映画「ドッグヴィル(2004)」が“オススメ”の理由と考察、その感想 

②オススメ☆4

ドッグヴィル 英題:Dogville

監督-ラース・フォン・トリアー 2004年 178分

脚本-ラース・フォン・トリアー

出演-ニコール・キッドマン、ポール・ベタニー、ローレン・バコール、ステラン・ステルスガルド、他

“オススメ☆4”の理由と考察、その感想

絶対に嫌な気分になる

こんなに嫌な気分になる映画は久々だ。

これでもかと嫌な気分になる描写がどんどん出てくる。

自分は、以前にも見ようと思ったことがあるのだが、白線が地面に引いてあって壁もないという舞台のような感じに、これは映画なのかと見る気をなくして途中で止めてしまった。

もう一回なんとか見てみたら、グレースが街に来て話が展開していくうち、話しに引き込まれ、気にせずに見れた。

人間のドロドロした部分を全面に押し出した映画だ。
この長尺の映像を見終わった後、きっと誰しも何かを強く感じ、考えさせられることと思う。
確かに嫌な気分にはなるが、意図的に嫌な気分にさせられているわけで、ただいたずらに煽っている訳ではないと感じる。
撮る方も演者も大変な苦労があるのだと思うが、もしこういうのを毎回見ていたら、かなり疲れると思う。
これは、どうすればこんなことにはならずに済んだのかと考えさせられるきっかけを与えてくれていて、あなたは何を思うだろう?

小さな世界での悲劇

井の中の蛙という言葉があるが、まさにグレースが来たこの村は一見平和そうに見えるだけで、正しい人間の振る舞いは何かということを知らない、考えようともしない人々の住む村だった。
平和なのは、すぐに解決出来るような簡単な問題しか起きていない時だけで、何かイレギュラーなことが起きたら対処の仕方を知らない。
知らないだけならまだしも、これで正しいのかとも葛藤せずに、安易な考えですり替えて誤魔化し、その場しのぎで済ましてしまう。
誰にも言われないから、誤魔化していることすら、表だって意識することはなく、人間的な成長などないまま、日々の業務に終われて時間が過ぎていくだけ。
自分の今の世界が本当に正しいのかと疑うこと、疑う目を持つこと、またそのためにどうしたら良いのか、と反面教師のように考えさせられる。
狭い世界で広い世界を見通せる勘の良さを生まれながらに持っていればいいが、そんな人はまれにしか存在せず、多くの人は、自分のモラルや良識を学び、保つために何かをしなければいけない。
それが自分の仕事を突き詰めることなのか、学門を学ぶことなのか、多くの人と接することなのかは人によって違うだろう。
ただ色んな経験をするだけでも足りず、どうすれば良いのかというのはなんとも難しい問題ではある。
デフォルメされてはいるが、小さい村やコミュニティなどの狭い環境で、これと似たような場所は少なからず存在するんだと思う。
グレースはよりによってとんでもない村に来てしまった。

傲慢なグレース

グレースもまた、ある種の思考停止状態に陥ってしまっていた。
かくまってもらう代わりに村にいるため、作業が増えていき、邪険に扱われていくあたりで、気付くべきだった。
自分はなんのためにここに来て、なんのために居座っているのか?
この村はおかしいんじゃないか?と。
天秤にかけたらすぐに分かることだ。
いや、気づいてはいたんだろう。
マフィアの娘で世間知らずというのもあるが、ここで第二の人生を送ろうとも思ってしまった。
いつしか身を隠すという本来の目的を忘れ、村人に嫌われないために行動するということが目的にすり替わってしまっていた。
村人に受け入れられるということに喜びを感じるのは良くても、依存しすぎてしまった。
辞めるに辞められない会社員のようになってしまった。
始めて就職した会社がブラック企業だったというような感じか。
多少理不尽でも、食べさせてもらっているからと我慢する。
さらに普通がどんなものか知らず、憧れていて、他の村を探すという選択肢すら頭に浮かばない。
自分のことをはっきりと見ようとせず、違和感は感じてここは悪い所だとうすうす分かっていても、辞めるに辞められない。
真っ向からおかしいと戦うことをせずに、自分が献身的に尽くす姿を見てもらえればやがて自分の価値を分かってもらえるだろうと思っていた。
いざ逃げようとする時も、味方を見つけて車で送っていってもらおうとする。
誰かになんか頼らずに、一人で夜にこっそり逃げてしまえばいいのだが、味方を見つけることで、世の中悪い人ばかりではないと思いたい。
分かりにくいが、グレイスもまた、村人と同じように、安易に手に入るようなやり方で、自分の人生を良くしようとしかしていなかったんじゃないか?
もっと戦うべきではあった。
たまたま見つけた最初の村に固執する必要なんてない。
戦う勇気を持てずに、気づいたらもう取り返しのつかないくらい嫌な状況のど真ん中にいて、拒否する思考も働かずに心が折れてしまう。
これは自分だったらと考えると実に怖いことではある。
どっかでキレてしまえばまだ良いが、嫌われたくない気持ちが残っていると、そんな態度もとれないままずるずる行ってしまう。
会社だったら急にでも辞めてしまうのが一番だ。
しかし、なんだかんだ文句を言いながらも、辞めるという勇気を持てずに、許してやろうと収めてしまう所が、グレースの父の言う所の傲慢という事なんだろう。
やったことは村人の方が圧倒的に悪いから、グレースが悪いというのは言い過ぎだが、こんな酷い状況になったのは村人の要因だけでなく、グレースの性格と合わさって生まれたとも言える。
理解者のような立場のトムもいて、余計に頭がこんがらがってしまうことではあるだろうが。
村人で誰が一番悪いかと言えば、ダントツでトムが悪いわけで、トムさえいなければすぐグレースは逃げ出して済んだかもしれない。
いちいちトムが理解者面をしてなだめて来るから、グレースも踏み切るに踏み切れない。
道徳ということを掲げて自分を誤魔化している辺りも一番タチが悪い。
だからトムだけはグレース自身の手で葬ったんだろう。

なんというラストシーンだろう・・・

グレースは父に説得されて、気づいて、村を焼き払った。
最初は村人を許そうとしていたが、傲慢だと父に言われて気づいたグレース。
仮にグレースの性格が少なからず招いた事件だとしても、途中で逃げられたとしても、村人はやり過ぎたし、天誅として罰がくだってしかるべきだ。
しかし、あの短時間で自分を振り返り、許す必要なんてないとすぐに気づけるものなのか?

もし気づいたとしたら、もっと落ち着いた感情じゃなく、今まで我慢していた感情が爆発するような演技の描写があっても良かった気もする。

村を焼き払うことを決めるけど、どこか淡々としているのが引っかかる。

それに、ほとんど部下に任せて簡単に終わらせてしまう所が、これは本当に仕返しになっているのかとも思う。

今までグレースがされたことを考えると、まだまだ足りないとも思ってしまう。

許すのが傲慢だという考えは実に良いが、欲を言えば、ここで気づいてからまた復讐の為に2時間くらいかけて自分たちがいかに酷いことをしたのかと分からせるためにグレースの復讐が始まるというのも見たい気もするが、ちょっとやり過ぎか。

焼き払われてしかるべきだし、スカッともするにはするが、グレースがされたことに比べたらあまりにも楽なやり方だし、こういう人間に分からせる方法はないんだとお手上げの様にも感じて、ある意味で焼き払ったからといってグレースの勝ちにはならない。

なんとかして時間をかけて自分たちの行いを反省させ、村人がこれから自分たちは十字架を背負って生きていくんだと、本当に思えたのを確認した上で全てを焼き払う方が一番いいんじゃないかと思う。

それでも勝ちになんてならないが。

全員刑務所に行くというというのも手ではあるが、それでは比較的普通になってしまうし、そういうやり方をせずに焼き払うという辺りも、これはどうなんだと考えさせられる要因ではある。

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