アクト・オブ・キリング 英題:The Act of Killing
ドキュメンタリー映画 2014年 121分
監督-ジョシュア・オッペンハイマー
映画「アクト・オブ・キリング」の簡単なあらすじ
1960年代にインドネシアで起きた、未だに全貌が解明されていない住民の虐殺事件。
それを実行した民兵組織の当事者たちに密着するドキュメンタリー。
監督は民兵組織の幹部から話を聞き、当時の状況を再現した映画を作ってはどうか?と持ち掛け、幹部たちは実際に撮影をしていく。
幹部たちは当時を振り返りながら、自分たちを英雄のように仕立てた映画を作っていく。
しかし、繰り返し再現される当時の凄惨な事件を撮影していくうち、自分たちの行いが果たして正しかったのか、幹部は思い悩んでいく。
“オススメ☆4”の理由と考察、その感想
見ていて腹が立ってくる
プレマンと呼ばれる民兵組織の幹部たちは、悪びれずに自分たちのしたことを武勇伝のように語っていく。
裁かれることもなく裕福な暮らしをし、平気で当時の殺し方を楽しげに再現して見せる。
モラルなどという意識をおよそ飛び越えたその振る舞いに、呆れにも似た怒りがこみあげてくる。
腹が立つのは、虐殺をおこなった当事者だけでなく、それを未だに反省していない知事や副首相、青年団の団長などの政治家たち、当時のことを何もなかったことかのように振る舞う住民たち。
政府もこの問題に目を向けずにずっと放置してきたんだろう。
住民たちに関しては、報復を恐れてあからさまには表沙汰にできないという事情もあるが、それにしても虐殺をおこなった当事者たちに対しての怒りがほとんど見えないということろに驚いた。
プレマンの幹部たちが行っている撮影に参加した住民たちは、本当にその撮影を楽しんでいるようにさえ見える。
インドネシアの現状に驚かされる
虐殺をおこなったマフィア集団の幹部が選挙に立候補する場面があり、インドネシアにおける政治事情もこの作品で垣間見ることが出来る。
住民たちはみな政治には関心がなく、「当選したければ賄賂をよこせ」と候補者に詰め寄る。
候補者の大規模な集会に集まっている住民たちは、みなお金をもらっていて、まるで仕事のような感覚で集会に参加しているという現状。
かつて家族や自分の周りの人間を無残に殺した候補者を立候補させまい、という怒りなどまるでない。
もちろん虐殺を指示した政治家たち、実際に殺人を犯した当事者たちは罰せられるべきだが、そういう連中が、特に自分の目先の生活にしか関心のない住民たちの中に埋もれてしまって、国全体としてモラルという自浄作用が全く機能していない。
貧困の万延や、教育が行き届いていないという問題も根底にあると思うのだが、インドネシアはリゾート観光地でもあり、日本人の自分にとっても比較的身近に感じていただけに、この国の現状には驚かされた。
まだ虐殺の全貌すら明らかになっていなく、報道も大してされず、学校の教科書にも載っていないことだ。
虐殺の当事者や関わった政治家たちも、戦争犯罪者として未だに裁かれていない。
例えるなら、未だにナチスの行いが公になっていないようなものだ。
これを国際社会に公にすることには大きな意味があると思う。
間違いなく命の危険が伴うが、「映画を作ってもらう」という名目でうまく当事者たちの懐に飛び込んだのは、称賛に値する。
人間の価値観とは何か考えさせられる
事件を主導した幹部は、後半になるつれ自分の行いについて葛藤を始める。
明らかにテンションが下がり、時々当時のことがフラッシュバックしたかのように嗚咽を繰り返したりする。
それも、どこか他人の目を気にした振る舞いのように見える。
本当に反省しているとはそんな程度では済まないと、見ているこっちは思う。
その幹部はまだましで、取りまきたちは何にも悪びれた態度も取らない。
ここまで麻痺してしまうということにおぞましさを感じる。
きっと、周りを取り巻く様々な状況も含まって、こんなになってしまうんだろう。
国全体で考えていかなくてはならない、実に根深い問題だと思う。
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