英題:Arrival
監督-ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2016年 116分
脚本-エリック・ハイセラー
出演-エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、マイケル・スタールバーグ、他
映画「メッセージ」のあらすじ
突如として世界各地に米粒状の強大な宇宙船が現れ、非常事態が宣言され、世界はパニックに陥った。
宇宙人とすでに接触し、目的を探っていたアメリカ軍だったが、宇宙人の言語が解読できず、言語学者のルイーズに翻訳を依頼する。
物理学者のイアンと共に解読を進めていくルイーズだったが、自分の体にある変化が現れたことに気付く。
それは、宇宙人の話す言語の特殊性によるものだった。
“物足りない”理由と考察、その感想
引きつけられる序盤から中盤
序盤から中盤までは結構面白く見れた。
独特の映像美と、重厚な音楽で、何かすごいものを見ているような気になる。
宇宙船が地球に降り立った、というSF的な状況を、見ているものにリアルに感じさせる緊迫感がある。
宇宙船の中に入ると重力が変わるという細かい演出も気持ち悪くて良い。
いざ宇宙船の中に入り、宇宙人と対峙して意思疎通を図ろうとするが、宇宙人側が何を言っているかが全く分からないという状況が面白い。
こちらが何かを言ったりすると、解読不能だが反応が返ってくるし、こちらを攻撃してくるわけでもないという不気味な状況が興味をそそられる。
また、宇宙人の姿形が、人間が知っている生物らしからぬ形をしているのも、何を考えているかなど推察できないから、気持ち悪くて良い。
この宇宙人たちは一体何が目的で地球に来たんだと、解読を試みる学者と同じような気持ちで、どんどん気になってしまう。
序盤から中盤は、音楽、映像、リアルな世界観が融合し、絶品である。
時間感覚が変わる=未来が見えるってことか?
物語が進むに連れ期待感を保ったまま進むが、宇宙人たちが地球に来た理由が終盤で明かされ、ルイーズがそれを地球人たちに伝えるために奔走する辺りからかなり萎えてしまった。
結局未来から過去に行き、歴史を変えてしまう、という今まで散々見てきたSFものと同じかと思ってしまった。
宇宙人たちの言語そのものが宇宙人たちからの贈り物であり、それを解読でき、習得できれば未来が見えるようになるというもので、ルイーズは研究を重ねるうちに少し習得出来たおかげで、未来が見えるようになったが、その類の発想は矛盾しているように思えてならない。
ルイーズが未来を見たおかげで、宇宙人への全面攻撃はすんでで回避できたが、娘の死は止められずに見守るしかなかった。
実際ルイーズは未来を見たおかげで攻撃を止められたわけだが、自分が未来を見て攻撃を止める、という未来は見えたのだろうか?
もし見えたとしたら、今度は、自分が未来を見て攻撃を止めるという未来を見ている未来の自分も見えるわけで、永遠に続いてしまうということにはならないか?
デジャブくらい現実と差がない感覚なら分かるが、そうではなく、自分のかなり先の未来、もしくは少し先の未来でも、見えた時点でその未来は実現しない、ということになってしまうので、この考えにはかなり無理がある。
未来が見えた時点で、その未来を選ばないという選択肢が生まれてしまい、見えた未来にたどり着くための行動を何一つ間違えることなく選び続けるのは不可能だ。
自分の言語と違った言語を習得することで、感覚が変わる、考え方が変わる、というのは、実際に外国語を習得している人に起きていることだし、それを飛躍させて時間感覚まで変わってしまうというのは、言葉として聞く限り面白いアイデアだとは思う。
しかし、それは結局未来も見える、とならざるを得ないので、それだと一気に矛盾が生まれて崩壊してしまうから、過去と未来ではなく、過去と現在の時間の区別がなくなる、ということにすれば良かったんじゃないか?
それはそれで、未来は見えないのであれば、ヘプタポッドの宇宙人も未来が見えたから地球に来たし、ルイーズも未来が見えたから惨事を回避できた訳で、物語そのものが成り立たなくなるから、どのみち無理な話なのかもしれない。
娘の死が見えてしまった時点で、いくらでも未来を変えることは出来てしまう、変わってしまう訳で、そんな未来が変わらずにそのまま訪れるのも矛盾しているし、そんな未来を変えようともせず、優しく受け入れるというというのは、人間の感覚としてもあまりに不自然すぎる。
宇宙人の感覚ということか?
自分の未来を分かって受け入れる、それはもしかしたら悟りに近い感覚で、それが地球人に広まるとみんな穏やかになって戦争もなくなり、文化文明はより発達していった、ということか?
言葉だけで聞くと、なんとなく言いたいことが分からなくもないが、何度も言っているように、そもそも未来を変えずに未来をはっきり知ること自体が無理なので、悟りを開くもくそもない。
そして、最終的に、娘の死という運命を受け入れる生き方が切なくも潔いかのような美しい映像と音楽で語られるから、なんともむずがゆくなる。
娘を助けるために奔走してない気がする。
これだけ壮大に惹きつけておいて、家族を大切にというメッセージに無理につなげた感じがして、落胆した。
もしうまくつながったら、宇宙や世界の危機から家族という落差、極大から極小へみたいな感じが他にないすごい感じになったとは思う。
中盤までの展開が中々面白いだけに、終盤に来て一気に肩透かしを食った感じになった。
出てくる俳優陣の演技も悪くないがゆえに、時間がどうの、というのは何とかならなかったのかなと思う。
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