃないかと思った。

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