映画「LUCY/ルーシー(2014)」が“オススメ”の理由と考察、その感想

②オススメ☆4

LUCY/ルーシー 英題:LUCY

監督-リュック・ベッソン 2014年 89分

脚本-リュック・ベッソン

出演-スカーレット・ヨハンソン、モーガン・フリーマン、アムール・ワケド、チェ・ミンスク、他

“オススメ☆4”の理由と考察、その感想

自分の利益でも、恋愛でもないストーリー

人間の脳はその10%も普段から使われていなく、それを100%フルに使えることができたらどうなるのか?というテーマの作品だ。

眠っている潜在能力を引き出したり、特殊能力を使って自分の人生を思うがままに操るという似たテーマの作品は最近たまに見かけるが、これはそれとも一味違うテイストになっている。

見たことのあるような話かとたかをくくっていたが、良い意味で裏切られた。

自分の能力を使って自分の利益になるように使うわけでもなく、能力を限界まで引き出してしまったら、自分でもどうなるかわからないところも面白い。

知識やできることが莫大に増えていき、行き着くところまで行くと、自分の欲望や利己的な考えなど消し飛び、迫り来る死すら恐怖も感じずに受け入れてしまうという。

ルーシーは早々に自分がすぐに死ぬことを受け入れ、自分が残された時間でやれることを探した。

全てを理解し、覚悟した顔がなんとも心を揺さぶられる。

能力を自分のためではなく、他人のために費やそうというところも良い。

脳を使える%が増えていくたびに何が起こるのか分からないという描写が期待感をくすぐられる。

ルーシーの人間性を垣間見たかった

知識が増えていくほどに人間性が失われていくということだが、必ずしもそうとは限らないんじゃないかと思った。

確かに死が近いし、時間がないから顔が険しくなるのは分かるが、それは急いでいるからであって、人間性が失われていることとごっちゃにしなくても良かったのではと思う。

知識が増えていくほどに人間性が豊かになるとも考えられる訳で、そう考えると、急いでいたとしてもふとした瞬間に豊かになった人間性が行動になって表れたりしても決しておかしいことではないし、その方がより深い話になったんじゃないかと思う。

ポロっと笑顔がこぼれたっていいし、そうでないのであれば、優しい人間性が現れた行動が見えたっていいはずだ。

自分が完全に変化してしまう前に母親に電話していたが、そのシーンくらいだったと思う。

車で移動するために何もしていないタクシー運転手の足を拳銃で打たなくても良かったし、研究室に乗り込んでくるマフィア達の攻撃に巻き込まれた人達を守ったって良かった。

全てが理解出来ている訳だから、攻撃を回避することくらい簡単だったはずだ。

まあそこはどんどん人間性も失われていくということだし、時間もなかったし、それを犠牲にしてでもやる価値があるということか?

あまりに気配りが出来てしまっては、マフィア達の出番がなくなって、打ち合いのシーンも減ってしまうからというのもあるかもしれない。

最後にもう少し何かが欲しい

もしルーシーの気持ち的な部分が後半に垣間見えないのであれば、ルーシーが研究に身を捧げた理由をもう少し具体的に知りたかった。

研究が成功すれば、あらゆる病気が治ったり、人類が肉体的にも精神的にもさらに進化することも出来るし、とにかく全てが良くなるということなのだろうが、抽象的なイメージは否めない。

その研究の先に見える未来はルーシーには見えているのかもしれないが、周りにいる博士はもちろん、見ているこっちも感じることで補完するしかない。

過去を遡り、インディアンや猿のルーシーと触れたり、感動的な映像ではあるが、もうちょっと何か欲しかったなと思う。

決して分かりやすい言葉にして欲しいという訳ではなく、映像を使っての表現で構わないから、もう少し爆発させても良かった気がする。

脳が100%使える世界なんて誰にも想像できない訳だから、ある意味何でもアリで、もっとやりたい放題やってしまえば良かったと思う。

最後のルーシーの台詞も、どこかおさまってしまった感じだ。

難しい所だろうが、はみだして欲しかった。

ルーシーが肉体も持たず、時間にも縛られない高次元の存在へとシフトしていくということなのだろうが、見ていてもっとルーシーを応援出来る要素が欲しかった。

スカーレット・ヨハンソンの覚悟した雰囲気が悪くないだけに、よりそう思った。

体が変化する様や、最後のルーシーの台詞こそ、日本のアニメ映画を彷彿とさせるものがあるが、それでも独自性のある映像描写に成功してはいると思う。

SFではあるが、徐々に日常の世界が非日常へと変化していく様も期待感があり、引き込まれた。

細かい疑問点などはあるが、それを差し引いても、何かを感じる作品ではある。

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