ベンジャミン・バトン 数奇な人生 英題:The Curious Case of Benjamin Button
監督-デヴィッド・フィンチャー 2008年 165分
脚本-エリック・ロス
出演-ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、他
映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」のあらすじ
病院に入院中の老女デイジーは、娘のキャロラインに日記帳を読んでもらうよう頼む。
その日記帳には、ベンジャミンという男の数奇な人生が綴られていた。
ベンジャミンは生まれくして年老いた老人のような外見で生まれてきた。
そんな自分の赤ん坊の姿を見て将来を危惧した父親は、ベンジャミンを老人ホームの前に置き去りにしてしまう。
そこでベンジャミンは老人ホームを経営する黒人夫婦に拾われ、実の子の様に育てられる。
老人たちの中に紛れ、最初は車いすに乗っている状態から、杖をついて歩けるまで育っていく。
そんな中、ベンジャミンは老人ホームのパーティに参加していたデイジーと運命的な出会いを果たし、互いに惹かれあう。
やがて時は流れ、外見が少し若返ったがまだ老人で17歳のベンジャミンは世界を回る船で働く。
船で旅をしながらも、デイジーに手紙を送り続けていたベンジャミン。
ある港で年上の人妻と恋をしたり、様々な体験をしてまた老人ホームに戻り、デイジーと再会する。
デイジーはバレエダンサーを目指していて、デイジーもまた様々な恋をして、大人になっていた。
そんなデイジーに気おくれしながらも、彼女への思いは変わらないベンジャミンだが、体の若返りは依然として進行していたのだった。
映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」が“つまらない☆1”理由と考察、その感想
主人公は、奇病を患った魅力のない男
不思議な映画だ。
人間ドラマとして描きながらも、生まれくして年老いていて若返っていく、というSF的な要素が入っている。
自分の好きな人と結ばれたい、でも相手は年を取っていくのに自分は若返っていく、という理不尽さ。
理不尽さが二人を引き裂こうとするけれど、それでも一緒にいたいという、そんな愛をテーマにしたラブストーリー。
なぜか若返ってしまうというのがミソである。
テーマ自体はとても普遍的なものだとは思うが、後半は若返りに重きが置かれていくように感じた。
障害があるから、それで二人は幸せになれないというような方向に向かっていく。
自分的には、それを何とかして二人で乗り越えようとしていく姿を見せつけてほしかった。
ベンジャミンがデイジーにこれ以上迷惑を掛けられないと思って、途中から姿をくらましてしまう。
デイジーと子供も出来たのに、自分も子供になっていくから、その面倒を掛けられないと。
その気持ちは分かるが、一方的なんじゃないかなと感じた。
まだ40歳くらいなので、そんな急に子供になるわけではないかもしれないし、いなくなる理由がそれ一本だと足りない気もしました。
それならそこのベンジャミンの葛藤をもっと描いて欲しかった。
二人で話し合い、喧嘩になるのも良い。
それでなんだかんだあっていなくなる、とかならまだいい。
ベンジャミンは人と違う生き方をしてきたから、普通の人より、生きることの意味や死生観に対して独特のものを持っているはずだろう。
それなのに、財産を残していなくなる、というのは普通すぎるし、ベンジャミンの優しさが見えないような気もする。
それで、もう会わないならまだしも、いなくなってから10年後くらいにまたデイジーに会いに来るわけだから。
なぜ姿を現したのか?それでデイジーはまたベンジャミンへの思いが捨てきれなくなってしまうかもしれないのに。
自分が妻だったら、「そんなに若返るのが特別か?」と思ってしまう。
子供を一緒に育てることも全然できたはずなのに、ベンジャミンは今まで何をしてたのか?
それは何も描かれず、本当にただ逃げただけというのは、デイジーを好きかどうかも分からない。
それだと、ベンジャミンはただ若返るという病気を患っただけの魅力のない人間に見えてしまわないか?
そこらへんのベンジャミンの心理が後半からよくわからなくなった。
人格が変わってしまっているというか。
もし病気だとしたら、それに立ち向かうという姿はあまり描かれていなく、数奇な人生だがそれは病気が珍しいから、ということになってしまう。
もっと、「若返るなんて大したことはない、奇妙な病気だけれども二人で解決していこう」と、もがき苦しみながらも生きていく、という姿を見たかった。
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