映画「ロスト・イン・トランスレーション(2003)」が“物足りない”理由と考察、その感想

④物足りない☆2

ロスト・イン・トランスレーション 英題:Lost in Translation

監督-ソフィア・コッポラ 2003年 102分

脚本-ソフィア・コッポラ

出演-スカーレット・ヨハンソン、ビル・マーレイ、ジョバンニ・リビシ、他

映画「ロスト・イン・トランスレーション」の簡単なあらすじ

カメラマンの夫の仕事で東京に滞在することになったシャーロットと、CMの仕事で家族をアメリカに残して一人来日したハリウッドスター、ボブの心の交流を描く。

東京という言葉も通じぬ異国の地で、どことなく疎外感を感じている二人。

同じホテルのバーで偶然出会った二人は意気投合し、お互いの寂しさを埋めるかのように行動を共にしていくのだった。

“物足りない☆2”理由と考察、その感想

美しい街、東京

主に新宿であるが、東京の街がこうも幻想的に美しく描かれていることに驚いた。

その撮り方や、音楽なども合わせ、まさにエキゾチックな異国感が満載で、外国の人から見たらこんな幻想的な感じに見えているのかと、日本人が気付いていないことを感じているんだと感心させられる。

舞台になったパークハイアット東京のホテルや、そのホテルで二人が出会ったバー、ニューヨークバーに、この映画を見た外国人が聖地巡礼でたくさん訪れるのもうなずける。

また、新宿のビル群を物憂げな表情で見つめるスカーレット・ヨハンソンの表情がなんとも味があって、絵になる。

スカーレット・ヨハンソンは、何かを抱えた、淋しげな表情をするのが実にうまいと思った。

ビルもたくさんあり、繁華街もたくさんあるが、新宿という町は何が特徴かと言われるとよく分からない、不思議な町である。

その不思議さをうまく捉えて美しい映像を作ることに成功している。

この映画のテーマでもあるが、言葉が通じないというのも、より東京という町をエキゾチックに見せている要因の一つなんだろう。

日本のように、西洋と同じかそれ以上に文明が発達している便利な国にもかかわらず、あまり英語が通じないという国は珍しいかもしれない。

自分ももし、言葉が全く通じない場所に一人で滞在することになったら、もうそれだけで孤独感を感じる。

その孤独感がより街を幻想的に見せるということもあるだろう。

また、外見が自分と違う人達にたくさん囲まれている、というのも気後れしてしまうのかもしれない。

日本人が外国に行って、自分の周りを歩いているのが全て外国人というのが不思議に感じるように。

ヨーロッパの白人の人達からすると、日本はそんなアジア圏だし、言葉も通じない、かといって文明が発展途上ならまだしょうがないと思えたり、強気でいけるが、かなり文明も進んでいるがゆえに圧倒される、ということなのかもしれない。

ヨーロッパの人からすると、日本はかなりガラパゴスなんだろう。

言葉に関しては少し誇張されたところもあるかもしれない。

落ち目とはいえ、ハリウッドスターにあんな適当な通訳などつけるわけがないし、都心の大学病院の医者が外国人に日本語のまましゃべるということもない。

と思ったが、調べてみたら、日本の医者は英語がしゃべれない人がかなり多いらしくてビックリした。

むしろリアルな日本の描写だったのかもしれない。

せめて医者くらいはしゃべれないと、と思うが、日本だから大丈夫なんだろう。

しかし、日本人は英語が喋れないわけだから、日本人は世界中どこに行っても「ロスト・イン・トランスレーション」状態に陥るともいえる。

日本のホテルの従業員はまだ英語が喋れるが、外国のホテルは日本語が通じない所の方が多いから、日本人の方がむしろ海外はきつくて、ヨーロッパの人達は旅行しやすい気もする。

孤独を感じる二人のなりゆきは恋愛か友情か?

異国で淋しくなってしまうのも後押しして、言葉が通じる二人はどんどん仲良くなっていき、それが恋愛なのかどうなのか、一線を超えるのか超えないのかという微妙なラインを保ったまま、二人の関係は終わる。

正直、これは友情なのか、恋愛なのか、かなり微妙なラインだと感じてしまった。

もし自分が夫だったら、妻が知らないおじさんと二人でベッドで横たわっていた、という話を聞いたら、何をしてるんだ、浮気してたのか?となるが、外国人のラフな感じからすると、ただ一緒に横たわったくらいどうってことない、本人達はなんとも思っていない、という感じもする。

友情が発展していって、ボブの方は、ちょっとどちらかに揺れている感じもするが、シャーロットの方はどっちなのか分かりづらい。

ボブが手を出したら、シャーロットはそれを受け入れてしまう感じもする。

仲良くなり方は、ボブが言っている冗談にシャーロットは子供のようにキャッキャッ笑っているという感じで、大人が子供と遊んでいるという仲良くなり方で、恋愛としての関係性は基本的に成り立っていない。

お兄さんのような、お父さんのような感じ。

そんな子供のようなシャーロットを、家庭の不協和音や、異国の疎外感があったとしても家庭を持った中年男性が好きになる理由としてはまだ足りないから、これは友情の物語なのか?

ボブはバーで歌っていた女性と関係を持ってしまったが、シャーロットはボブを好きではないから、それを知ってもその後ご飯を一緒に食べに行けたのか?

その二人の食事がなんとも気まずい空気が流れるのが、言葉に出来ない色んな思いが頭を駆け巡っている。

シャーロットは、不倫の現場を目撃してしまった、私が一緒にいたことで変な気にさせたのかしら、とか、ボブはボブで弁明したり、口止めするのもおかしい、しかし弱いところは見せられまいと、怒った感じになっていたり。

もし友達だとしても、そこらへんを腹を割って話せるほどの仲でもまだないという感じ。

でも、ボブのシャーロットへの接し方を見ると、シャーロットに対してただの友達以上のものを求めている感じがする。

シャーロットにキスをしようとしてタイミングをうかがったり、何か自分の中で葛藤しているような感じがかなり見受けられる。

シャーロットも正直どう思っているのか分からない。

まあ、白黒つけるのは野暮なのかもしれない。

お互いの存在が、ちょうどお互いの寂しさを埋めることに貢献したことに間違いはない。

恋愛的な要素はばっさりいらなかったのもしれない

ボブがシャーロットに対して恋愛かどうかで揺れている感じは、ちょっと気持ち悪いと思ってしまった。

年が離れているし、シャーロットは子供のようにキャッキャッしているだけのように見えて、それに手を出すか出さまいか悩んでいるボブはかなり気持ち悪い。

シャーロットが若いけどかなり精神的に落ち着いていて、大人な感じならまだしも。

遊びもクラブみたいなところに言ったり、カラオケで歌ったりと、かなり若者の遊びという感じで、中年のおじさんが楽しむには無理があると思ってしまうから、それで気が合うも何もないと思ってしまう。

ボブもボブで、家庭のマンネリややりたくない仕事や寂しさでやけくそになっていたのかな?

でも、それでもしシャーロットに手を出していたとしたら、好きとかではないけど、目の前にきれいな女性がいるから、いけそうな感じがしたからいった、という浅い話になってしまう。

実際手は出してないけども。

やけくそではなく、もともとボブも精神年齢が若くてボブにしたら接しやすくて気が合って好きになったとしても、大人の落ち着いた恋愛ではなく、若者の幼稚な恋愛になってしまう。

幼稚は言い過ぎかもしれないが、ボブがおじさんである必要がなくなってしまうので、よく分からない。

大人の恋愛チックに見せつつ、やっていることは若いのであれば、なんともチグハグで、脚本として深みがないと思う。

言ってしまえば、おじさんが異国の地で言葉の通じる若くてきれいな女性がいたから、羽目を外して手を出しそうになった、という話のような。

それだったら、むしろそんなボブの揺れる恋愛的な葛藤はばっさりなくて、ボブも子供のようにただシャーロットと遊んで楽しかった、というだけの方がさっぱりして良かったのかなと思う。

あっさりしすぎで映画にならないだろうか?

シャーロットはどういう人間か分からない

シャーロットは物憂げで、何を考えているのか分からない魅力がある一方で、どんな人間か分からないから、男としては非常に怖いと思う。

まるで猫のように、気付いたらどっかに行ってしまう感じがする。

ボブになついた理由は自分をかまってくれたからというだけなんじゃないか?

旦那の海外出張についてきて、孤独を感じるからと言って、ゆきずりの他の男と浮気まがいのことをされたら、旦那としたらたまったもんじゃない。

実は旦那が仕事と称して浮気して遊びほうけていたならしょうがないが、旦那は仕事をしていたわけだろう?

外出するなとか、束縛していたわけでもなく、ごく優しい感じの旦那で、良いホテルにも泊まれて、一人で観光もできて、しかも日本人の友人まで東京にいる訳で、一体何が不満なんだ?

わがまま、かまってちゃん、リア充の極みなんじゃないかと思う。

これ以上何を望む?

お金はなくてももっと危険な匂いがする男、浮気しそうで、振り回してという男の方が良いのか?

もしそうだとしたら、旦那にとって悲劇としか言いようがない。

内気で外にもいかず、旦那をいつも待っているが旦那は冷たく、邪険に扱ってくるという描写があるならまだ良かった。

そんなこともないのに、普通にクラブみたいなところに行って、危ない香りのする日本人の友人とはっちゃけて、ということがナチュラルに出来てしまうような人種に魅力はないと思う。

もしかしたら、ボブの方が、旦那よりも刺激的で一緒にいて楽しいという意味で意気投合したのだとしても、シャーロットに芯のようなものがないから、好きと思っているのか思っていないのかも分からない。

シャーロットは寺を観光したり静かに遊ぶよりも、アクティブに遊びたかった、その相手がたまたまボブだった、ということか?

ボブはまだ中年の危機、マンネリ、つまらない仕事や独りぼっちとかで憂鬱な感じになるのは分かるが、シャーロットは日本人の友人もいるし、旦那も日本に来ているし、それで寂しいという感じになる理由が見当たらない。

だから、寂しい二人が出会った的な感じは全然的外れで、むしろ、寂しいおじさんのボブを日本通のシャーロットが色々連れて行って楽しませてあげた、という話だった方がしっくりくる。

シャーロットの何不自由ない設定、派手な遊びもナチュラルに出来てしまう雰囲気など、シャーロットに深みを持たせられていないと思う。

まるでプロモーションビデオのような感じ

日本という国の不可思議さのようなものが、外国人から見た切り取り方によって、よく表現されていると思う。

おかしなバラエティ番組や、客自ら調理するしゃぶしゃぶなど、日本人が何も思わないようなことも、外国人から見たら不思議に見えるんだろう。

ボブと日本人監督との不自然なやり取りや、英語が喋れない病院の客との掛け合いなど、所々にあるコメディ的な要素も悪くない。

東京はなんとも不思議で美しい街なんだ、ということが映像できれいに表現されて、気付かされるところは悪くないが、全体としては少し退屈で物足りなく感じた。

ストーリーがうんぬんというよりも、東京の景色が印象に残る感じの、まるでプロモーションビデオのような感じというか。

ボブが家庭で抱えていることや覇気のない理由などをもう少しリアルに知りたかったし、シャーロットのよく分からなさも解消してもらえていたら、きっと良いものになっていたんだろうとは思う。

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