第三の男 英題:The Third Man
監督-キャロル・リード 1949年 108分
脚本-グレアム・グリーン
出演-ジョゼフ・コットン、オーソン・ウェルズ、アリダ・ヴァリ、他
“物足りない☆2”理由と考察、その感想
味わい深い古典作品
味のある映像でウィーンの美しい街並みを舞台に物語が展開していく。
白黒の映像であり、BGMはシタールの音のみという、良い意味でシンプルな思考のもと作られた感じがする。
古典であり、名作とされているが、自分には物足りなかった。
存在感のある悪役
オーソン・ウェルズ演じるハリーの悪役ぶりが格好良い。
悪事を働いているが、知的でどこか優しげな印象もある感じが、深みのある悪役になっている。
初めて暗がりからホリーに向かって顔を見せるシーンは、遊び心があって面白い。
久々に会う喜びと、自分は生きていると驚かせるような好奇心のようなものが絶妙に混ざった笑顔で、なんとも印象に残るシーンだ。
観覧車でホリーとハリーが語らうシーンは実に緊張感があっていい。
観覧車のドアを開け、ここからお前を突き落すことも出来ると、静かに脅すシーンはぞわっとする。
声を荒げないこういう悪役は深みがあって余計に怖い。
オーソン・ウェルズが味のある悪を演じていることで、物語後半からストーリーにぐっと深みが増す。
二人は果たして友人か?
ホリーとハリーは20年来の友人ということだが、とてもそんな感じには見えなかった。
友人が結構な悪事を働いているのだから、ホリーは真相を知ってハリーと対面した時に、友人として激しく問い詰めて怒ることがあっても良かったと思う。
なぜあいつがあんな悪事に手を染めたのか、という葛藤もほとんど見られず、結構さらっと受け入れてしまうので、内面的な闘いがなく物足りない。
マフィアのボスだろうが、悪事を働いていようが、ホリーとしての友人の目線は変わらない、という態度でハリーに接してくれれば、もっと深い話になったと思う。
ハリーも、友人に久々に会える喜びはあっても、悪事を働いているから引け目がある、という葛藤を抱え、二人で議論を重ね、決別するならそれでもいい。
そうでなければ、なぜわざわざハリーに会いに来たのか?そもそも彼らにとっての友人とは何か?など余計な疑問が湧いてきて、話がそれてしまう。
ハリーは元々悪事を働きそうな人間だということをホリーはうすうす知っていたのかもしれないが、そうであったとしたら、そんな信用ならない人間を友人と呼ぶのもおかしいし、わざわざ会いに来る必然性がない。
あくまで、久々に友人に会いに来たら、突然葬式が行われ、不可解な証言が周りに出てきた、というホリーが動くきっかけになった最初の動機を崩してはいけない。
友人でなければ成立しない話なのに、その関係が希薄であるというのはもったいない。
最後は逃げきれなかったハリーにホリーがとどめを刺すが、確かに粋な雰囲気はあるが、ホリーはその前にもっとハリーと議論すべきだったんじゃないだろうか?
無実な警官がハリーに打たれるのを目の当たりにして奮起したのでは遅すぎる。
確かにハリーを演じるオーソン・ウェルズは味があるが、もっと面白くなったのではないかと思ってもったいなさを感じてしまう。
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