映画「龍三と七人の子分たち(2012年)」が“つまらない”理由と考察、その感想

⑤つまらない☆1

龍三と七人の子分たち

監督-北野武 2012年 111分

脚本-北野武

出演-藤竜也、近藤正臣、中尾彬、北野武、他

「龍三と七人の子分たち」のあらすじ

ヤクザの組長を引退して息子の家に居候していた龍三は、オレオレ詐欺の電話に引っかかってしまうが、金が払えないため、自分の指を詰めることで責任を取ろうとし、詐欺犯人は怖くなって逃げ出してしまう。

久しぶりに昔の悪仲間と会おうと思い立った龍三は、もうヤクザを引退しているかつての子分や仲間たちと再会する。

仲間と話しているうち、最近自分たちの身の回りで起きている犯罪は、京浜連合という若い犯罪者集団の仕業だということが分かり、自分達が解決しようと動き出す。

龍三を親分に年老いた元ヤクザたちが、世直しをすべく京浜連合に殴り込みに行くのだった。

“つまらない☆1”理由と考察、その感想

ちょっと期待してしまった

ヒットしているのは知っていたし、予告編でもなんとなく面白そうな感じはしていたが、今まで見たいとは思わなかった。

旧作でレンタル出来るようになったので少し楽しみにして見たが、かなり期待外れだった。

おじいちゃん達の復讐という感じで、爽快な話を期待していたが、全然そうはなっていない。

北野映画独特の張り詰める緊張感もないし、主要人物に人間的魅力がない。

今までは、リアルな空気感や人物描写の中に、独特のユーモアセンスが散りばめられていて、それが滑稽な雰囲気を醸していたが、この作品はコメディありきで作られていてリアル感がなく、ところどころかなりあざとく感じる。

人間的に応援したくなる感じもなければ、老獪な粋さもなく、無理なコメディ要素が満載で、話し自体にも明確な筋がない。

これがそこそこヒットしたというのも、見ている側はみなこの程度で満足なのか、なんだかなあという思いもある。

ヒットしたしないに関わらず、北野映画は好きな作品が多いがゆえに、少しがっかりさせられた。

がっかりというよりも、ああ、もうあの時代は終わったんだと、空を見上げる感じに近いかもしれない。

ステレオタイプな70歳過ぎ

主人公は元組長で、その元手下達と共に犯罪を行うグループと戦っていく。

年齢はみな70歳を超えた老人ということだが、龍三とマサ、モキチを除いては、デフォルメしすぎておじいちゃんおじいちゃんしすぎている。

一人くらいおじいちゃんぽい人がいてもいいだろうが、今の70はかなり若い。

頭もしっかりしているし、性格だって若々しい人は多いし、むしろ若いころにやんちゃをしていたこういう人達こそ、そこまで老け込む人は多くないんじゃないか?

リアルな70代をなぜ描かなかったのか?

おかしさを誘う部分が、そういった無理にデフォルメした老人の取る行動に付随したものが多すぎて、浅く短絡的になってしまっている。

監督自身、龍三と七人の子分たちとは同世代な訳で、年齢よりも若々しい役どころで出演している。

70代の人達がどんな人達か知っているはずなのに、少し誇張しすぎているのはなんとも残念だ。

むしろ、そんなステレオタイプな老人感という、普通の固定概念を監督は壊せるような人だったと思うし、事実今まで様々な既成概念を壊してきた人だし、なぜ老人に関しては一般的な「おじいちゃん」というものに固執してしまったのか分からない。

なめるな、70なんてまだまだ全然じじいじゃない、というメッセージを同世代でもある監督が世間に突きつけるチャンスであったと思うのに。

もし今の70代は若いというのがステレオタイプだとしたら、それを壊すために、今の70代は20代と変わらないくらい若いという無茶苦茶な壊した方だって出来る。

それがやりすぎだとしたら、今の70代は世間が思ってる以上にかなり若いというほどほどの壊し方でも、かなり格好良い作品になったんじゃないかと思う。

きっと、おじいちゃんを使った笑いをやりたかったから、そんな設定にしてしまったのかもしれない。

コメディの匂いが強すぎる

北野監督の作品の中で、これほど分かりやすいコメディ要素が散りばめられた作品は他にないのではないだろうか。

明確に、コメディを取ろうと思って撮ったとしか思えない。

コメディを一番のテーマにするというのは極めて難しいことだ。

今までの北野作品には、おかしい部分こそあれど、それは作品においての良いスパイスであり、それが見せたい軸ではなかったはずだ。

描きたいテーマがあるが、ついついどうしてもやりたくなってしまい、自然とユーモアセンスが散りばめられてしまう。

そのバランスが自然でおかしな雰囲気を醸していたのに、この作品はテーマそのものをコメディにしてしまったことで、結局全体を通して何が言いたいのかという大きなテーマが欠落してしまっている。

リアルな人間描写や緊迫感のある空気がまずそこにあるから、独特のユーモアセンスが際立って見えていたはずなのに、まず最初からデフォルメしすぎた登場人物達が出てきてしまっているので、おかしくなる部分がことごとくずれてしまっている。

いくら笑いの才能に恵まれた監督ですら、真っ向から笑いだけを狙いに行くというのはいかに難しいかというのをまざまざと見せつけられた。

全体を通してリアル感が感じられないだけに、おかしい部分が効いてこないどころか、何を見せたいのかが分からない。

中盤までは遊んでいたが、後半きっちり締めるという訳でもなく、終始散りばめられたコメディ要素が邪魔をして、結末が爽快に感じる訳でもなく、登場人物に感情移入できるわけでもなく、粋さを感じる訳でもない。

むしろ、まず笑いは忘れて、主人公たちの気持ちの部分をしっかりととした軸として、ストーリーとして構築されたものがあってしかるべきだ。

監督ならあとからいくらでもおかしい要素は付け加えられるだろう。

主要人物達に老獪な魅力が欲しい

龍三もマサもそれなりに老獪な所はあっても、魅力的に感じるところは少ない。

老獪な所もたまにあれば、血気盛んな振る舞いをするところもあり、かなりどっちつかずだ。

中身はずっと若々しいのか、それとも基本的に物静かだがいざという時に普通のおじいちゃんと違う鋭い一面を見せるのか、どっちでもない。

どっちかというと中身だけ若々しいという方で行きたかったのかもしれない。

それにしてはおじいちゃんっぽくなってる人も多くて、みなギラつきがかなり足りない。

元組長、元若頭という経験を経て、年もかなり重ねて人間的にも成熟し、無理に事を荒立てることはなくなったが心の奥に刃はひそめている、という方がどれほど格好良かったか。

若い者には力でかなわないから、話術や作戦、知恵で圧倒していき、時には面と向かって勝負もする、そんな老獪な格好良さを勝手に期待してしまっていただけに、かなり物足りなく感じた。

監督のズレ

刑事役で監督は役者として出演しているが、振る舞いがナチュラルでなく、浮いてしまっている。

格好つけているように見えてしまっているので、これならプロの役者を使った方がずっと良かっただろう。

よく、映画監督が自分が作った作品にちらっとでたり、カメオ出演したりすることがあるが、もちろん監督の自由ではあるのだが、この作品に関しては、遊び心を感じる訳でもないし、必要だったという感じもしない。

なんか自分が一番良いところを持っていきたかった、というように感じる。

持って行けてはないのだが、本人は格好良く出来たと思っていそうな感じがする。

自分だって主要メンバーとほぼ同年代なのに、自分だけ格好つけようとしているのがずるい。

自分は違う、おじいちゃんじゃないとアピールし、レッテルを貼られるのを頑なに拒否しているようにも見える。

それは、俺はこんなに若い振る舞いも出来る、と心で思っている証拠であり、それなら同年代の龍三たちだって無理にデフォルメすることなく、ナチュラルな70代を描けば良かったんじゃないか?

徹底的にこき下ろすのが監督の笑いのスタイルだとしても、自分だけ棚に上げて他人をいじるというのはなんとも格好悪いし、浅いいじり方だ。

監督自身、性格的に、重ねた年齢を受け入れられるような人ではないのかもしれなくて、そういう意味でまだ精神年齢が若いとも言える。

まるで若者が、おじいちゃんってこういうものだろうと勝手な想像で作った作品の様だ。

おじいちゃん達をリアルに描こうとするわけでもなく、誰かを代弁している訳でもない。

しかし、本人はそういったズレを全く気付いていないかの様な匂いがこの作品からする。

ワゴンを前にして横並びに演者を立たせるシーンも、ああいったあえて不自然に撮るやり方が監督作品の味であったが、今回に関しては、記念写真を撮っていたのか?と思わせるようなただの不自然なシーンだった。

演者がもし出来ていないのなら、監督は直さなければいけないが、演者が出来なさすぎて妥協しているのか、もしくは出来ていないことに監督が気づいていないのか?

監督は出来なければそのシーンごとやめてしまう様な人だったから、後者なのかもしれない。

昔と同じ感覚で撮ろうとしているけど、出来ていないことに気づいていないとしたら、自分が好きだったころの監督はもういない。

しかし、人間いくつになっても進化は続けていくものだから、これからに期待したい。

進化を続けて、あっと言わせる作品を撮ってもらいたい。

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