15時17分、パリ行き The 15:17 to Paris

④物足りない

監督-クリント・イーストウッド 2018年 94分

脚本-ドロシー・ブライスカル

出演-スペンサー・ストーン(本人)、アンソニー・サドラー(本人)、アレク・スカラトス(本人)、ジュディ・グリア、ジェナ・フィッシャー、他

感想

役者じゃない人間が主演の映画

クリント・イーストウッド監督の実話を基にしたシリーズの中でも、当事者本人たちをそのまま役者として使ってしまうという異色の作品である。

実際に列車内のテロを防いだ主人公たちはもちろん、被害にあった乗客も本人役で出演しているという、なんとも型破りな手法。

演技のプロではない人間を使って、ここまで見れる作品に仕立て上げてしまうのはすごい。

一体どうやってここまでナチュラルに、嘘くさくなく演技をさせているのか?

その演出方はまさにクリント・イーストウッドの魔法である。

その演出の秘密を知りたいとも思う。

彼らは本当にヒーローか否か

それはさておき、見終わった感想としては、何か違和感を感じた。

確かにテロリストを抑え込み、もしかしたら大惨事になっていたかもしれない事件を未然に防いだのは称賛に価すべきだし、よくやったとは思う。

もし自分が同じ立場だったら、と考えるとゾッとする状況なのに、よくも果敢にテロリストに突っ込んでいったなとは思う。

しかし、もしかしたら死んでいたかもしれない。

犯人が撃った銃がたまたま発射されなかったから助かっただけで、あまりに無謀な賭けにしか見えない。

それが発射されずに結果オーライで、強い気持ちを持っていれば、なぜか銃も発射されない、それは天の導きか、神の采配か、善の力には何者もかなわない、とでも言いたげなように聞こえて、それはそれで怖い。

一瞬の隙を見計らって、もしくはわざと隙を作らして突っ込んでいく、もしくは軍にいる経験を生かして、銃で撃たれても致命傷にはならない防御態勢を作って突っ込んでいくとか、一般人には見えないが、主人公たちには確実に行けるという道が見えているから、賭けに出た、ということにして欲しかった。

そんなこともなく、銃を持ったテロリストにただ真正面から向かっていくというのはただのおバカさんであり、結果オーライではあるが、「よくやった、君はヒーローだ」とは素直に言いづらい。

乗客を救ったこと、救おうとしたことは褒めて良いと思うが、テロリストと対峙した瞬間のスペンサーの行動は褒めてはいけないと思う。

誰も真似しちゃいけない。

むしろ、これが称賛されるべきことであるならば、人々はテロリストを見つけたら自分が死んでも良いから突っ込んでいけ、ということか?

それこそテロリストがやっている玉砕の自爆テロと同じ発想なんじゃないか?

そんなことは出来ないと言ったら、「しかしスペンサーはそれをやった、彼を見習え」とでも?

なんとも怖いメッセージだと思う。

むしろこの映画には、そんな賢いやり方があったのか、そんなスキの突き方があったのか、とか、特殊能力がなくても戦えるんだ、とか思わせてくれることを期待していたが、全くそうではなかった。

近くにいた友人も、なぜスペンサーに「今だ、行け」と言ったのか全然わからない。

思いっきり撃たれるタイミングでスペンサーを突っ込ませていたじゃないか。

もし、スペンサーが撃たれていて命を失っていたら、一生自分のその行動を悔いて背負っていかなくてはいけなくなる。

そう考えると、スペンサーは助かったけど、もし自分がその友人だったら、とてもじゃないが、微笑んでフランスの大統領から賞など受け取れない。

スペンサーは自分のせいで死んでたかもしれない、今回うまくいったのはたまたまだ、と反省してしまうからだ。

というか、無謀に突っ込んでいったスペンサーもそうだし、三人とも賞貰ってまんざらでもない感じがいかがなのかと思う。

賞をもらっても喜ばないでほしかった、結果オーライだから、良かった良かったバンザイ、ではすまない。

もっと神妙な顔で賞をもらうか、賞なんていらないと辞退しても良かったんじゃないか。

そこらへんの無謀さがどうも引っかかって、大統領から賞をもらう実際の映像が流されている終盤などは違和感でいっぱいだった。

数百人の乗客を救ったという事実と、たまたま奇跡的にうまくいった無謀な行動をごっちゃにして、ひとくくりにして、彼らはヒーローだという一本やりはあまりにも雑すぎる。

そういった雑な、彼らを称賛するこの作品の作り方がなんとも怖い。

クリント・イーストウッドは、それぞれ解釈してもらったら良い、と言っていたが、もし三人の行動を皮肉った意味を込めて作っていたらすごいと思うが、きっとそうではないと思う。

もし、自分がスペンサーの軍の上官だったら、スペンサーたちに説教をする。

助けたのは良いが、あんなやり方では続かない、第一君が死んだら君が助けるはずの人も助けられなくなる、次回同じ状況だったときは、こうしなさい、ああしなさいと言う。

もしかして、実際は絶妙な隙を狙ってテロリストを抑えていたとしたら、まぎれもない英雄だと思うが、それをもし映画では捻じ曲げていたら、ダメな方に脚色している。

たまたま弾が出なくて助かった、というのがどうにも引っかかる。

スペンサーはどんな気持ちで突っ込んでいった?

スペンサーはどんなつもりで突っ込んでいったのか、どんな気持ちで突っ込んでいったのかが極めて重要だ。

とっさに体が動いて相手のスキをつけた、もしくは死ぬ覚悟をして動いて相手のスキをつけた、死ぬ覚悟で動いたが相手のスキをつけない、とっさに体が動いたが相手のスキをつけない、スペンサーはどれなのか?

とっさに体が動いて相手のスキをつけたのが一番の理想だと思うが、スペンサーはこの4つのどれでもない。

とっさに体が動いたわけでも、死ぬ覚悟をしていたわけでもなく、悪がいるからとにかくやっつけるという思いだけを胸に、変なタイミングで猪のようにとにかく相手に突進するという、無謀な突破口の開き方。

言ってみれば、アホだからできた、しかもそれがたまたま成功したということである。

仮に死ぬ覚悟で向かっていったとしても、あそこで頭を撃たれてしまっていたら、犯人と距離があるから、自分が死んでも犯人に体で覆いかぶさって動きを止める、ということすら出来なかっただろう。

理想のヒーロー像では決してない、泥臭いヒーローですらない。

たまたまヒーローになったヒーロー。

しかし、賢くて動かない人間より、アホでも助けてくれる人間の方が良い、アホなヒーローでもいないよりいた方が良い、ということだ。

派手だからピックアップされているが、きっとテロを未然に防いでいるが、表に出ないヒーローはたくさんいる。

テロリストがトイレから出てきた瞬間に、目の前にいた人があっという間に抑え込んでいたら、ここまで大きく取り上げられていただろうか?

乗客が未然にテロを防いだと新聞でちょろっと出るくらいなんじゃないか?

派手な立ち振る舞いをしたからヒーローとは限らない。

結果的にスペンサーたちは事実上ヒーローに違いないが、手放しに称えることに違和感がある。

スペンサーたちはまだ若いから、賞をもらったことなど何も誇りにせずに、浮かれずに地に足をつけて生きていって欲しい。

決して胸を張れることではない。

周りも称えすぎて、彼らを勘違いさせてはいけない。

もう、手遅れかもしれないが。

最後で集約できずに物足りなさが残る

終盤のテロリストとの戦いが引っかかりすぎて、全体としてかなり物足りない印象になってしまった。

正直終盤までは、何か事件がある訳でもなく、平坦にストーリーが進んでいくので、終盤の事件が違和感ないものであれば、それでガツンと全体が締まったはずだ。

今までの平坦な感じまで、深みがあるように感じられるくらい、最後の事件の内容次第でなんとでもなったと思うが、そうではないので、なんだかなあとなった上に、フランス大統領からの実際の授与式の映像まで流れて、見終わるころにはもう十分萎えているという感じ。

クリント・イーストウッドは好きだし、話題になったこの映画も楽しみにしてみたが、かなり期待外れだった。

クリント・イーストウッドは、現実に存在するヒーローに注目しているみたいなことを言っていたが、作品を面白くするためには忠実に実話を再現する必要などなく、こっちの方がより面白くなると思えば、いくらでもそっちに流れて脚色しても良いと思う。

実話が面白いとは必ずしも限らない。

むしろ、作り物と分かっていても、勇気をもらえる、という作品はいくらでもある。

映画なんだから、そこの垣根を超え、見ているものの心を動かすというミッションを優先順位の第一に置くべきで、実話に忠実にこだわる必要はない。

そういう意味で、役者を使わずまでして撮るというこだわるべき理由がこの作品にはなくなってしまっていると思う。

監督は、スペンサー達の顔が良い、と言っていたから、なんとしても使いたかったのかもしれないが、この実話を元にしてもっと面白い作品が出来たのではないかと思ってしまう。

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