冷たい熱帯魚 英題:Cold Fish
監督-園子温 2010年 146分
脚本-園子温、高橋ヨシキ
出演-吹越満、でんでん、黒沢あすか、神楽坂恵、他
映画「冷たい熱帯魚」のあらすじ
小さい熱帯魚店を経営する社本(シャモト)は、亡くなった前妻の子供、若い後妻と三人で暮らしている。
まだ新しいお母さんに馴染めない思春期の娘は、スーパーで万引きを犯してしまうが、たまたま居合わせた大型熱帯魚店の経営者、村田に仲介され、助けてもらう。
それをきっかけに社本は村田と仲良くなり、一緒に仕事をしないか?と持ち掛けられ、応じる社本。
ところが村田には裏の顔があり、とんでもない計画に巻き込まれ、後戻り出来なくなっていく。
異常な光景が目の前に広がっていくが、弱気な社本にはどうすることも出来ず・・・。
“つまらない☆1”理由と考察、その感想
でんでん演じる村田の残虐な行為
主人公の社本を吹越満、怪しい経営者の村田をでんでんが演じている。
村田の狂気じみている独自の哲学が、でんでんの演じている中に散りばめられていて、とても異様な人格になっている。
実際にあった事件をモデルにしているらしい。
相当自分の中に確固たる軸のようなものがないと社本のようにこんな強烈な人格にどんどん巻き込まれていくんだろうなと思う。
主人公は経営者に保険金詐の手伝いをさせられる。
保険をかけては殺し、かけては殺し、村田に躊躇なんかみじんもない。
映像も、生々しい描写が後半にかけてたくさん出てくる、異様な作品になっている。
無理やり普通を嫌ったラスト
ラストのシーンがよくわからなかった。
吹越満演じる社本の人格が、村田を殺す所から変わるような描写があるが、そんな風には見えず。
出来ればもっと、あ、変わった、と分かるような演技が見たかった。
中身まで変わっているようには見えず、うわべだけ変わった振りをしている表面的な演技。
村田にめちゃくちゃにされて吹っ切れた、プッツンとキレた感じにしたかったのだろうが、平たく言えばすごく大根だった。
娘に説教するシーンもあるが、その感じのままなので、とってつけた様なセリフで見ていられない。
「人生ってのは痛いんだよ」って映画史に残る大根台詞。
これはわざとそうしているのか?
人生の教訓をえらそうに娘に説くこいつおかしいっていうのを表現しているのか?
もしそうだとしたら、社本が自殺して、娘が「やっと死にやがった」と罵りながら社本の死体を足蹴にする所で、本当に娘が楽しそうに見えなければいけない。
ちょっと涙目になっているように感じた。
結局娘には何も伝わっていなかった、伝わる訳がない、ということを伝えたいなら、娘の演技もまた大根過ぎる。
娘は、逆に涙をこらえて、本当は悲しいけど、それを見せないようにしてわざと口汚く振る舞っているように見えた。
もし、娘が、心から喜んでいる、本当に父が死んで良かった、と嬉しそうにしている感じだったら、全て収まったかもしれない。
話しがすごい展開になっていくので、終わり方も難しいとは思うが、なんか無理にもがいている感じを受けた。
よくオチが大事だとかは言われているが、それまでが良いのであればオチなんてつけなくても良い。
ただ、村田を殺した所で、社本が家族の元に帰って話が終わるのは普通か?
それが嫌だから、無理やりもう一展開したのか?
これならバッサリそこで終わっていた方が良い。
村田が死んでからの展開は、中身のない変な前衛芸術の演劇を見せられているようだった。
園子温の作る作品は、ぶっきらぼうな役者はいないが、リアルじゃなく、作り物の香りがして引っかかる。
一体、どんな演出をしているのだろう?
それが味でもあると言えばそうだが、
好きになれる登場人物が一人もいない
正直観終わって、なんだこれ、という感じが強かった。
それは良い意味ではなくて、変な映画だった、つまらなかった、という意味で。
頭に残っているのは、でんでんの残虐さ、透明にするという独特の言葉回しなど、がぼんやりとだけ。
そこを見せたかっただけなのか分からないが、全体で作品として面白いわけではない。
村田が死んだけど、スッキリもしない。
社本は村田の言いなりで、全然闘いがないのが物足りない。
村田に違和感は感じても、何も反撃できず、ずっといじめられているだけ。
村田のような強烈な存在に直面したら、ほとんどの人がそうなってしまうというのはあるかもしれないが。
社本が頑張ってなんとかしようと闘っていれば、まだ社本を応援できたかもしれないが、そうではない。
圧倒され続けていて、最後急に切れたという感じ。
社本が村田と闘って、村田がやばいと思って社本を言いくるめようとしたり、それでも村田に負けずに、というような会話の駆け引きや攻防があったら面白かった。
それで最終的に社本が勝ったら気持ち良くもある。
村田の存在感に重きを置きすぎて、ずっと村田の一人舞台なので、物足りない。
社本にもう少し存在感があれば、村田の怖さももっと引き立っていたんじゃないかと思う。
トレーニングデイではないけど。
社本がこの映画の最後の砦だった、だけどそうなってない。
村田は言うまでもなく狂っていて、社本もそんな感じだし、社本の奥さんや娘もケバくて可愛げもない。
なので、全員魅力がないので、気持ちを持っていきようもない。
頭でっかちな作品
出来れば、この題材はもっとまともに、真剣に怖いホラー的なサスペンスとして描いて欲しかった。
だけど、そういう普通が嫌だから、もっとそれを超えた所に行きたい、と思っている監督なんだよね?
園子音の映画を何個か見れば分かるが、演技についてはど素人だと思う。
というか、ほとんどの今の日本人監督はそうだと思うが、彼は特に。
なぜならあざとい人達ばかり出てくるから。
初期の頃のたけし映画の様に、この人セリフ言えないからセリフなしにしよう、とか判断することもなさそうだ。
吹越がナチュラルな演技ができる人だったら、この映画は良くなったかもしれない。
ラストシーンしかり、ラストまでの吹越の振る舞いもしかり。
吹越って演技がうまい名脇役、サブカルを背負っているみたいにされているけど、独特の暗い感じがナチュラルではないと感じる。
合っている役もあるんだろうけど、この役は合っていない。
社本みたいな性格の人ではないんだろうと思う。
えづいて吐くような仕草だって、なんだって、全部演技に見える。
だけど、全部監督が指摘しないといけないから吹越のせいではないし、そんなことはあまり分からない監督なんだろうと思う。
高橋ヨシキという映画マニアと一緒に脚本を作っているらしいが、確かに、ラストシーンなど脚本だけ見たら面白そうだと思うかもしれない。
しかし、所詮は頭でっかちで、軸となる演技がふにゃふにゃでは、どんなに良い脚本も駄作になる、という日本映画に多く見られる例に入ってしまっていると思う。
この作品は脚本が良いなどと言っている訳ではない、面白そうと思えるのは分かる、と言っているだけだ。
日本映画の致命的な所1位は、非リアルな演技で、誰もそこを見ようとしない。
この作品は、映画の作品として面白いか否かを度外視して、映像的な芸術だと捉えれば、それは多少の評価は得られるかもしれない。
ぶっ飛んでいる雰囲気がある、という意味で。
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