映画「シン・ゴジラ(2016)」が“つまらない”理由と考察、その感想

⑤つまらない☆1

シン・ゴジラ

監督-庵野秀明、樋口真嗣 2016年 119分

脚本-庵野秀明

出演-長谷川博巳、竹野内豊、石原さとみ、大杉連、平泉成、他

映画「シン・ゴジラ」の簡単なあらすじ

東京湾に突如として出現した謎の巨大生命体。

恐竜に似たその不気味な生命体は川から東京に上陸し、街を次々に破壊しながら進んでいく。

緊急の対応に追われた日本政府は、自衛隊を派遣して攻撃を開始するが、逆に反撃され総理大臣を含めた閣僚までも失ってしまう。

窮地に立たされた官房副長官の矢口は、専門家でチームを結成し、アメリカ政府も巻き込んで、大胆な迎撃作戦を実行しようとしていた・・・。

“つまらない☆1”理由と考察、その感想

これがヒットしてしまう日本は、どうかしている

話題になりヒットし、評価の良いこの作品。

旧作になったので見てみた。

少し楽しみにしていたが、予想を思いきり裏切るつまらなさだった。

これがヒット、評価も高いのか…

誰がどう評価しているんだろう?

これが評価されてるこの風潮は一体…これが日本映画の限界なのか…いやただ良い作り手が今はいないだけなのかもしれない…など色々考えさせられた。

ヒットした作品が自分にはちょっと合わないというのは洋画にもたくさんあるが、これは次元が違う。

世界で大ヒットしたタイタニックを自分は好きではないが、ヒットする意味は分かるし、演技など最低限ちゃんとして作られた上で、好きではないと分けられるが、これはもうずっと、ありきたりな表現だが、学芸会をやっているようにしか見えない。

だけどずっと最初から最後までやっているから、製作陣は誰も気づいていないし、俳優も気づいてないからそのやり方を変えないんだろう。

これは酷い。

こりゃ世界から相手にされないのも無理はない。

日本の野球のレベルは高く、中にはメジャーで通用する選手もいるが、わざわざメジャーに行かずに日本で腕を磨く、ということと全く意味が違う。

日本の映画界は圧倒的にレベルが低く、それを自分で気づけていなく、しかもアメリカに憧れていて似たようなことをやろうとしている、という永久に越えられない構図になってしまっている。

自分達は海外にいく必要がないとでも思っているのかもしれないが、大きな勘違いで、そもそも行く実力がないから仮に行こうとしても行けない。

相手にされない。

行く行かないという二択ではなく、行けないという一択しかない。

そこを見ないように見ないように誤魔化してきたのが今の日本映画界だろう。

見ないようにしてきたし、そもそも見る目自体持ち合わせていない。

しかし、自分達は映画を作っていて、俳優をやっていて、洋画に追い越せ追い付け、もしかしたら洋画よりも良いものが出来ていて、ハリウッドからも声がかかるかもなんて、監督、俳優、スポンサーも含めた全製作陣がよぎっている感じがして、非常に萎えてしまう。

日本の監督も俳優もこの程度の表現力しかないのに、どこか落ち着いていて焦っている感じがしない様がより何も分かっていないんだと確信させられる。

皆これで食べれていけるし、別に良いんだろう。

監督も俳優もこれで十分すぎるくらい食べれるんだから、何をどうしようなんて思わない。

学芸会だし、金持ちの暇潰しの趣味程度だし、本気で良いものを作る気なんて根底ではない。

この作品に限ったことじゃなく、最近の日本映画やドラマはほぼこんな感じで、見るたびに色んなことを掻き立てられるから、極力目に入れないようにしているが、これはアニメの監督が絡んでいるし、もしかしたら違うんじゃないかと思ったが、例にもれず悪い意味の日本映画だった。

おかげで言いたいことはたくさん出てくるから、そういう意味では良いのかもしれない。

かつての名作を作り出した日本映画の貯金はもはや遥か前にゼロになり、完全に負債を抱えている。

名監督のDNAなんて悲しきかな誰も継承していない。

しかし、それにも誰も気づいていない。

怖すぎる。

このマイナスで止まったままの悪い意味のガラパゴス現象はこれからも当面の間続くことだろうと思われる。

ブレイクスルーの兆しなんて少しもない。

実写には手を出さず、アニメだけに専念してしまえば良いとも思うが自分たちは出来るんだと思っているからそれも叶わない。

全編に渡るうーん・・・な演技

映画にとって演技があざといというのは致命傷だが、この作品も例に漏れずずっとあざとい。

話がどうこう、映像や演出がどうこうなど、演技のあざとさで全部吹き飛ぶ。

おじさんのベテラン俳優だけ、さすがにナチュラルで政治家っぽさが良いが、それ以外は見ていられない。

ベテラン俳優でも、総理大臣が、他の政治家にタメ口でしゃべるという実にステレオタイプ的な総理で、全然リアルじゃない。

ナチュラルなタメ口じゃなくて、えらそうなタメ口。

よく漫画とかアニメである描写だが、いくら総理といえ、同じ党同士の政治家に王様のように偉そうに言うとは思えない。

お飾りの裸の王様の総理大臣を演じさせようという意図ではなく、単純にリアルじゃないことが分からないんだと思う。

タメ口が不自然なら普通に敬語でやらせれば良いんじゃないかと思ってしまう。

総理大臣は置いといても、他のベテラン俳優は政治家っぽくて実に良い。

むしろ、主人公は彼らのおじさんベテラン俳優にやってもらったらかなり見れるものになったと思う。

それが、主人公の演技が終始しわざとらしい、あざとい、格好つけている、魅力のない演技をずっとしているので、まあ見ていられない。

最近この手の中身のない薄いイケメン俳優が主人公に映画やドラマがたくさん作られていて、なぜかヒットし、若手注目株みたいにされているから本当に怖い。

脇を固める若手個性派俳優陣

最初のベテラン俳優を除いて、登場人物に魅力がある人間が一人も出てこない。

主人公の脇を固める人間達もまあ薄いこと。

官僚から学者まで、何から何まで。

まるで演劇を見ているようなこじんまりした、セリフにとらわれたスケールの小さい演技の応酬だ。

演劇だろうが映画だろうが、リアルであればそれでいいが、日本の演劇はあざとさ満載なのに、自分達は人前で普通の人がやれないことをやっているという優越感に浸っている様な強烈な青臭さを感じるので、なんとも嫌な気分にさせられる。

例え映画という媒体になったところで、やはりそういった悪い意味での日本の演劇の臭いが演技にぷんぷん感じる。

会議室で議論しながら真相に近づいていく感じも、まさに演劇的だ。

会議室の議論なんてこの映画の肝で、一番緊張感がなくては行けない場面だろうが、芯に迫る緊迫感はない。

実際に誰も緊迫なんてしていないから、それがリアルに伝染していくなんて化学反応は絶対に起こらない。

緊迫しているふりの演技

リアルなんて追求しようとしない日本の俳優たちには本当に頭が下がる。

日本語ペラペラの日系アメリカ人という設定の役の酷さもすごい。

そんなアメリカ人を実際に見たことないんだろうか?

日本語と英語の織り混ぜ方があからさますぎるし、英語をセリフ上しゃべってはいるが、
日本人が覚えたての英語をちょこちょこしゃべっているようにしか見えない。

アメリカ人にしては発音が悪すぎる。

これはアニメだったら個性的なキャラクターとして成立するのかもしれないが、まあうわべの嘘キャラになってしまっている。

もしこんなアニメみたいなキャラクターを成立させたいなら、役者にかなりのマンパワーがいると思うが、残念ながらそうではない。

撮る側も演じる側も、周りの役者陣も違和感を感じないのだろうか?

さすがにこれは、と見てられないレベルだと思うが。

そんなヒロインが、主人公と後半で協力するような流れがあるが、やはり粋な感じにはならない。

主人公も、上司も、ヒロインもちょこちょこ英語を披露するが、しゃべれないのに無理して英語のセリフを使っている感じがこっぱずかしい。

英語をそのまま覚えてただ言っているだけというのがすぐ分かる。

英語をしゃべれる様に見せてほしいが、出来ないなら純粋に日本語だけで通訳使ってしゃべる方が良いじゃないか。

格好良いと思っているのか、よく日本の役者は英語を使えるように思われたい感じがひしひし伝わってくるが、使うならちゃんと勉強すれば良いし、中途半端に使うくらいなら日本語で押し通す方が全然気持ちが良い。

エヴァンゲリオンそのまま

ゴジラがアメリカ軍に空爆されて、覚醒するシーンは実に迫力がある気持ちの悪い映像で良かった。

ゴジラが街を徘徊するところも、物が壊されたり、船が打ち上げられたり、独特の映像の視点で惹き付けられる。

映像の視覚的な演出はやはり秀逸なものがあると思う。

在来線に爆弾を積んで攻撃するというのも面白い。

しかし、最後まで見たらこれはほぼエヴァンゲリオンじゃないか。

怪獣や舞台こそ違うものの、随所の映像の見せ方や作戦の感じも、まるでアニメを実写化したかのようななぞりかただ。

そして、元のアニメのエヴァンゲリオンの足元にも及ばない。

アニメの方がぶっちぎりで良いのに、その遥か劣化版とも言えるこの作品をなぜ撮ろうと思ったんだろう?

いくらアニメを作るのは秀逸菜監督でも、役者の演技までどうこう指導することは出来ないと証明してしまった。

アニメと同じ登場人物のクオリティーには遥か及んでいない仕上がりだ。

パトレイバーの実写でもそうだったが、やはり餅は餅屋なんだろう。

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