ドラマ、私の家政婦ナギサさん・MIU404・SUIT2の感想

こぼれ話

最近のドラマ、2020年の夏にやっていたいくつかのドラマの感想

普段はあまり日本のドラマは見ないが、なんとなく流していたらストーリーが気になってしまい、ついつい最後まで見てしまったので、その感想を書いてみる。

私の家政婦ナギサさん

結末自体は良いが、お互い好きな気持ちが見えない

多部未華子の家に大森南朋が家政婦としてやってきて恋が芽生えるという話。

最終的な結末は、悪くないと思った。

若い女性とおじさんの家政婦が結婚するという、普通はあり得ないが、あっても良い終わり方で、良い意味でハッピーエンドであり、無理に裏切る訳ではなく、前向きな気持ちになれるストーリーだ。

結ばれたのにお互い敬語でしゃべるという一見変わった関係も好感が持てる。

多部未華子という人は、感情を表にあまり出さずに、どんな人か分からないと思っていたが、それが逆に日本人らしい女性で、派手ではないが、見ているとそれなりに可愛らしい所があるんだと思わされた。

大森南朋も、きちんとした仕事が出来そうに振る舞えていて、こういう家政婦の人もいそうだなと思わしてくれる。

しかし、なぜお互い好きになったのか、好きな感じや一緒に過ごしていて楽しい感じ、だんだん気持ちが盛り上がっていくというのが二人から伝わってこなく、そういった演技の描写もなければ、決定的な事件などもないので、ハッピーエンドではあるが、全体としてだらっとした雰囲気になってしまっている。

決定的な事件がないのであれば、気持ちがだんだん盛り上がってくる、例えば、メイが仕事の時のテンションとは明らかに違って楽しそうにナギサと接しているとか、ナギサもなんか家事に力が入ってしまって、やりすぎてしまっている感じとか、接する時の態度がだんだんため口が少しづつ出てきたり、少し馴れ馴れしくなってきたり、いくらでも出来るだろう。

それらが一切なくずっと平坦で、最終的にお互い好きと口で言っているだけなので、見ているこっちは、へー、そうなの?という感じになる。

それは男女が一緒の家に住んでいたからか?という単純な理由に見えてしまう。

メイとナギサの演じ方、ナギサの物足りなさについて

ナギサと結婚したことでナギサが家政婦としてではなく家に帰ってくるとき、「どうしよう、緊張してきた」など気持ちを声に出したり、メイの心の声がナレーションのように聞こえてきたり、口で色々気持ちは言うが、ほぼ言っているだけで、本当にそんな感じには見えないし、出来ればそういったことを言わずに演技だけで魅せて欲しい、と思ってしまう。

感情の流れがはっきりと見えていて、その上で言葉に出すのならまだ良いが、気持ちを口に出すことで、気持ちの表現をそれに頼ってしまっているようにも見える。

大森南朋は、仕事で出来そうな真面目な家政婦という感じがよく出ているが、あまりにおじさん過ぎると思う。

正直、真面目でちゃんとした人なんだ、というのは伝わってくるが、恋してしまう、思わずきゅんとする、というのはちょっと無理があると思った。

真面目に徹しすぎたせいか、成熟した男性としての色っぽさというものがほとんど感じられない。

自分は原作は全く読んだことはなく、漫画の絵だけちらっと見ただけだが、もうちょっと色っぽさがある人なんでしょう?

誰が筋金入りの真面目な男性家政婦をやれと言ったのか?

大森南朋に頼めば、そういった感じで演じることだって出来たはずだし、きっと素の大森南朋が何も演じずに家政婦をやった方が、原作に近いんじゃないかと、原作を読んでいない分際で推し量ってしまう。

原作に近い近くないは置いておいても、素の大森の控えめな、少しダークな感じが色っぽさにつながってくると思う。

それをなんで、あんなにはきはきしゃべる演じ方にさせてしまったのか?

撮影の仕方がどういう力関係なのか分からないが、もし大森に演技の仕方を任せていたとしたら、それは間違っていると修正も出来ずに共倒れになっている演出や監督が悪い。

まあ、そこらへんは日本のドラマや映画の制作陣のいつもの作り方なんだろうなと思うので、あまり期待してはいけない。

俳優も監督の指示を押しのけるくらいこの演じ方が良いという俳優もいないし、間違った演じ方の俳優を導ける監督や演出もいない、こだわりも特になく、誰か強く指摘する人がいる訳でもなく、こんな感じだろうとみんなでふんわりとやっているんだろう。

ストーリー自体は悪くないので、このプロットは海外に売れるんじゃないかと思う。

きっと原作が良いんだろう。

MIU404

主人公の若手二人が物足りない

綾野剛と星野源の刑事コンビが難事件を解決していくアクションドラマ。

キレると何をするか分からない綾野剛を、星野源が冷静にいなしながら二人で事件を解決していく。

出てくる役の中で一番光っていると感じたのが、全編を通してぶっちぎりで菅田将暉だった。

最終話に関しては、ほぼ菅田将暉の印象しかない。

主人公の刑事コンビの息吹(綾野)と志摩(星野)が弱いので、かなり物足りない。

息吹はいつキレるか分からない雰囲気は出ているので、そういった意味では悪くないけど、しゃべり方も軽くて実は頭が切れる感じもせず、本当におバカさんに見えるし、なぜこんな刑事が捜査の先頭にいるのかいるのか分からない。

かなりの下っ端の役柄なら分かるが、主要キャストにするほどの存在感は全然ない。

いつキレるか分からない、というのだけ、本当にそんな感じがするのは良かった。

星野源に関しては、もう終始どんな人間か分からないので、全く記憶に残らない演技をしている、させられている。

冷静で感情をあまり出さない、それはそれで良いが、それなら結構な深さがないと成立しないが、冷静なだけでそんな雰囲気もない。

スタイリッシュ風だがチープな音楽で、オシャレ感を醸そうとしてはいるが、このドラマの目的は何だ?

格好良さそう、という雰囲気はあるが、格好良い、という所まで何も昇華させられていない。

決して若くない二人だから出せる深みも特に感じないから、これならこの二人のアラフォーに演じさせる必然性がよく分からない。

もっと若いピチピチの俳優に演じさせた方が、まだ良いんじゃないか?

最終話に関して

最終話は、先ほども書いたが、菅田将暉に全部食われたと言っても過言ではない。

菅田将暉の生の会話感、しゃべっているセリフがセリフではなく、自分の言葉としてしゃべっている感じ、相手の台詞に食い気味・かぶり気味で声のボリュームを急にグッと上げて相手を威圧する所など、演技をしているように見えないので、かなり惹きつけられた。

正直、日本の全てのドラマの主人公は菅田将暉にしてもらいたいくらいの・・・。

息吹と志摩は、薬で幻覚を見てしまうが、その幻覚がゆるいし分かりづらいので、幻覚だったのか、良かった、とハラハラさせられなく、だらっとしていた。

志摩が久住に銃を向け、伊吹が目を覚ますと志摩の姿が見当たらず、血を流した志摩が近くの部屋から見つかるが、ここは一連の流れとして見せなかったことでテンションが途切れた。

志摩が久住に向かって銃を撃ち、その瞬間に息吹が目を覚まし、後ろから撃たれ倒れた志摩は今にも死にそうで、息吹が激高して・・・と連続して見せられたなら惹きつけられたが、なぜこんな分かりづらくしたのだろう?

少し間をおいて、近くの部屋から血を流した志摩が見つかるが、血が尋常じゃない量出ている訳でも、重傷だかなんだかもはっきりと分からず、なんとなく生きてるし、間延びしてハラハラ感がない。

せめてここでも明らかに死んでいるように見せても良かったのに。

なんと下手な見せ方をするなあと思った。

あと、久住がわざと船の上で橋に頭をぶつけようとした時、伊吹はびっくりした様子で「避けろ!」と叫んだが、それは橋が迫っていることに気付いていない人に対する普通の注意で、なんともダサい。

久住の意図に瞬時に気付いた上で、それを阻止しようとする素振りがあったら格好良かったのに、最後の最後まで久住の考えていることに及ばず、久住の存在感に圧倒される役で、伊吹の見せ場は何だ?と思う。

橋から船に飛び降りる大胆さ?怖がらずにただ敵に猪突猛進していくこと?それだけのように思えて、なんか浅くないか?

同僚が車にひかれて死の境をさまよっているのは久住のせいなのに、そういった久住に対する怒りで、頭が悪くても少ない頭がフル回転して、頭の良い犯罪者を追い詰めていく感じにしたいんじゃないのか?

久住と港で対峙してからも、久住に対する怒りなどはあまり感じられずに久住と普通にしゃべっている感じが、本当のバカなんじゃないかと思う演じさせ方だ。

一見普通にしゃべっているけど、心は怒りでいつ取り押さえてやろうか、とはらわた煮えくり返っている感じが漏れていなければいけないのに、久住に良いように言い負かされて逃げられる、その一貫性のない魅力のないキャラは何だ?

頭では久住にかなわなくても、気持ちで久住と同等に対峙する、会話でも押し負けないから、面白いのに、会話面で久住にガンガンに押されてちょっとたじろいでいる感じで、それを修正せずにそのまま流してしまうのは、作っている側に色んな意味で何もセンサーが働いていないんだろう。

ちょっと前にやっていたドラマ、SPECの加瀬亮が演じる刑事には、すごい超能力を持っている犯人に対しても、ただの普通の刑事だが、全く引かないという感じが良かった。

伊吹はキレる怖さはあるけど、時々へらへらしてしまうから、気持ちが強いという感じはあまりしない。

久住が屋形船で乗船している人を目撃者にしようとした時、男が笑い出して、久住を相手にしなかったが、なんでもっと引き付けないんだろう、と思った。

久住の思惑通り、乗客がみんな静まり、志摩と伊吹がはめられた感じになって、弁明をしようとしたらどっとみんなが笑い出して、だったらもっと引き付けられたのに、細かいかもしれないがメリハリがない。

麻生久美子とか、黒川智花とか、綾野剛だって、出ている役者自体は悪くないはずなのに、一つ一つの見せ方や演じ方が素人なので、ふーんという感じである。

まあ、こんなものだろう。

SUITS2

織田裕二の目を見張る演技

織田裕二主演の弁護士を主人公にした作品。

これは、正直ちょっと見て織田裕二の演技に心奪われた。

びっくりした、この人は、なんで終始ずっと作り物の演技をしているんだろうと思った。

終始格好つけている、セリフの言い方が明らかに不自然、まるで誰かの物まねをしているような感じ。

演技としては、生まれて初めて人前で何かをやろうとしてあがっておかしくなってしまっている人のような演技、それをずーっとやっている。

俳優としては赤ちゃんのような演技。

それが、ゴールデンで思いっきり流れていることの不思議。

この人は、これは一体なんだ?と強烈な疑問を抱いてから、毎週研究の意味で見ている。

平気で部下に「お前はクビだ」とか、急に「今の球はストレートだ」とか、言うのだが、意味が不明で、一体何を言ってるんだ?と訳が分からなかったが、しばらく見ているうちに、ああ、これはジョークを言ってるんだと気付いた。

全くジョークに聞こえない、ただのおかしな奴にしか見えない。

ずっとみていると、このドラマには甲斐に限らず、そんな一瞬意味不明の台詞の言い合いが多いが、そういうジョークを言い合うやつをやりたいんだなあと分かった。

鈴木保奈美演じる幸村はまだうまくジョークに聞こえるが、甲斐はぶっちぎりでひどい。

さらっと言えばまだいいものの、変に顔を作って無意味に溜めてから言ったりするから、より訳が分からない産物になってしまっている。

これ、みんなどういう気持ちで見ているのか?

この人は、踊る大捜査線とか、下の立場で上に向かっていく正義感などを演じる時は違和感はないのだが、それ以外の役、落ち着いた上の立場の役などは全く出来ないんだと思った。

黒澤明のリメイクの用心棒を演じた時も酷かった。

このスーツのかいという役は、いつも落ち着いていて弱みを見せず、スマートで、ウィットに富んだジョークを言うような役であり、この人はそんな人間を演じよう演じようとしている。

ナチュラルな所が全くないのか?というとそういう訳でもないが、三話見て1分間くらいだったと思う。

自分が行っていた裁判で不正な証拠を隠していた社長に、駐車場で詰め寄るシーン。

自分はもちろん、被害者も侮辱している、と怒りをぶつけるが、ナチュラルに怒れていてスカッとした。

多分、役を通り越して本当に腹が立ったというか、怒れたんだろう。

それ以外は、自然な所を探す方が大変である。

アメリカドラマのリメイクだった

おかしいのは甲斐だけでなく、同僚弁護士の蟹江も、終始演技がかっていて臭く、日本の演劇界で培ってきたであろうよくあるうわべだけの演じ方だ。

蟹江も、模擬裁判の後、甲斐に「全部君のせいだ」と怒りを爆発させるところだけはナチュラルで良かった。

そのうちに、主人公の甲斐の振る舞いや蟹江の振る舞いの不自然さ、に思い立ち、ひょっとしてこれはアメリカのドラマか何かをリメイクしたものかと思って探してみたら、すぐにアメリカ版のスーツが見つかった。

本家とどう違うのかと借りて見比べてみたら、びっくりした。

日本のスーツの甲斐役のハーヴィー・スペクターは、確かにポケットに手と突っ込んで歩くような人、自身に満ち溢れていていつも胸を張っている感じ、ラフに笑ったり親しみやすい雰囲気を出さない、さらっとジョークを言う、しかし、めちゃくちゃナチュラルである。

作っている感じは全くせず、その場その場で感情を使ってナチュラルにしゃべっている。

ジョークも顔を作ったり、ここで決めてやろうという感じなどなく、さらっと言う。

日本のと全然違う、一体何を見ているのか?何がどうしてこうなった?

そのアメリカ版の主人公の、見事にうわべだけを物まねしようとしてこうなってしまったんだと思う。

物まねとしても消化不良である。

内面さえ作れていればそれで良いのに、外側を真似するという、アクターズスタジオで言う所のスタンプを、この人はやり続けている。

アクターズスタジオでは、いかにしてスタンプ、紋切り型のうわべの真似を避けるか、ということに演技の基本が置かれているが、その逆を見事にゴールデンの主役がやり続けているというガラパゴス演技大国日本。

真似する必要などなく、自分なりで良いのに、出来もしないことに無理に寄せようとしたなれの果て、これは俳優にとったらこんな良い反面教師の素材はないだろう。

甲斐はスーツ姿で外でよくサングラスをかけているが、アメリカだったら普通のことだが、日本人でかけているのは不自然で、真似する必要なんてない。

経歴も、法律事務所の弁護士は、甲斐も含めてハーバード大学のロースクールを卒業した人がたくさんいるが、それも本家の真似で、日本人の弁護士事務所でハーバード大学のロースクールを卒業した人ばかり、というのはさすがにおかしいし、そこも真似する必要あるか?

そんな外側ばかり一生懸命真似しなくて良いから、肝心の中身や会話のやり方などをしっかりと作れば良いのに、無理なジョークだって不自然になるなら言わなくて良い。

甲斐だけじゃない、蟹江もアメリカ版はルイス・リットという同僚の弁護士で、ちょっと見ればすぐに変わっている人なんだ、と分かる強烈なキャラクターだが、決して作り物の感じがしない。

蟹江の振る舞いは明らかな作り物で、そんな人いない、と思わされる演技をずっとしている。

小手伸也はすでにもう素が良いキャラクターなんだから、作らずにいくらでも自然な形で変わったキャラクターが出来るはずなのに、なぜこうもリアルでないものを作ってしまうんだろうと思う。

やれという指示があるのかもしれないが。

ハーヴィーが目をかけている天才青年のマイク・ロスは、日本版では鈴木弁護士だが、かなり物足りない。

マイクは生意気であるのに対して、鈴木は品の良い優等生に見えるので、そもそもキャラクターが違うし、マイクのような危なっかしさもないから面白みもなく、アメリカ版に比べてなんともこじんまりした人格になっている。

事務所の代表であるジェシカ・ピアソンは幸村だが、厳しい感じなどは悪くはないが、ジェシカのような決して厳しいだけじゃない器の大きい感じなどが見えないので、幸村は大分薄いキャラクターに見える。

鈴木保奈美はツンツンした役は天下一品かもしれないが、そうでない面が出せないのであれば、高畑淳子なんかジェシカっぽくて良いんじゃないかと思う。

ダニエル・ハードマンは上杉だが、上杉だけ違和感なく見ていられる。

一見紳士っぽいけど狡猾な感じなど、よく出ていて良い。

アメリカ版とほぼ同じようなストーリー展開

アメリカ版を見てみると、ほぼ同じようなストーリーで日本のドラマも展開していくのが分かる。

アメリカ版も会話のテンポが速く、普通のドラマよりもそぎ落とされているシーンも多く、これはどうなった?と一瞬戸惑うこともある。

例えば、マイクに疑いを持ったジェシカがマイクに口頭で法律の問題をテストする所など、いざテストを始める、というカットで話は終わっている。

結果はどうなったのか?と気になる所だが、テストをしているシーンは描かれず、そのテストにマイクが次々に答えて合格した、というシーンを見ているこっちに想像させる作り方になっている。

一見分かりづらいが、粋な作り方であり、ドラマの描き方として、かなりの高等テクニックであると思う。

甲斐が企業再生部門の瀬川を自分の味方につけるためゴルフ場で説得する時、甲斐は「渋谷日向子選手が一緒にラウンドを回ります。」と言ってその場を去った。

このシーンを見た時、なんだこの冗談は?と訳が分からず、なんだ?と思っていたが、アメリカ版を見たら意味が分かった。

ゴルフ好きの相手を説得するために、プロのゴルファーを呼んで一緒にラウンドを回らせて、相手を良い気分にさせて交渉を良い方向に向かわせる、という大胆な作戦を取った、ということだった。

アメリカ版では、見ていると、その会話のやり取りだけで意味が分かったが、日本版では、甲斐の言い方がリアルでないため、嘘か本当か分からない。

日本版もアメリカ版もどちらも実際にゴルファーの姿が映されるわけではなく、会話だけで完結して魅せる高等なシーンであり、そういった手法が多用されているドラマである。

それを日本版ではそもそもの演技が出来ていないため、同じことをしようとしても、意味不明、意味消失することが多く、ちゃんと伝えられていない。

土台がしっかりしていないのに、そういった高等なテクニックまでもやろうとしているので、suits本来の面白さや深さといったものが全然表現できていない。

甲斐風に言えば、ストレートもまともに投げられないのに変化球ばかり投げるな、といった所か。

甲斐に限らず、セリフで多用されているジョークも、ただ言えば良いというものではないだろう。

会話が下手な日本人がやるドラマとしては、会話劇だけで魅せていく、非常に難易度の高いドラマを背伸びしてやろうとしているな、という印象である。

日本人とアメリカ人で演じ方はなぜ違うのか?

日本人がなぜ、こうもアメリカ版と比べて見劣りしてしまうのか、それはもう何もかも違う。

言語、言語に伴う感情の出しかた、日常の振る舞い方、育ち方、ドラマに対するお金のかけ方など、一つこれだとは言えないし、細かいことは以前書いた記事を見てもらいたいが、suitsに関して一つ言うとしたら、上記にもあるように日本人は会話が下手という事である。

ジョークだって、言うぞ言うぞと思って言うのと、いつも言っているし、と思ってさらっと言うのでは、ナチュラルさは段違いである。

思ったことを強く言うことを普段からし続けていて、それをさらに発展させて、あえて抑えてジョークのように言うとなれば、それは深みが出るが、日本人のほとんどは、それ以前の思ったことを相手にぶつける、という段階にすらいないので、普段から感情を使う訓練が出来ていない。

アメリカ人が、怒りをあえてジョークに変換してさらっと言うことも出来れば、そのまま強く意見を言うという両方が出来るとしたら、日本人はどっちも出来ない。

発展形であるジョークなど程遠いんだと思う。

日本人は感情をあまり使わなくて済むただの情報のやり取りはよくやっているが、アメリカ人のように平気で嫌われるような意見でも相手に言ってしまう、分からないと思ったら強く聞く、などの、普段から感情を使った会話はしないので、いざ会話をしようとするとどうして良いか分からないということだろう。

演技をする、しない以前から、アメリカ人は普段からドラマで見られるようなナチュラルな強い会話をしているので、じゃあこのセリフを言ってねと言われても普段通りでいけることが多いが、日本人の場合はやったことがないので、変にギアを入れて言おうと思わないと言えない、だから力も入るし、不自然になってしまう。

余談だが、よくアメリカに留学する芸能人とか、俳優がいるが、言葉を学ぶだけじゃなく、そういった精神を学ばなければ意味がないので、もし留学する俳優がいるのだったら、精神や性格をがらっと変えて帰って来るくらいの気持ちで行って欲しい。

こういった日本のドラマの感じは、今に始まったことじゃないし、日本では普通のことだから、suitsが特別な訳では何もない。

本当は、本家を超えるくらいの良いものを作って欲しいものだが、今の所、日本のドラマ界はあと何年かかるか分からない。

表面上の演技や、見た目、設定や経歴、スタイリッシュな雰囲気だけ真似しても、肝心の内面が真似出来ていないので、すごく薄っぺらなコピーになってしまっている。

これがゴールデンで流れている、評判も悪くないんだから、日本とは恐ろしい国である。

一つ言っておくと、本家のsuitsを絶賛している訳では決してない。

まだ全話観ていなく、まだハーヴィーやマイクにそこまで魅力を感じている訳ではないので、今の所めちゃくちゃ面白いという訳ではなく、そこそこ面白い、という感じ。

だから、本家がすごいと言っている訳ではなく、日本のsuitsが何なんだろうと言っている。

suits2の日本版で言えば、今の所、吉田剛太郎演じる上杉は悪くないし、話自体は気になるので、全否定している訳ではない。

suits2はせっかく見始めたから、日本版・アメリカ版両方観てみようと思う。

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