映画「女はみんな生きている(2001)」が“つまらない”理由と考察、その感想

⑤つまらない☆1

女はみんな生きている 英題:chaos

監督-コリーヌ・セロー 2001年 112分

脚本-コリーヌ・セロー

出演-カトリーヌ・フロ、ヴァンサン・ランドン、他

“つまらない☆1”理由と考察、その感想

緊張感がまるでない作品

終始緊張感のない映像で最後まで見るのがかなりきつかった。

ありきたりなカメラワークや意味のない顔のアップ、緊張感を削ぎ落とす不必要に多用する軽快な音楽、終始軽くて適当な登場人物達の演技、浅いコメディ要素・・・。

逆にすごいが、こんな合わせ技をされたら、どんなに良い脚本でも良いものにするのは難しいと思った。

良かったシーン

良かったのは、終盤でノエミが自分の話を聞こうとしない妹を説得するシーンだ。

母国の古い悪しき慣習や目先の利益にしか目がいかない自分たちの家族への痛烈な批判を妹に聞かせる。

普通に暮らしている人たちが無意識に感じているが、見て見ない振りをしていることを一気にまくし立てていく。

実に格好良い姿だが、妹はそれでも心動かされなかった。

妹もそんな世界に浸っている人間だから、ちょっと言われたくらいじゃ気づかないんだろう。

あとは、自分を見つめようとしない旦那が自分の母親と対面させられて、涙を流すシーンだ。

雑多な日常をこなすだけの毎日を送っていくことで、家族への愛情などを忘れていってしまうんだろう。

不必要な軽快さ

終始軽いコメディのノリの様なものが感じられ、真に迫ってこない。

緊張しかけたと思ったらすっと抜けてしまう。

軽快な音楽も多用されていたが、すでに場面が軽快なのだから、さらに流されるとよりあざとく感じてしまう。

中途半端な演技

誰一人として真剣に演じている様には感じなかった。

これは一体どういう演出なんだろう?

本当にその人になりきっているというより、全員演技の真似事をしている感じしかしなくて、本当にリアルに感情がぶつかっている場面がほとんどない。

面白おかしくしようという意図もあるからなのだろうが、それぞれがうわべでしか演じてないから、終始見るに堪えない。

真剣にぶつかっている中に面白さがある訳で、最初から面白さを狙っているこの手のコメディの感じはじつにきつい。

ノエミを演じた女優の演技も実にあざとく下手で、見ていて恥ずかしくなってくる。

まあ、監督が演出しているので俳優に罪はないんだと思いたいが。

テーマは悪くない

男たちが優位な社会へのアンチテーゼとも言うべきテーマは悪くない。

もしかすると、フランスの人からしたら思い当たる節がすでにあるから、多くを説明しなくても共感できるテーマなのかもしれない。

もちろん日本社会にも通ずるところもあると思う。

テーマ自体は悪くないとしても、見せ方に真剣さが欠けていて、感じるものが少なくなってしまっている。

技術のうまさとか、テクニックを見せて欲しいわけではないし、粗削りでも全然かまわない。

しかし、監督の真剣さや痛烈なメッセージというものが、軽いノリのようなものが邪魔をして何も感じれない。

本当にメッセージを伝えたいのならなぜ真剣にやらないのか?

そもそも不満を抱いているのかとすら思ってしまう。

こんな適当なやり方で、世の女性を代弁しているつもりなのか?

この作品を見た男性が楽しそうに笑っているのを見て監督は楽しいのか?

それこそ冗談として受け止められている訳で、世の男性を顔面蒼白させるような作品を作りたいと思ってほしい。

まあ、フランスの原題が「chaos」なのに、邦題が勝手に「女はみんな生きている」とつけただけで、監督はそんなメッセージを入れようと思って作ったのではないのかもしれないが。

そうだとしたら本当に中途半端だ。

シリアスでもないしコメディに徹している訳でもない。

シリアスの方がよっぽど見ごたえがあったと思う。

時に悲劇が喜劇に転嫁することだって往々にしてある訳で、最初からコメディを狙うのはあざとい以外の何ものでもなくなってしまう。

それにしても、「女はみんな生きている」って失礼な邦題はどうなんだろう?

コメント