映画「チョコレートドーナツ(2012)」が“物足りない”理由と考察、その感想

④物足りない☆2

チョコレートドーナツ 英題:Any Day Now

監督-トラヴィス・ファイン 2012年 97分

脚本-ジョージ・アーサー・ブルーム、トラヴィス・ファイン

出演-アラン・カミング、ギャレット・ディラハント、他

“物足りない☆2”理由と考察、その感想

なぜ二人はマルコと育てたいのか分からない

なぜ、あそこまでマルコに二人が固執する理由が分からない。

適当な母親の代わりに自分たちが親になると、差別を受けることを覚悟の上で戦う姿勢は格好良い。

きっと、差別は今でこそ、最初からなかったみたいになっているが、昔は本当に酷かったんだと思う。

そういう意味で、その時代の理不尽な雰囲気が伝わってきて良かった。

ルディとポールも、同性愛の感じがよく出ていてリアルである。

しかし、なぜマルコをあそこまで可愛がっているのか、それは彼の性格を好きになったのか、子供ならだれでも良かったからなのか、特別な関係が築けたからなのか、ということが描かれていないので、疑問が残る。

あの映像だけでは、なぜか?ということが分からない。

マルコを純粋に好きになり、マルコも二人に懐いている、という所がもっと描かれていても良かったと思う。

一緒に誕生日を過ごしたりしたマルコとの日々をまとめた映像を、さらっと流すくらいでは全然足りない。

ああいう障碍を持っていても、ある程度意思表示できる人だっているし、二人が好きだと意思表示をすることだって出来るのに、マルコにはほとんどさせなかった。

なぜ二人はマルコを育てたいのか、というのは重要な理由で、これがはっきりしていて欲しかった。

そうでなければ、ただ自分たちのエゴの為に育てたいと主張していると思ってしまう。

障碍という要素は果たして必要か?

障碍という要素もそうだが、脚本家が、とにかく理不尽な社会を演出するために無理やり盛り込んだ、しかも感動させるために、と考えたらかなり胸くそが悪くなってくる。

ともすれば、障碍を持っているという設定はいらなくて、同性愛の二人が子供を養子にするというだけの話をちゃんと描いた方が良かったんじゃないかとも思う。

親よりも親らしく、マルコも懐いていて、どっからみても本当の親よりもマルコの親に向いている、という様な描写でも良かった。

そして、無理に理不尽さを描くのではなく、それを目の当たりにした裁判官や本当の親もぐうの音が出ず、マルコを二人に譲る、という話でも十分感動的だろう。

むしろ、そっちの方がポジティブで良いんじゃないか?

実話は育児放棄された障碍児を育てた、ということなんだろう?

映画の様に少し一緒にいたのか、ちゃんと育て上げたのかは分からないが、もし実話が育て上げたということなら、そっちの方がすごい話じゃないか。

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