グリーンブック Green Book

③見て損はない

見どころ→トニーとシャーリーの心の交流

監督-ピーター・ファレリー 130分 2018年

脚本-ニック・ヴァレロンガ、ブライアン・ヘインズ・カリー、ピーター・ファレリー

出演-ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニ、他

簡単なあらすじ

黒人差別が憲法で禁止されていない時代のアメリカで、黒人ピアニストと白人運転手の心の交流を描く。

ナイトクラブで用心棒をしていたトニーは、クラブの改装で仕事を失ったが、黒人ピアニストのシャーリーのアメリカツアーに同行する運転手の仕事に就くことが出来た。

ツアー各地で、シャーリーに対する人種差別により、様々な問題が起こるが、短気で手が早いトニーは、用心棒で鍛えたその腕っぷしの強さを武器に、シャーリーを理不尽な扱いから救っていき、シャーリーもまたトニーに手紙の書き方を教えたり、お互いに助け合いながら、ツアーを進めていく。

ツアーは成功するかと思われたが、最終日に大きな問題が起こってしまい、シャーリーはある決断をする。

グリーンブックの感想

主要キャスト二人の会話が微笑ましい

そこそこ面白かった。

ヴィゴ・モーテンセン演じるイタリア系アメリカ人のトニーが、雑でやんちゃで、言葉使いや態度も決して品がある訳ではないが、家族を大事にしていたり、理不尽な事には我慢出来なかったり、なんとも憎めないキャラクターで、見ているうちにだんだん好きになってくる。

奥さんに手紙を書くが、シャーリーに直されるまで、「食べ物を食べながら書いている」など、あまり意味のない事ばっかり書いていたり、間違えた個所を平気でぐじゅぐじゅに汚く消してしまったりするなど、字もちゃんと書けなくて雑だけど、家族に愛情はある感じなどが何とも可愛げがある。

シャーリーが手紙を直すのも良いが、支離滅裂な手紙の方が、後々心に残るような気もする。

ピアニストのシャーリーも、同性愛者だったり、品のある知的な雰囲気などがよく表現されていて、そんな対照的な二人の会話がコミカルであり、微笑ましく見ていられる。

シャーリーに対して差別する連中にトニーが鉄拳制裁したり、コンサート予定のレストランをボイコットし、街中のバーで演奏する所などスカッとするし、最後にトニーの家で一緒にクリスマスを過ごすなど、心温まる所も悪くない。

トニーとシャーリーのぶつかりがなく、物足りない

トニーが、どのくらい黒人を差別しているのか、という描写があまりに少ないので、あまり差別意識のない白人が、黒人と一緒に仕事をしただけ、という物足りなさは否めない。

最初の方のシーンで、黒人作業員が使ったコップをごみ箱に捨てたというだけでは、それはもしかしたら差別をする親族の目があるからかもしれないし、本当に差別意識があったら、屋敷で黒人の従業員と賭け事に興じるなんてしないだろう。

そもそもシャーリーから仕事を受けることも拒否したはずだ。

雰囲気的に、差別をしていたトニーが、シャーリーと接するうちに差別意識が取れてきて、人種差別という壁を乗り越えた人間同士の心の交流風のストーリーではあるが、そうはなっていない。

また、それを期待していた。

強く人種差別をしていたトニーが、シャーリーの真摯な態度に接し、自分を恥じ、人種差別って一体なんだ?と考え、葛藤し、最終的に友人になる、ということなら良かった。

この理不尽な時代に、白人が黒人のボスの元で働くという働き方が珍しかったのは確かだろうが、そういったメッセージがないのであれば、トニーが白人である必要性はあまりなくなってきてしまう。

この作品は、黒人を差別しない腕っぷしの強い白人と、白人から差別され黒人からも良く思われていない知的な黒人との交流である、と言ってしまっても良いと思う。

その腕っぷしの強い白人が、差別され、困っている黒人を助けるという一方的な構図になってしまっている。

理想は、黒人を嫌悪する白人と、差別されようが文句の一つも言わず、人から好かれる、人の心を動かしてしまうような人格者の黒人との交流であって欲しかった。

シャーリーの姿勢や態度、言動を見て、トニーの差別していた意識が崩壊する、もしくは差別意識はまだ残っているが、シャーリーのことは尊敬はしてしまっている、などであれば、ガツンと来たと思う。

もちろん、シャーリーは悪いことなど微塵もしていない、仮に白人専用のバーに入ったとしても、男性と一緒に過ごしていても、レストランで食事を拒否されたことで演奏を拒否しても、差別などする側が狂っているんだから、もちろん何も間違っていない。

黒人差別という幼稚で理不尽な行動を平気でしている、その白人達や何もしない政府や警察にも、許せない怒りがこみ上げてくるし、もし自分や自分の身内が同じ目に遭ったと思うと、悔しくてしょうがないのは確かである。

しかし、そういった差別に全く嫌な顔すらせずに従ってしまう、それは心からの服従ではなく、嫌だとか、バカバカしいなどと思うことをはるかに通り越して達観している、超人的な紳士のシャーリーも見てみたかった。

最初から全く相手にすらしていない、相手にするだけ時間の無駄だ、という強い気持ちのシャーリーが。

まるで、27年間理不尽に収監され続けたネルソン・マンデラが、その紳士的な態度で看守の気持ちすら変えてしまった様に。

そういう姿勢が、近くで接している差別的なトニーの固まった心を溶かしてしまう、という所が見たかった。

最後の演奏先のレストランで、食事を拒否されても、嫌な顔一つせず物置で食事することを快諾し、トニーがそのシャーリーの振る舞いを見て差別とは一体何だ、と心揺さぶられる描写などが見たかった。

そもそもトニーはほとんど差別していない。

そこらへんが、人種差別のテーマや、ボスと運転手という良い設定があるから、もっともっと面白く、深く出来たとはずだと、もったいなく思う。

最後のシーンで、トニーをシャーリーが車で送り、シャーリーは最終的にトニーの誘いを受け、クリスマスパーティーに参加したが、一回断ったのにやっぱり行くにしては、単純にトニーとシャーリーの会話が足りなく、不自然に感じた。

トニーがしつこく誘ってきたのを無理やり振り切って帰り、やっぱり来ると考え直した行動なら分かるが、トニーはサラっとしか誘ってなく、すぐに引き下がってしまったし、それでなぜシャーリーは考え直したのか、動機が分からないし、それなら最初から断る描写は必要なかった。

あのさらっとしたやり取りで一回断ったシャーリーが普通に帰ってきて、特に何か理由を言う訳でもなく、トニーも「なんだ、来るなら最初から居れば良かったのに」などという訳でも、驚くわけでもなく受け入れる感じが、不自然だと思う。

せっかく最後の見せ場なのに、なんかグズグズでもったいないと思った。

理想は、断るシャーリーをトニーがしつこく誘い、そのまま顔を出したら親族がシャーリーに汚い言葉を浴びせたり、差別的な振る舞いをし、シャーリーはいいんだ、いいんだ、いつものことだと気にもしてないが、怒ったトニーが親族を殴る蹴るで大暴れし、それをシャーリーが止めに入って、強い口調でトニーを諫める、などであれば、複雑な感情が入り混じる深い話になったと思う。

人種差別に怒りを感じる白人を描くのも悪くないし、差別に何も屈していない黒人の姿はとても格好良いと思う。

なので、設定や役者自体はとても良いのに、ストーリーや脚本をもう少し掘り下げたらより面白くなったと思う。

アメリカでは、黒人の人達や、数種類のメディアや一部の文化人からからぼろくそに言われている作品

恐らく、日本人がこの作品を見て、この作品に対してマイナスなイメージを抱く人はそんなに多くないんじゃないかと思う。

なぜ黒人の人達が悪いことなどしていないのに差別されなくてはいけないんだ、どうしようもない法律だな、もし自分だったら最悪だ、でも守ってくれる白人の人もいたんだ、などと思うのが大半だろう。

アメリカの人達の感想を聞いて見ると、辛辣な意見でビックリする。

主な意見は以下のものだ。

・差別の酷さがあまり描かれていない

・実話であるこの話はトニーの息子が脚本を書いていて、シャーリーの設定が事実と反し、黒人の仲間もいて特に孤独ではなかった、片親ではなく両親に育てられて貧乏ではなかった、特にシャーリーの親族に事前確認もしなかった、それに親族が抗議し、謝ったのはシャーリーを演じたマハーシャラ・アリだけである。

・この監督は過去にトランプ支持のツイートをしていたこと、ヴィゴ・モーテンセンが差別的な発言をしていたこと(どちらも後に謝罪しているが)

・この話はレイシスト(差別主義者)が作った映画であり、主人公がシャーリーでなく、優しいレイシストのトニーの目線で語られていることに違和感があること

・グリーンブックというタイトルで、黒人が差別されていた話なのに、なぜ白人が主人公なのか

・シャーリーのような人が白人が入り浸るバーに入ることなどあり得ない、それはトニーをヒーローにするために無理やり作った不自然な行動である事、

・元々白人が黒人を差別していたにもかかわらず、白人が黒人を助けるという構図になっていて、白人は決して悪くないかのようなすり替えの主張をしている事

・黒人は白人に助けてもらわないと何もできないと示唆していること

・トランプ政権が作ったプロパガンダ映画ではないかということ

いかがだろうか?こんなことが、アメリカでは言われている。

今は公民権法があり、差別は法律で禁止されてはいるが、差別の問題が現在進行形で勃発しているアメリカに住む有色人種の人達からすると、色々と引っ掛かる所がありまくりという事の様だ。

アカデミー賞にノミネートされ、同じく差別というテーマを扱った映画「ブラック・クランズマン」を撮った黒人映画監督のスパイク・リーは、グリーンブックの受賞が発表されると怒りをあらわにして会場を去ったらしい。

日本人からすると、グリーンブックの人種差別行為は許せないものであるが、それでも黒人の人達からしたら、緩やかにしか描かれていないというのだから、実態は想像を絶する状況であったんだろうと思う。

確かに、シャーリーをなぜあんなに弱い感じにしたのか、同性愛の要素はそもそもいるのか、など言われてみれば疑問はたくさん出てくる。

全体を見てみれば、確かに白人目線、トニーの目線で全てが語られているように見えるし、トニーは間違いなく、シャーリーを救ったヒーローではある。

トニーが警官を殴り拘留された時は、シャーリーがものすごいコネでトニーを助けたが、適当で差別的な大道具スタッフが頼んだピアノをちゃんと用意しない時、シャーリーが酒場で絡まれた時、シャーリーが男性と一緒にいことで警官に捕まった時、など、トニーがシャーリーをまるで騎士のように助けていたのは事実だ。

当時の黒人が白人が入り浸るバーにふらっと入るはずがない、という意見もしかり、きっと実在のシャーリーとは多少なりとも違うように脚色されているのだろうとは思うが、その脚色の仕方が白人寄りだ、と言われても致し方ない。

この話はトニーの息子が書いた話だから、トニーが主人公で白人目線になるのはしょうがないと思うが、それでも言われてみれば、差別を作っていたのは白人の人達なのに、まるでトニーがヒーローであるかのように描かれるのはおかしいから、アメリカの黒人の人達が違和感を感じるのはうなずける。

プロパガンダ映画だというのは間違っていて、白人と黒人の人種の間で、差別に対する意識があまりにもかい離していることから、こうなってしまったんだと思う。

公民権法が出来る前でも、トニーのようにあまり差別していない、もしくは全く差別していない白人の人達もいたはずなのは間違いないと思うが、この作品を見て、白人の人達は悪くない、法律が悪かったんだ、と思うのは短絡的だと、アメリカの黒人の人達の意見を聞いて教えられた。

アメリカでも意見が分かれているのに、黒人差別や人種差別を体感していない、日本に住む日本人がこの作品を見ても、そりゃそこまで強い違和感は分からないだろうなとは思う。

自分もはっきりとは分からなかった。

そういった経緯を知らなくても、この作品がアカデミー賞を取る、というのはちょっと物足りないという気はする。

というか、今までも決して面白い作品がアカデミー賞を取っている訳ではないので、別に取っても良いとは思う。

しかし、人種差別や当時の黒人の振る舞いなどを歪曲して描いている作品を、アメリカ人がその年の最高の映画に選んだ、と考えると、それはアメリカという国のイメージダウンだし、国際的に政治的に、民度的にどうなの?と言われてしまってもしょうがない。

差別などの問題が何も絡んでなく、ただ単に面白くない作品がアカデミー賞を取った、ということなら、見る目がないなあ、もう、くらいで済むが、この作品は昨今叫ばれているブラック・ライブズ・マターの運動が扱う人種差別に深くかかわっているので、そう簡単にはいかないということだろう。

くしくもこの作品がアカデミー賞を取ってしまったことで、よりアメリカという国で白人が抱く無意識の差別意識が露呈してしまった結果になったと思う。

白人の人達が、悪気なく良かれと思って選んだ作品がこれだった訳だから、より根深いとも言える。

もちろん、面白かった、と言っている黒人の人もいるので、決して批判だけではないし、面白い部分もあるにはあるが、歴史を知っている人からすると、面白い以上に違和感を感じてしまうということだろう。

単純にこの作品が面白い面白くないだけでなく、それ以上に色々考えさせられるという意味でも、見て良かったと思う。

ヴィゴ・モーテンセンやマハーシャラ・アリなどの俳優陣の演技は、ストーリーにおける役割の物足りなさを除けば、円熟したもので、非常に良かったとは思う。

しかし、差別という大きな問題からくる違和感などを差し引いても、上記にも書いた通り、もっと面白く出来たはずだとは思ってしまう。

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