映画「パシフィック・リム(2013)」が“物足りない”理由と考察、その感想

④物足りない☆2

パシフィック・リム 英題:Pacific Rim

監督-ギレルモ・デルトロ 113分 2013年

脚本-ギレルモ・デルトロ、トラビス・ビーチャム

出演-チャーリー・ハナム、菊地凜子、イドリス・エルバ、他

映画「パシフィック・リム」の簡単なあらすじ

近未来の世界、突如出現した「怪獣」と呼ばれる巨大な化け物が世界中の都市で暴れまわり、人類は存亡の危機にたたされていた。

既存の兵器で対抗するのが難しくなった人類は、二人乗りの人型巨大兵器「イェーガー」を発明し、その強力な破壊力で怪獣の侵攻を水際で食い止めていた。 

イェーガーの凄腕パイロットであるローリーは、4年前の怪獣との戦いで一緒に搭乗していた兄を亡くして以来一線を退き、今は怪獣の侵入を防ぐための巨大な防護壁作りの作業員として働いていた。

防護壁でも十分に怪獣の侵入を阻止できると思われていたが、戦況は悪化、世界各地の防御壁が怪獣に破られ始め、イェーガーが見直されつつあるなか、かつての軍の上司のスタッカーからに再びパイロットとしての打診が来る。

兄を亡くしたトラウマを抱えていたローリーであったが、搭乗を決意し、自分のパートナー探しのテストに参加する。

身体能力の高いローリーにパイロット候補者達は誰もついていけないなか、急遽参加することになったスタッカーの助手のマコだけが対等に渡り合う。

マコはかつて両親を怪獣に殺され、パイロットになるために訓練を積んでいたが、親代わりのスタッカーに搭乗を止められていたのだった。

スタッカーの制止を振り切り、ローリーとマコがパイロットとしてパートナーを組み模擬訓練に望むが、マコは精神の弱さを露呈、あわや大惨事に。 

そんな二人は、香港の港に攻めてきた怪獣の打倒作戦の後方支援に回されてしまう。

しかし、予想を上回る怪獣の強さに他のイェーガー達が次々と沈んでいき、残されたローリーとマコがついに怪獣と対峙することに。

果たして二人はトラウマを乗り越え、怪獣を倒すことが出来るのか?

そして人類の行く末やいかに?

“物足りない☆2”理由と考察、その感想

怪獣と呼ばれる化け物

怪獣という日本の言葉が普通に出てくる。

日本人としては少し嬉しさも感じない訳ではない。

まるで日本のロボットアニメをまるごとそのまま実写化したかのような迫力で描かれているアクション作品だ。

日本はアイデアやアニメこそ他の国の追随を許さないが、実写の映像に関しては、ハリウッドには水をあけられっぱなしだろう。

ここまでお金をかけて作るのは、日本には難しいんじゃないだろうか。

それでも、日本に造詣の深いギレルモ監督のように、作れる人が作ってくれればそれで良いとも思う。

ステレオタイプな日本人

海外の作品には往々としてステレオタイプな日本人が登場する。

今は大分変わってきたと思うが、まだそのイメージはかなり残っていると思う。 

菊池凛子は準主役で登場するが、やはり浮いてしまっている。

それはショートカットのエキゾチックな外見だけでなく、むしろ感情面においても大きいんだと思う。 

感情の強さが他の俳優陣に負けてしまっているので、周りが菊池凛子に気を使っているように見えてしまう。

控えめで感情をあまり外に出さないのは確かに日本人に多いし、それが日本人の良さでもあると思うが、この作品の場合、脚本もあるのだろうが、ただ単に感情が弱く、どんな人間か分かりずらい感じになってしまっている。

決して日本人の良さが出ている訳ではない。

表現表現が控えめなのと、感情が見えないのは違うと思うのだが、マコの場合は感情があまり見えない。

監督の意向もあるからしょうがないのかもしれないが、控えめな良さもなく、微妙にエキゾチックというなんとも中途半端な日本人像になってしまっている。

日本人というものをあまり理解していないということなんだろう。

日本人てこんなもんなんだろうというような。

これならいっそ、もっと感情表現が豊かな日本人俳優を起用したほうが良かったんじゃないかと思ってしまった。

マコとローリーの関係

マコとローリーの関係は、少ない時間で築いたきずなで結ばれているということだが、全然そんな風には見えない。

二人の会話が成立してないというか、マコの反応が鈍いので、ローリーが一方的に語りかけているように終始見える。

マコはトラウマを背負い、父代わりのスタッカーの命をかけて戦っているのにも関わらず、見ていてあまり感情が伝わってこない。

それは控えめとは意味が違うものだろう。

そういった菊地凜子の演技が常に枠にはまったものなので、例え涙腺を揺さぶるようなストーリーでも、どこかとってつけたように感じてしまう。

怪獣という日本の言葉を使い、日本をリスペクトしている監督だからこそ、ヒロインに日本人を起用したのだろうが、こんな使い方なら、日本人にこだわる必要はない。

まるで無理にお客さんとして呼んできたような使い方だ。

マコの子供時代は芦田真菜が演じていたが、マコにその面影が全くない所も日本人をどこか勘違いしているんだろう。

面影がなくなるくらい葛藤したという影の部分がマコに見える訳でもない。

SF感を楽しむ映画

アクション映画というのは、ましてやこういったSFの作品ならなおさら、ストーリーや心理描写よりも、迫力のあるアクション映像を見せるのが主体かも知れない。

それでも、もう少しマコとローリーの関係性や、トラウマを乗り越えた場面や、ローリーが再びイェーガーに乗ることを決意した動機など、深く掘り下げて欲しかったと思った。

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