ダウト~あるカトリック学校で~ 英題:Dout
監督-ジョン・パトリック・シャンリー 2008年 104分
脚本-ジョン・パトリック・シャンリー
出演フィリップ・シーモア・ホフマン、メリル・ストリープ、エイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィス、他
映画「ダウト~あるカトリック学校で~」のあらすじ
あるカトリックの厳格な学校がある。
そこでは、生徒はシスターに触ってはいけない、授業中に私語をしてはいけないなどの規則があり、いつも校長のシスターが厳しく目を光らせていた。
赴任したばかりの新人教師のシスタージェイムズは、そんな厳しい校長の教え方に戸惑いながらも、生徒たちを優しく見守りながらも学校に馴染もうとしていく。
校長と反対に神父は優しく寛容で、生徒たちからいつも慕われている。
積極的に生徒たちと交流を図ろうとしていく神父の姿にジェイムズは共感し、ジェイムズもまた神父を尊敬していた。
そんな中、ジェイムズは神父がある黒人生徒のロッカーを開け、洋服を物色しているところを見てしまったり、黒人生徒が神父に呼び出されて帰ってきた後に酒臭かったことを知ってしまう。
神父と生徒の間にふしだらな関係があるのではないか。
そんな疑惑を校長に説明し、校長は神父に対して真実を述べるよう追及していく。
神父はいじめられていたから相談に乗っていたなどと説明し、一向に認めない。
校長の追及は激しくなっていくが、神父も巧みな会話術で交わしていく。
限りなく黒に近いグレーの疑惑に、校長がとった行動は。
“今すぐ見るべき!☆5”理由と考察、その感想
フィリップ・シーモア・ホフマンの怪しい演技が光る
神父は考え方も柔軟で、生徒に対してためになることも実際やっていて、人気があるだろうことは分かるが、どこか胡散臭いというか、信用しきれない雰囲気を見事に演じている。
こういう隠れた変態性質者を演じさせたら、フィリップ・シーモア・ホフマンの右に出る人はいないかもしれない。
仕草や目線、しゃべる時の間など、もうそういうやつにしか見えない。
決してコメディではないが、校長と神父の、お互いの体裁を繕いながらの猛烈な口げんかが面白い。
メリルストリープは、いかにもお堅い、男なんか寄せ付けないという感じの怖いシスターだ。
追及していくが、追及しきれない。
1960年代のこの当時黒人の生徒は珍しく、差別されいじめられているのを、神父が目をかけることで守ってあげている。
仮にいたずらをしていたとしても、神父のおかげで学校に来れているという側面もある。
黒人生徒の親はそれをうすうす感じているが、無事に卒業させるために目をつぶっている。
むしろ、この学校を卒業できれば、将来のエリートの道も見えるので、神父に敬意を払ってさえいる。
校長は黒人生徒の母親を呼び出し疑惑をぶつけるが、そんな背景から母親に一蹴されてしまう。
難しい問題である、自分が校長の立場だったらどうするか?
じつは黒人生徒にはもともとそういう素質があったということなので、自分だったら許してしまうかもしれない。
追求したことで、この生徒が、この生徒の母親が、神父の恩恵を受けられなくなったらどうしようと思ってしまう。
それでも引かずに校長は神父を追及していくが、神父も負けずにやり返す。
終盤の二人の感情が高ぶりに高ぶった口撃の応酬は見ものだ。
神父が少し弱気になったところをみると、黒なのかな?とも思うが、口頭のやり取りだけで決定的な証拠がなくやっぱりグレー。
結末を言ってしまうと、最終的に神父は学校を辞めることになるが、疑惑が表ざたになったからではなく、神父が出世して他の機関に移るためであり、学校の上層部は神父への信頼から、疑惑を一切取り合わなかった。
最後の最後まで、真実は分からない、タイトル通りだ。
校長も勝ったのか負けたのか、釈然としない感覚、現実にあり得そうな不条理だと思う。
カトリックの学校の話、ということで勝手に退屈な感じを想像していたが、全然そんなことはなく、エンターテイメントとして非常に楽しめた。
切実で重い問題だが見やすい 追記:2023/05/16
教会における児童虐待問題は、世界的に広がる切実な問題となっている。
この題材を取り上げた映画は他にもあるが(グレース・オブ・ゴッドやスポットライトなど)、この作品は比較的エンターテインメント性が高い作品になっている。
題材も本当にあるリアルな題材だし、ホフマンとメリル・ストリープの演技も良く楽しめるので、こういう作品をもっと世に出してほしいと思う。
楽しめる、というのは、悪いやつを正義が追い詰めていくことが、映画としてエンターテインメントではあるからだ。
被害者の人達に失礼な言葉使いかもしれないが、とにかくまずはこの問題を多くの人が知る必要がある。
ただ重い題材を扱うだけでなく、見ているものに興味を持たせるやり方の方が、色んな人の印象に残る。
チャップリンの「独裁者」じゃないけども。
教会は、とてつもなく大きい組織なので、ちょっとやそっとじゃ揺らがない。
この映画の結末の様に、釈然としない結果の方が現実は多いかもしれない。
だから、みんなで取り上げて、題材にし続ければいいと思う。
映画が社会を動かす道具になり得るので、非常に良い映画の使い方だと思う。
告発しつつ、色んな人に知らせつつ、客を楽しませる。
日本って、こういうのあんまりない気がする。
有名AV監督の半生の映画とか見たくなくはないが、ほぼどうでもいい。
めちゃくちゃ面白かったら話は別だけど。
浜崎あゆみの半生のドラマだって、そうだろう。
ジャニーズの性的虐待問題とかを映画化してしまえばいい。
だけど、日本の映画監督ってそんなことには恐くて手を出さない。
だから題材も大して取り上げたくないものを選んでいるから、熱も入らず、適当な作品になるんじゃないか?
そもそも見ないようにしてるのかも。
これを公開したら社会が変わる、世界を変えてやるなんて何も思わずカメラを回す職業監督ばかりだろう。
これの作品が教会側に与える影響が仮に少なくても、良いチャレンジだと思う。
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