映画「エスケイプ・フロム・トゥモロー(2014)」が“つまらない”理由と考察、その感想

⑤つまらない☆1

エスケイプ・フロム・トゥモロー 英題:Escape from tomorrow

監督:ランディ・ムーア 90分 2014年

脚本:ランディ・ムーア

出演:ロイ・アブラムソン、エレナ・シューバー、ケイトリン・ロドリゲス、他

“つまらない☆1”理由と考察、その感想

表面上奇をてらっているが、中身がない

全編白黒のこの作品。

テーマパークを家族と訪れる男の妄想と合わせて物語が展開していく。

意味不明な描写も多く、難解でもある。

結論から言うと非常につまらなかった。

有名テーマパークを舞台にした、誰もが手放しで喜ぶ夢の世界へのアンチテーゼとでも言うべきメッセージだろうが、非常に弱い描写になっている。

誰もが思い付きそうなメッセージで、実際見てみても頭を超えてくるような発想はほぼない。

終盤に向かっての難解な描写は、むしろ本来伝えたいメッセージが尽きてしまって、なんとか意味ありげに見せようとした逃げのすり替えなんじゃないか。

もしかしたら撮っている製作陣も気づいていない無意識のすり替えかもしれない。

無許可で実際のテーマパークで撮ったから色々と大変で、これでもなんとかやった方ということなのか? 

作るのが大変だからなんてどうでも良く、あくまで見て面白いか否かが肝だと思う。

頑張った賞だけをあげるのも、作った側にとってもこれほど失礼なことはないので、それで評価もしたくない。

むしろ撮影に制限があるなら、似たようなセットで架空のテーマパークにして、思う存分撮影した方が良かったと思う。

伝えたいメッセージがしっかりしていれば、そのまま例えて置き換えれることができる訳で、わざわざ有名テーマパークにこだわる必要はない。

実際それほど必要性は感じられず、必要性といったら、現実に実在する場所であるという外側のステータスのみだと思う。

見ている人にとって知っている場所が出ているという親近感であり、それを狙ったとしたらかなりせこいし浅いと思う。

集客も考えていると疑ってしまう。

実際セットを作ろうとすると莫大なお金がかかってしまうから無理だったんだと思いたい。

そもそもテーマパークには裏があるというテーマ自体誰もが思い付きそうな浅い発想であり、映像化するにあたって特に深く掘り下げられている訳でもない。

良かったところは、父が女性との妄想にふけっていたり、家族間で喧嘩したり、変な他の客とトラブルになったりするところくらいだ。

それに比べて猫インフルエンザだとか、球体にいるアンドロイドの博士だとか、肝心だと思われるテーマパークの裏の顔が全くリアルではない。

本当にやっていると思われるだろ、と本家のテーマパークが青筋立てて猛抗議してくるくらいのものでないといけないと思うが。

これが特におとがめなしなのも、相手にされていないということなんじゃないだろうか。

自分は人をいじる能力があると思って中途半端に人のことをいじろうとして来る人みたいな。

自分はいじってやったとほくほくしていますが、全然いじれていない。

気持ち良いくらいこき下ろされているわけでもないので、いじられた方にもうま味はない。

公式ホームページの上には、「訴えられるまであと何日」という意味の公開日からのカウントの数字が出ているが、それもずれていて、もし監督の意図だとしたら、若者の青臭さを感じる。

自意識過剰な所が寒気がする。

やはり、注目されることを前提で作ったのかという浅さを感じてしまう。

自分たちが本当に作りたいものを作って、それが結果的に賛否を浴びて注目される、という結果なら良いだろうが、作り手側が先にそれを意識してしまっている時点で、制作事態に集中できていないんじゃないかと思う。

プロデューサーが勝手にやっているなら分かりますが、この作品を見ると、どうやら監督自身にそういう気持ちがあるんじゃないか。

面白い映画を作りたいんじゃなくて、有名になるために映画を作っているという、極めて気持ちの悪い動機だと思う。

自分のことをカルト作品を作る奇才だと自分で思ってしまっているような。

推測で勝手に言っているが、監督の性格とか制作の舞台裏なんてどうでも良くて、要するに作品が面白ければそれでいいが、面白くなっていない。

こういう一見異様な作品が、通好みだとされる感じが嫌いだ。

白黒であるのは不気味さが多少なりとも強調されているが、それも手法に頼っていると思ってしまう。

それとも白黒じゃなきゃ撮影できなかった事情があるのか?

若者が勢い勇んで撮りはじめたは良いが、実は大して言いたいこともなかった、しかしそれにも気づかなかったという感じの作品だろうか。

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