パッション 英題:The Passion of the Christ
監督-メル・ギブソン 127分 2004年
脚本-メル・ギブソン、ベネディクト・フィッツジェラルド
出演-ジム・カヴィーゼル、モニカ・ベルッチ、他
”物足りない☆2”理由と考察、その感想
主人公にもっと深みが欲しい
主人公は理不尽にも罪に問われ拷問に合うが、命乞いをするわけでも、抵抗するわけでもない。
それどころか、「この者たちはなにも知らないのです。この者たちをお許しください。」と祈り出す。
自分がこんな目にあっているのに、怒りを向けずに祈るというのはなんともすごいことだとは思う。
しかし、それも行為で終わっている感じがして、本当に心からそう思えているようには見えない。
本当に神にすがるように何度も何度もお願いしているわけでもない。
主人公が弟子たちに教えを説いているときも、何か非現実的なきれいごとを教え込ませているように見え、うさんくさく見えてしまう。
若いというのもあるが、主人公が優しい人間というのは分かっても、達観した深みというのは感じなかった。
言っていることは名言っぽいことを言うが、中身がおっついていない感じか。
もっと堂々としていて欲しかった
最初の追われているときから主人公は終始おびえているようにも見える。
酷い仕打ちをされているときは、怯えるなというのが無理なのかもしれないが。
それでも自分は何も悪いことはしていないと胸を張り、毅然とした態度を終始貫き、笑う余裕を見せられたりなんかしたら心動かされたと思う。
色々予言を的中させてきた主人公なのに、こんなことになることだけは予想がつかずに、おびえるというのは普通じゃないかと思ってしまう。
こうなるのも分かっていて、堂々としていて欲しかった。
その主人公の強くない態度が、凶悪には結局叶わずひれ伏すしかないというメッセージになってはしまわないか?
この主人公の一連の流れを見て、悪は改心もしないし、弟子たちはさらに学ぶこともなかったんじゃないかと思う。
人の良い青年が理不尽に拷問されたという事実が残るだけで、これが人を動かすほどの戒めや教訓になるとは思えない。
あの人は拷問されているのに何も恐れていない、笑っているぞとなったら、悪も拍子抜けだし、見ている者に勇気も与えるだろう。
見ている者もみんなで立ち上がり、戸惑っている悪をみんなでやっつけるきっかけになるかもしれない。
教訓めいたことと言えばそれは、「この者達をお許しください」と少し祈った部分だけだ。
そこにがつんと重みが凝縮されているならわかるが、そういうわけでもない。
主人公は人間ではなかったのか?
悪が恐れを抱いた部分は、主人公が絶命した後に、天変地異が起きて悪い連中のいた地面が割れた所だろう。
それは主人公の人間性で与えた恐怖ではなく、超常減少もしくは超能力で与えた恐怖であり、それは悪が暴力を使って人に恐怖を与えるのと同じやり口ではないのか?
何も力を使わずに、あくまで生き様や人間性で悪に勝つ所を見たかった。
そうでなければ、今までの教えは一体なんだったのかとなってしまう。
いざとなれば超常現象も操れるし、生き返るとなれば、話が変わってしまう。
自分のような人間でも、普通の人間でもこんな人の様になれるんだと思えるから、人はその人を敬い話を聞くわけで、そんな領域をはるか超え、もはや人間ではなかったとなったら、その人の教えを聞く意味はあるのか、はなはだ疑問だ。
それは教えを乞うという行為から、崇拝するという行為にすり替わってはいないか?
今まで人々が思っていた主人公像とはつながらず、教えを聞いてきた人々は変わらずに接することは出来ないと思う。
そういう意味でも、この結末はもやもやが残るし、怖くも感じる話だ。
もし最後に天変地異が起こらなかったとしても、それまでに主人公の深みや魅力が描かれていないから、それはそれでかなり物足りないものになったと思う。
母の強さ
唯一心揺さぶられたシーンは、主人公がボロボロになって引きずられていく時、母親がたまらず駆け寄って、「私はここにいる」と主人公に伝えたシーンだ。
主人公の幼い頃の回想シーンも相まって、涙腺を刺激される。
辛いときに自分の大切な人が「ここにいる」という事実がどれだけ心強いか。
実に美しいシーンだ。
重厚に演出された作品
古代の建物や人々の服装など、重厚かつ美しく描かれている。
ストーリーとしては人間の理不尽さや集団の醜い心理などが迫力のある映像と共に描かれている。
しかし、やはり物足りなさは残る。
悪側の心理だけでなく、善側の心理描写をもっと掘り下げて描いて欲しかった。
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