映画「ザ・クリエイター/創造者(2023)」が”物足りない”理由と考察、その感想

④物足りない☆2

ザ・クリエイター/創造者 英題:The Creator

監督-ギャレス・エドワーズ 2023年 133分 アメリカ

脚本-ギャレス・エドワーズ、クリス・ワイツ

出演-ジョン・デヴィッド・ワシントン、ジェンマ・チャン、マデリン・ユナ・ヴォイルズ、渡辺謙、アリソン・ジャネイ、他

映画「ザ・クリエイター/創造者」のあらすじ

AIと人間が終わらない戦争を繰り返している近未来、元特殊部隊隊員のジョシュアは、AIを率いてアメリカ政府に敵対するテロ組織に潜入していた。

テロ組織に属する女性、マヤはジョシュアの子供を身ごもっていたが、アメリカ政府の空中要塞、ノマドの攻撃で行方不明になってしまう。

ジョシュアは政府に不信感を抱き、傷心していたが、実はマヤは生きていて会える可能性があることを告げられ、ジョシュアはAI側の最終兵器とその設計者、ザ・クリエイターを排除するための作戦に参加することになる。

作戦チームは、ニューアジアにある農村の地下のアジトを見つけて奥に進むが、ジョシュアが見つけたのは、最終兵器と呼ぶにはあまりにかけ離れた、子供の姿をした人型AIだった。

“物足りない☆2″理由と考察、その感想

AIと人間の存続をかけた戦争物語

AIと人間が戦争をしている近未来で、どっち側につくのか、葛藤している主人公の生き様を描いたSFアクション大作。

主人公のジョシュアが奥さんと会うために、そして子供のロボットを守るために、時には自分の命を投げ出さんばかりに闘っていく様自体は、涙腺を刺激される。

主人公はどんどん感情が出てくるし、子供のロボット、アルフィーは可愛く、応援してしまう。

しかし、主人公の目的も利己的に感じてすっきりせず、AI側に深さもなく、結末が短絡的に感じ、アクションの映像自体は格好良い部分はあるものの、全体としては物足りなさを感じた。

なぜなのか考えていきたい。

アルフィーを本当に兵器として使ってどうするのか?

子供のロボットのアルフィーが、手を合わせて目をつむり、辺り一帯を停電させたり、車や飛行機の電源を操作したり、まだ小さな体でとんでもない力を出す感じは、めちゃくちゃ格好良い。

しかし、そんなアルフィーは、AI側の最終兵器としてジョシュアと一緒にノマドを破壊したが、本当の兵器として使ってどうするんだと思った。

アルフィーを守るために暴走したジョシュアの手引きのせいだが、大量殺人の手伝いをしてしまったのは致命的だと思う。

あくまで平和の使者として、両者の武器を無効化し、もうやめましょう、ということなら分かるが、間接的にでも相手を傷つける武器として使うことをAI側が許したら、もう暴力の連鎖は終わらない。

AI側は、ノマド崩壊した、よくやった、と喜んでる場合じゃない。

相手が、急に来た話しの分からない暴力的な宇宙人とかならまだ分かるが、相手はアメリカ人、もしくは人間で、人間はAI側でAIと仲良く暮らしている人達も多いんだろう?

アメリカ政府は非道な悪者として描かれているが、人類全員がそうじゃない。

地球をAIだけの星にする、という独裁的な目的がなければ、人間とも共存する必要があり、その人間を暴力を使って制圧していったところで、また憎しみの連鎖が生まれ、不毛な殺し合いは永遠に続くんじゃないか?

現在のガザ・イスラエル問題の様に。

それを平和的に終わらすためにアルフィーが生まれた訳だろう。

アメリカ政府が非道で、とにかくノマドを止めなければ犠牲者が増えすぎ、話しにならなかったとしても、完全崩壊させる必要はなかったんじゃないか?

ジョシュアが勝手にアルフィーを利用したからだとしても、アルフィーは人を殺すのは絶対に拒む、ジョシュアに対して怒る、くらいの気概を見せて欲しかった。

ノマドを崩壊させたがそれはたまたまで、良しとしておらず、今後は一切暴力は使わない、という方針をAI側が打ち出すなら、それも明確に描くべきだし、ノマドの崩壊にも、せめてAI達が神妙な雰囲気で見守っている感じが欲しい。

アルフィーは、母親のマヤとジョシュアもノマドにいるから、神妙な顔をしていたが、地上のAI達は歓声を上げていたし、ハルンも最終的には微笑んだ。

そこら辺の対話的なAI側の姿勢はほとんど描かれていないので、極悪な人間にAIが勝利した、という短絡的な話しに見えてしまう。

AI側の事実上のトップはハルンの様だが、我々からは攻撃しない、と口に出すだけでは全然足りず、どう平和的に戦争を終わらすか、という計画も教えて欲しかった。

理想は、アルフィーがガンジーのようにAIの先頭に立って非暴力を貫き、AIからは攻撃しないが、次々と人間の武器を無効化していき、対話を迫る、とかだったらめちゃくちゃ面白かった。

まるでAIの方がはるかに高い思想を持っているかのように。

4歳で国を任されたダライ・ラマ14世じゃないけど。

ジョシュアがアルフィーに、誰かの命を奪っては絶対にダメだ、オフにしちゃダメなんだ、と教え込んでいき、アルフィーの非暴力革命をジョシュアが裏で支える、とかにして欲しかった。

しかし、ジョシュアはロボット達の命を奪うことにさほど抵抗もなく、アルフィーの眼の前でも普通に壊していたりするので、説得力はないからそれも出来ない。

なので、アルフィーのかわいさや、命を呈してアルフィーを守ろうとするジョシュアの覚悟、ジョシュアとエマの死ぬ直前での再会など、感動するシーンはあっても、見終わると、何だったんだ、というモヤモヤが残ってしまった。

せっかく戦争というテーマを描いているんだから、AIにしか出来ない戦争解決の仕方がある、という現代の世界情勢への強烈なアンチテーゼの様な、映画ならではの理想を描いて欲しかった。

ジョシュアはどっち派なのかハッキリしない

ジョシュアは潜入捜査官だったが、ロボットを憎んでいて、それがアルフィーと接するうちに考えが変わった訳でも、実はロボットが好きな訳でもない。

ロボットも人間も全く差別しない訳でもなく、ロボットは憎くはないが、壊して良いものと何となく思っている感じだ。

とにかくマヤに会いたいので、アルフィーを利用する、しかし非人道的ではないので、アルフィーには優しく接する、という、特徴のない人格である。

博愛主義的でもあるし、そうでもない、何もない、という感じだ。

まだ、ロボット嫌いでアルフィーにも冷たく接しているくらいの方が、後々跳ね上がったんじゃないか?

ロボットを平気で壊すことも出来るが、後々アルフィーを守ろうとするのは、アルフィー自体に愛着が湧いた、というよりも、自分の子供であることが判明したことの方が強い気がしてしまう。

ロボット差別主義者だったが考えが変わった、という方が面白いが、それはあくまでもアルフィーが自分の子供であることが分かる前にアルフィーの自然な子供らしさに固定観念を打ちくだかれたから、ということにする必要がある。

そうでなければ、自分の子供だから守っている、ということになり、その利己的な感じが好きになれない。
そもそもジョシュアはロボット差別主義者でもなく、中途半端な博愛主義者なので、もし自分の子供でなくても守り続けた可能性もあり、そのノンポリ感がジョシュアの人間像を分かりづらくしている。

高性能ロボット義手、義足をつけている時点で、ロボットを否定している訳ではないが、家族のいるロボットAIのコードを切ったり、農村でお爺さんを撃ち殺したのは、明らかにロボットを下に見ているからだろう。

かといってどっちに行こうか葛藤している様子も特に見られない。

農村のお爺さんは銃を持っていて、ギリギリの状況だったが、手足を撃つとかで良かったんじゃないのか?

完全に壊れたか確定ではないが、再起不能の可能性も高い、胸をぶち抜く必要はあったのか?

お爺さんは、アメリカ人は殺す、と言っていたが、この作品ではアメリカ政府は悪い奴なんだから、そう思うAIがいるのも普通のことだ。

ロボットAIやお爺さんは壊すのに、アルフィーはロボットだが息子だから守る、とすれば残念だ。

アルフィーはロボットだが、とてもじゃないが壊せない、と深く葛藤している感じもない。

そこら辺を本人がどう思っているのかよく分からない。

潜入捜査官として働いていたが、それも仕事でやっていただけの気もして、本心が不明だ。

食いぶちがあり、家族と平和に暮らせればそれで良く、ロボットと人間の争いに興味がない感じもする。

もう少し、そういったジョシュアのポリシーをハッキリさせて欲しかった。

ノマドを破壊したのも、ハルンに壊せと言われたこともあり、そのAI達の想いに賛同して手を貸した訳ではなく、自分の子供のアルフィーを守るため、が大きい様に見えてしまう。

奥さんが大好きなジョシュア

ハッキリ分かるのは、ジョシュアはとにかく奥さんが好きだった、ということだ。

それがAI組織と全く関係ない、一般人の奥さんならまだしも、敵対組織の女性なのに、事あるごとに奥さんを愛していた、と声高によく言えるな、と思う。

一般人の奥さんで、それを殺したアメリカ政府に怒りがあるが隠していて、アルフィーを移送する任務中に、偶然奥さんの影を追うことが出来て、実はテロリストだった、と終盤で判明するわけでもない。

序盤のアメリカの襲撃で、ジョシュアとマヤの家には、思い切りハルンもいたので、マヤもテロリストであることをハッキリ分かって交際し、子供を作っていた訳だろう。

ニルマータを追っているから、そうでない敵対組織の女性とは幸せになっても良いだろう、というのはめちゃくちゃだ。

組織を壊滅させてから、奥さんと子供は守り、足を洗わせて暮らそうという甘い魂胆があったのか?

それを政府が壊したと責められても、自分が上司だったら、お前は何しに行ったんだ、と思う。

本気で潜入しているんだから、そういうことも起き得るのは分かるが、せめてそこはあまり口にせず、心に秘めていて欲しかった。

上司に、奥さん失って辛かったわね、と言われても、いや彼女はテロリストなんで、そんな感情はないです、などと意地を張っていたら格好良い。

しかし、やはり気になり、アルフィー

は人間の子供らしすぎて壊せず、仕方なく守っているうちに、マヤの正体が自然と耳に入ってきて、アルフィーが自分の子供であることも判明する、という展開なら良かった。

そうではなく、奥さんに会いたいことを隠さずに、猪突猛進の様に突っ走っていく感じが、自分のことだけか?と思ってしまう。

なので、このストーリーは、人間とAIの狭間で揺れる男の葛藤を描いたSFアクションドラマなどではなく、奥さんを愛していた男が、死んだかもしれない奥さんを探し出すシンプルなラブストーリー、と言っても過言ではない。

どんな斬新なSF描写も、恋の力の前では無力になるのかもしれない。

そして奥さんは、人間でなくロボットの方が良かったんじゃないかと思う。

奥さんがロボットなら、子供は当然できないが、ジョシュアの遺伝子を解析して実はアルフィーを作っていた、とかの方がより感動的だったかもしれない。

この俳優は、深さはあまりないがチャラチャラしてる感じもなく、感情もそれなりにはあるので、他の若い俳優よりも好感を持っていたが、今回の作品では裏目に出て、その人物像は薄めになってしまっている。

奥さんと子供に関すること以外は興味がなさそうなのが、主人公の演技としては物足りない。

アルフィーに一貫性のある大人びた強さが欲しい

アルフィーは一見人間の子供に見える可愛いロボットであるが、中身が大人っぽいのか、普通の子供なのか中途半端に感じた。

人間と変わらない無邪気さを示したかったのかもしれないが、3、4歳ではなく、7、8歳くらいだろう?

マヤが死ぬことに涙し、ジョシュアの言っていること、やろうしていることも理解出来ているので、AIの置かれている状況や暴力のダメさも分かるはずで、目の前でお爺さんロボットを壊されても、ドリューの会社でロボット達に銃を突きつけられても、怖がる素振りすら見せないのは不自然だ。

そんな肝が据わった子供もいるかも知れないが、普通の子供に見せたいなら、そこは素直に怯える感じで良かったんじゃないか?

お爺さんが壊されてもほとんど何も反応しないのは、肝が座っている、というより、状況が何も理解出来ていないからかもしれず、さすがにそんな訳はないのでよく分からない。

自分の力を使えばいつでも直せると知っているからか?

それならお爺さんも直してしまえば良かった。

AIだから命の大切さは分からない、としたら邪魔な描写だ。

せめてお爺さんを壊したジョシュアに激しく怒るくらいして欲しかった。

そして、上述した通り、普通の子供である以上に、自分がやらなきゃ、とAIを先導する感じが欲しかった。

AIの解放が望みだ、などと言っているのに、そこら辺は薄い。

普通の子供より、幼きダライ・ラマ14世のように、高貴で高潔な雰囲気の子供に振り切った方が、よほど面白くなったんじゃないか?

そこからインスパイアされているはずだろうし。

そんな子供いるわけない、賢いのはAIだからだ、と言われるのが嫌なら、違う作品で無邪気な子供のAIドラマを作れば良い。

この作品においては、無邪気なだけでは物足りず、実際の武器ではなく、戦争を平和に終わらせる良い意味の兵器として、子供ながらに達観したような人格であって欲しかった。

アルフィーは人間の攻撃を無効化し続け対話を迫るが、それでも防ぎきれなかった攻撃がアルフィーを襲い、それをジョシュアが身を挺してかばう、とかでも面白かった。

アルフィーは怒って訳がわからなくなり、人間に攻撃しようとするが、瀕死のジョシュアに止められ、ジョシュアはそれで命を落とすが、それを見ていた人間も考えを改め、英雄としてAIに称えられる、とかの方がドラマチックだったと思う。

ジョシュアがそもそも奥さんに会いたいという欲望を抑え、人間とAIの平和を模索する、という深い人格である必要があるが。

アルフィーが、ちゃんと自分から明確な意志を持って動き出したのは、ジョシュアと一緒にマヤと再会し、マヤの死を看取った時くらいからかもしれない。

自分の移送中にトラックを横転させたり、ジェット機をハッキングしたり、終いにはノマドを全て停電させてしまった。

こんなすごいなら、なぜ今までの地上戦に途中からでも闘わなかったのかよく分からない。

中盤くらいで、ジョシュアと一緒に逃げている時、AI達が攻撃を受けているのを見て、助けなきゃと言ったが、ジョシュアに促されてやめてしまった。

ジョシュアの言うことなど聞かずに、助けに行き、止めるジョシュアと激しくケンカしても良かった。

ハルンいわく、アルフィーは人を憎むようにはインプットされておらず、ジョシュアを愛するように作られた、ということだが、その狭間で葛藤する描写なども特にない。

AI達を守りたい気持ちもあるけど、そこまでででもない感じが中途半端だ。

ジョシュアは作られて少し時間が経ち、AI達の施設で匿われていたのであれば、その間にAI達から自分の能力の目的や使命などについて教え込まれていて、ジョシュアと出会った時にはすでに強い人格で、宿命を背負った深い雰囲気がある、とかの方が良かった。

暴力の酷さを知っている上で、怖がらずに達観していて、正義を貫き敵に向かっていく深い人格ではなく、目の前の状況に無頓着な子供っぽさが多々あり、物足りない。

達観した人格でも、子供のかわいらしさは消えるわけではないので、そっちで行くべきだったと思う。

せっかく魅力的な存在感があるはずなのに、大分もったいない。

テクノロジー自体は興味深いが残酷な部分もある

この作品に出てくるテクノロジーとその映像描写自体は、興味を惹かれる。

AIには人間性があり、人間そっくりの行動をしたり、ロボット丸出しのAIもいれば、顔の3分の2ほどは人間だが、首の後ろから穴が空いている人型AIもいる。

アメリカ軍の空中巨大要塞、ノマドは格好良いし、地上をスキャンするための青い光は薄気味悪くて良い。

ジョシュアがつけている義手や義足は、普通の体として使えているが、一体どんな技術なのか?

人が死んでから、脳をスキャンしてAIに移し、30秒ほどだけ意識を再生出来る、というのも興味深い。

ハルンを筆頭に、AI側はニューアジアというアジア地域を拠点としていて、アジア的な自然と田舎の風景に、AIロボット達が紛れている感じが、ミスマッチで面白い。

アルフィーは成長するAIである、と言われていたが、AIの成長に合わせて体の大きさを変えていくのか?

そうならまるで攻殻機動隊の義体の様でもある。

しかし、それらのテクノロジーの仕組みがどうであるかよりも、絵力の強さに目がいってしまう感じがした。

頭に穴が空いている人型AI達の見た目には独特のグロテスクさがあり、怖いもの見たさで引き付けている感じもする。

自分もアルフィーのその感じに興味を惹かれたのは確かだが。

死んだ人間の脳をスキャンし、AIに移すが、数十秒しか生きられない、という技術も残酷だ。

そのおかげで、ジョシュアとマヤは再会出来たのだが。

そして、そんな人型AIとロボットAIは、次々にことごとく破壊されていく。

顔のないロボットAIは、例え人間性があろうがジャンクのように壊されていくし、ハルンは胸を撃ち抜かれても生きていたが、ハルンの部下の女性も、ドリューの恋人も、農村でジョシュアが出会ったお爺さんも残酷に壊されていった。

その残酷さが、よりAI達やアルフィーを怒らせ、奮い立たせる材料には特になっておらず、流れで何となく壊されていった感じだ。

人間そっくりだが、ロボットなんだから別に残酷描写があっても良いだろう的な。

もっとハルンや他のAI達も怒りを爆発させていく感じになっていくなら分かるが、そうでもない。

アルフィーは、ノマドでの戦い以外はほぼずっと上の空の感じだし。

そして、そんな人型AI達はみんなアジア系というのはなぜなんだろう?

ドリューの家を襲撃した人型AIはインド系の様に見えた。

白人の人型AIがいないのは、ニューアジアだからか?

白人の人型AIは、全てニューアジアに逃げてきている訳ではなく、全て粛清されたということか?

ニューアジアには、現地のアジア人とアジア系人型AI、ロボットAIしかいないので、AI vs 人間というより、アジアvs欧米となっている感じもあり、少し違和感を覚える。

直接的な残酷描写があるのもほぼアジア系ばかり。

東南アジアの田舎感や、変な日本語表記、なぜかハルンだけ使う日本語、チベット寺院のようなアジト、力を使う時に手を合わせる、坊主でお坊さんの様なアルフィーなど、アジアに対するリスペクトは感じると同時に、ステレオタイプなアジア感も少し鼻につく。

言語に関しては、瞬時に翻訳されるのであれば、各々母国語である日本語やベトナム語、チベット語、英語などで、色んな言語がもっと飛び交っても良いが、そうでもない。
日本語にベトナム語で返事をする、などがあっても良かったと思う。

AIの人間性に深さや独特さが欲しい

ニューアジアには、トップにハルンやマヤがいるのは良いとして、白人、黒人、アジア人、様々なロボットAI、でっかい体を持ったAIや猫の体を持ったAIとか、もっと多様な方が面白かったんじゃないかと思う。

外見はめちゃくちゃだけど、心は人間より優しい、という感じで、それをハルンが束ねていたら格好良かった。

しかし、ハルンは外見は格好良いが、人間のAI破壊に激しく怒り、AIと人間の行く末を危惧し、平和を模索する様な深い人物像ではないので、AIの事実上のリーダーとしては物足りない。

それはマヤも然りだが。

AI達はもちろんアメリカ軍に真っ向から武力で対抗するし、序盤でロボットAIが情報を吐かせるためにジョシュアの同僚の顔をガンガン殴っていたり、インド系人型AIがドリューの恋人のAIを爆破したり、AIも人間と変わらず暴力を普通に使う。

戦争状態にあるのだから、人間とAI、AI同士ですら、敵とみなした相手へ攻撃をいとわないのは分かるが、もうそれはただ人間と外見が違うだけなので、もっと内面に差をつけても良いんじゃないかと思う。

マヤは、AI達は優しくしてくれたと語り、ロボットAIが猫をあやしたり、子供と手をつないで歩いていたり、人間の家族を巻き込まない様に自分がミサイルの犠牲になったり、などというロボット達の優しさを表した描写はあるにはあるにはあるが、まだ足りない。

それは、人間のアジアvs欧米の戦争と何が違うのかもよく分からない。

それをAIという形で置き換えただけのような気もする。

アメリカ軍を非道なことにして、AIと人の人間性に差をつけたつもりかもしれないが、AIが普通すぎるので、もっと独特の人間性が欲しい。

ただAI達が人間と戦う姿を見せるのではなく。

例えば、反撃はしても、絶対に人間を殺さないようにしている、とか、なぜ自分たちを生み出した、親のような存在が自分たちを攻撃してくるのか、悲しい気持ちを常に抱えている、とか。

AI達のスペック自体やニューアジアに行き着いたいきさつについてももっと語られるべきだし、例えばAI達は製造から30年しか生きられないから、命の大切さを人間より分かっている、とかでも面白いかもしれない。

上述した通り、アルフィーが先頭に立って非暴力で闘ったり、血気盛んなAIをアルフィーが諭し、ハルンがアルフィーを導きながら支えたりなど、いくらでも出来たんじゃないかと思う。

そういった深さがないので、そもそも不毛な戦いをしていて、AI側に正義があったとしても、そこまで応援しづらい。

アメリカ軍は悪いやつなので、負けて欲しいなあ、くらいにしか思えないのが、もったいなかったと思う。

ハリウッド的な作品

この作品は、キレイに見せるCG技術はすごいと思う。

人型AIにも、作り物のようなちゃっちさは感じず、近未来テクノロジーの絵や動画自体には、見ているものを引き付ける力はある。

ドリューの恋人のアジア系AIなんか特にAIと思えない出で立ちで、その夜の街の雰囲気も相まって、サイバーパンク感が格好良い。

しかし、やはりドラマ部分に深さがないので、そういった絵力の強さも、表面的なものになってしまっているのが
大分もったいない。

そっちに力を注ぐのと同じほどドラマもしっかりしたものにして欲しかった。

演技があざといわけでもないが、魅力的な人物描写が少ない。

渡辺謙演じるハルンも今ひとつ存在感がないのが残念だ。

いわゆるハリウッド的な作品で、薄めで流し見する分には良いのかもしれない。

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