映画「ぼくとアールと彼女のさよなら( Me and Earl and the Dying Girl)」(2015年)のあらすじと感想

①今すぐに見るべき!

監督-アルフォンソ・ゴメス=レホン 2015年 105分

脚本-ジェシー・アンドリューズ

出演-トーマス・マン、オリヴィア・クック、RJ・サイラー、ニック・オファーマン、他

簡単なあらすじ

友人アールと自主制作の映画を定期的に作っている映画おたくのグレッグは、同級生のレイチェルが重い病気になったことで、レイチェルの母と仲が良いグレッグの母に促され、レイチェルにしぶしぶ会いに行くことになる。

最初はいやいやだったが、お互いに楽に接することが出来る関係に、自然と頻繁にレイチェルの家に通うグレッグ。

いつも学校では適当に周りに合わせて生きてきたグレッグは、彼女のために映画を作ることを決めたのだが・・・。

「ぼくとアールと彼女のさよなら」の感想

派手でなく優しい雰囲気だが、実に深い

若者の学生時代の友情や、同級生との交流を描いた作品。

非常に良かった。

出てくる登場人物がそれぞれ魅力的であり、リアルで、比較的さらっとした描き方ではあるが、後々頭の中に残る、良い体験である。

学生時代のスクールカーストに対する主人公の捉え方や、思ったことを言ってくれる友人、病気になってしまったが同情されたくない同級生との近すぎず遠からずの交流、あまり子供の気持ちを考えない母と自由奔放だが子供の気持ちを理解してくれる父、生徒に押しつけがましくなく、先生らしくない奇抜な先生など、出てくる登場人物がそれぞれ程よく個性的で、それらが絡み合ってとても良い味を出している。

病気の同級生の女子とは頻繁に接しているが、恋愛などを無理にねじ込んでくる感じもなく、爽やかに見れて良い。

グレッグの感じは親しみがあり、よく分かる

主人公のグレッグはいわゆるもてないオタク男子で、決して卑屈ではなく自分の世界を持っており、周りに合わせているようで少し距離を置いているが、それが良い時もあるし、悪く作用してしまう時もある。

誰ともそれなりに適当に接して周りに流されない、無駄に深く同調しないのは個性的であるが、いざという時に一歩踏み込むことが出来ない、という弱さも兼ね備えていて、そういった未完成の、思春期に誰しも覚えがあるだろう不安定さが、そのまま物語としてうまく反映されていて、無理やりではない、実に自然なストーリーに出来上がっている。

親に言われたから、病気の同級生と接していたり、映画も作れと言われたから作る、と思っていたり、自分の世界は持っているものの、傷ついたり、責任を負うという怖さから逃げ、いつも自分の行動の理由を何かのせいにしているような感じは、非常によく分かる。

本当は自分から行動したい気持ちもあるが、恥ずかしさもあったりして、自分からはあまり動こうとしない感じが、この主人公の振る舞いからよく表現できていると思う。

人工的に作り上げられたキャラクターには見えず、ナチュラルにこういう青年いるな、と思わしてくれるので、非常に好感が持てる。

同情されたくないレイチェルは格好良い

病気の同級生のレイチェルは、同情されたくないと思っている振る舞いが、非常に格好良く、もし同情されたら死んだふりをすればいい、とグレッグが指導して、二人で笑い合う所など、グレッグも差別なく接し、レイチェルも差別なく接されていることを面白がっていて、この会話はナチュラルではあるが、実はすごい会話だと思う。

二人とも普通であるが、この普通が中々できずに、気を使って変な感じになってしまう、もしくは変な感じになっていることなど何も気づかずに、同情したまま接し、接されるという関係がほとんどだろう。

この二人の会話は、ある種、普通に潜む超人的な会話であり、理想的な会話であると思う。

グレッグに、親に言われたから会いに来ている、という口実があるのも、実に良い。

最初は親に言われたかもしれないが、だんだんレイチェルと会っているうちに自然と会う関係になっていった、そこにグレッグの主体性は後からでも生まれている、というのは間違いない。

思春期は、そういう自分からという行動が中々とれないものであり、その時はうざったくても、後から考えたら、行きなさいと強く言ってくれた親に感謝すると思う。

同級生のいわゆるイケイケの女子に、映画を作れと言われた件も、レイチェルとも友人のアールとも喧嘩してなんだかんだで、最終的には主体的に映画を作る、という行動を取れたわけで、グレッグはスロースターターかもしれないが、少しづつでも成長している。

グレッグがレイチェルに作った映画は、正直何が言いたいのかよく分からない内容だが、それが実に良い。

励ましや応援のメッセージが込められている映画なんかより、よく分からない芸術的な映画を見せられた方がレイチェルは嬉しいだろう。

ありがとうと言うことも、歓声を上げることもなく、それを真剣に見入るレイチェル、最後まで弱音をもらさずに、強い姿勢を貫いた彼女に、涙腺を激しく刺激される。

こういう作品は、無理に感動や悲しさを強調して押し付けてくる描き方に辟易してしまうが、この作品は、非常にナチュラルに、リアルに、かつ強く粋に、描いているので、自然と琴線を刺激され、心に残る。

むしろ、感動させようと見せてくる作品よりも、激しく刺激されてしまう。

アールも、先生も、父親も・・・魅力的な人が多い

友人のアールは、友達友達している和気あいあい感は一切出さない、特に楽しい感じも表に出さないが、思ったことは隠さずに言ってくれる、これが本当の友達だと思う。

先生がグレッグにした話、人は死んだ後からでもその人を知ることが出来る、という言葉も非常に深い。

その人はもう亡くなったとしても、実はこう考えていた、こんな人だった、と知ることも往々にしてあって、亡くなった後に、その人に対する捉え方がどんどん深くなっていったりする。

それがまさにこの作品でも体現していて、ハサミが好きなレイチェルが、グレッグに渡した本は、開けてみると、中身をハサミでくりぬいたジオラマのような芸術作品だった。

ハサミが好きって、こういうことだったのかと、グレッグはまた新たにレイチェルのことを知ることが出来た。

レイチェルが、大学に手紙を書いていたのも、粋で良い。

グレッグは、その振る舞いから、もしかしたら多くの人に誤解されてしまうかもしれないが、レイチェルはそこを見抜いて、グレッグの良さを伝えようとしている感じも、素敵である。

グレッグの父親は、実に良い意味で奔放で、グレッグが大学に落ちたことに焦る母に、そっとしといてやれ、大学の締め切りで人生は決まらない、と言ったり、実に型にはまらない人間的な父親で面白い。

この作品は、子供時代の学校の生徒たちを描いた作品で、深いという意味で、自分が今まで見た中で一番かもしれない。

どこか突出してる点があるが、他は低い、ということがなく、平均的に全て深い、という感じ。

少年時代とどっちがいいか、と言われると迷うが、色んな深さがあるという点で、こっちかもしれない。

蛇足だが、タイトルは、原題そのまま「僕とアールと死にかけの少女」の方が良かったのではないかと思う。

ひねって、「さよなら」と入れているのが、タイトルでなんとなくネタバレしてしまうし、なんともセンスがない邦題だと思う。

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