英題:Lorenzo’s Oil
監督-ジョージ・ミラー 1992年 129分
脚本-ジョージ・ミラー、ニック・エンライト
出演-ニック・ノルティ、スーザン・サランドン、他
“今すぐに見るべき!”理由と考察、その感想
命を賭けて息子を助けたいという思い
実話を基にした話。
両親が、自分たちの息子が副腎白質トロフィー(ALD)という難病にかかってしまい、余命が二年と告げられてから、その難病の治療に立ち向かう。
現代の医学では、治療法はないことに絶望するが、父と母は決してあきらめずに治療法を探していく。
父は病気のことをどんどん知っていき、終いには自分で研究を始めてしまう。
母は、寝たきりのロレンツォに対して少しでも邪険な態度を取った看護師をばんばんクビにしていったり、ずっとロレンツォを励まし続ける。
こんな強い父と母だからこそ、今まで医者でもたどり着かなかったロレンツォのオイルという治療法を見つけられたんだと思う。
ロレンツォのオイルは実際に病院で処方もされているが、病気が進行した患者には映画のような劇的な効果はないとされている。
それでも、因子をもった発症前の子供になら未然に防げたりするらしく、その功績は大きい。
映画はデフォルメされているようではあるが、それでもそこに壮絶な父と母の闘いがあったことに変わりはない。
父の狂気にも似た執着心で、ボロボロになりながらも研究を続け、ついにはオイルの作成にこぎつける様は、涙腺を刺激される。
もし、自分の父や母が、自分の命のために、こんな苦労をしていたのかと知った時には、嬉しいやらありがたいやら、なんて迷惑をかけてしまったんだなど、色んなものが強烈にこみ上げてくるだろう。
お父さん、お母さん、もう十分だよ、ありがとうと言って、自分は命を絶ちたいという思いもよぎるかもしれない。
それでも、自分に対して諦める素振りを全く見せない二人の姿勢は、はいつくばってでも生きるんだ、せっかく生まれてきたんだから、と背中を強烈に叩き続ける。
最終的には、完治することは出来なくても、ある一つの対処法を見つけた、ということは大きな光だ。
この作品を見ると、医者や医療関係者は、全ての人ではないだろうが、ほとんどがこの両親に比べると熱意が全く足りないだろうことに憤りを感じる。
もし、全世界の医者がこの二人のような熱意をもって望めば、助かる人は大勢出てきて、医療技術は今よりはるかに進歩していたんじゃないかとすら思う。
素人でさえ、熱意があれば人を助けられる。
人を助けたいと心から願った瞬間から、医師免許や知識や技術はなくても、もうその人は医者なんじゃないかと思う。
父と母の壮絶な闘い
父が素人なりに自分で研究し、いざ治療法を見つけたと思っても医療制度や医者の反対で臨床実験が許されなかったり、その上がったり下がったりの壮絶な苦悩がよく伝わってくる。
制度や法律を重視する医療関係者は、もちろん父と母とは温度差があり、時には冷徹と感じさせられる所がリアルに描かれている。
きっと、現実はそんなものなんだと思う。
母も一緒に闘っているが、母も母で24時間の看護に疲れ、時には父と大喧嘩することもある。
そこらへんの苦悩や大変さが、よく伝わってくる。
母は、ロレンツォの看護師を募集するが、態度が悪い看護師を次々にクビにしていく。
ロレンツォに対して、見下したような態度は絶対に許さない。
そんな中、かつての友人だったアフリカの青年オモウリを呼び寄せ、看護師として働いてもらうことになる。
オモウリはロレンツォの変わってしまった姿を見て、アフリカの歌を歌いだす。
何か労いの言葉を掛けたり、抱きしめたりする訳でもなく、歌を歌うというこの表現が、オモウリの雰囲気と相まってなんとも心に響く。
原始的がゆえに、優しさが伝わってくる。
欲を言えば、ロレンツォがどう思っているのか、ということも多少知りたかったと思う。
寝たきりで言葉も発せられないということではしょうがないかもしれないが、この作品は、ロレンツォよりも父と母の奮闘記という感じで語られる。
目線だけで言葉を作ることも出来なくもないから、ロレンツォのその時々の思いが絡んで来たら、より深いものになったと思う。
ロレンツォももちろん感謝していることだとは思うが、父と母の押し付けではないことをロレンツォからももう少し確認したかったと思った。
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